砂漠に水を撒くような。

国境なき医師団 の記事↓

僕がそこへ行く理由 第11回:なぜ日本でなくアフリカへ?


目の前の人 日々のコト。

それは大事なこと。


例えば、なぜ他を向くのと 

自他問われることはある。

この活動のように。


家族や近くや日本にも

似たようなことあるでしょ?とか。


戦争が終わらないと

経済格差が落ち着かないと

砂漠に水を撒くようなことだ、とか。


私は完璧ではないし

家庭も家族にも、あれこれある。


ジレンマ。

訪問ヘルパーをしていた時家事援助

自分の家は家事片付けていなかったり。


服の販売職をしていた時

毎日何回も服をたたみながら

自分の服は 洗濯物の山から着ていたり。


今だって

人の話やニーズに応えながら

家族にちゃんと応えられているだろうか?

ボランティア並みの収益で 

胸を張ってやっているけど

家庭が潤うわけではなく


 砂漠に水を撒くようなこと?

と思うんだ。


日本で 悲しく辛いことが起きていて

胸を痛めていても

私ができることは なかったりする。


たまに 家族がやっている何かに

私は?我が家は?と イラッとすることもある。


でも少しでも。



マンション内子育てサークルをしていた時

在宅の親達 働く親達 学校や園緊急帰宅 

個人宅や共有スペースが 

預かり場所になった。


そういう日は

子ども達は不安だし 時間を持て余す

親達はソワソワするし 

駆けつけたりできないけど子どもが心配だし

学校と園どちらにも対応しなければならない

からたいへんだ。


自分のことだけでもいいかもしれない。


だけど

親だから 幾分か わかる。

自分も子どもだったから 幾分かわかる。

心配になる。

だから動く。



全てできてる 余裕のある人だけがやること?

ボランティアは余暇か?


ボランティアという言葉も

援助や支援という言葉も

好きではない。

表現として使っているけど。


出会いがあって、求めがあったり

どうしたって気になって

どうしたって心が動く

そんなこともあるし あっていいと思う。



人道援助 遠くへ。

見返りはないことがほとんど。

全ての人を助けられるわけではないし

助けた人が また危うくなることもあるだろう。

自分の命だって

いつ危うくなるか わからない。


私の数千円は大金

お金持ちの数千円はどうか?


あなたは余裕がある

私は?


そんなことでもない。



できることがある。

やりたい気持ち

心が動く 


記事より

「日本でも医師不足で困っている人がいるのに、なぜアフリカに行くの」と聞かれ、国境なき医師団(MSF)の活動を始めた頃の僕は明確な答えを持ち合わせていませんでした。日本の場合は医師偏在で、アフリカは絶対的な医師不足だとしても、どちらも患者さんにとっては深刻な問題であることに変わりはありませんから。

僕たちMSFのスタッフは、外国が好きで外国に行くのではなく、命の危機にひんした人たちが待っているからそこに向かうのです。


興味ある方は↓

国境なき医師団 日本 寄付先