ゲームに影響を与えることが出来るのは、キャラクターよりも上の次元。プレイヤー、クリエイターです。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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ゲームに影響を与えることが出来るのは、キャラクターよりも上の次元。プレイヤー、もしくはクリエイターです。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/c80276ad8b379e06f8ad85913a1239ac

(ここから)

「ゲーム開発秘話」

二世紀の地理学者・パウサニアス著の『ギリシア案内記』には、デルフォイのアポロン神殿の入口に、すでにこのゲームのタイトルが刻まれていた事が記されています。

それがこちら。 → “ γν?θι σεαυτ?ν ”


かの有名な古代ギリシアの格言、『汝自身を知れ』という言葉です。


この言葉を、さらにゲームのタイトルっぽく超訳してみますと……







ズバリ、「セルフ・クエスト(自己探求)」。

文字通り「汝自身を知れ」ですが、これなら思いっきり某RPG風です(笑)

(※注)パクリではありません、オマージュです。




このゲームを開発したのは、あるクリエイターさんなのですが、このクリエイターさんが、まぁ、超スゴイ。

CreatorはCreatorでも、「the」の付く方のクリエイターさんなんです。


*****

cre・a・tor[名]

1 創造[創作,創設,創案]者[原因].

2 ((the C-))造物主,神.

*****


そう。神様です。

でも、この神様は、多分、あなたの信じている神様ではありません。

この神様は、「意識(唯一の実在)」であり、これ以外の存在はすべてバーチャル。存在はすれど実在はしない、架空のものです。

僕たちが日常的に目にしているアレコレは、疑いようのないほどリアルに感じられますが、その全てがゲームの世界の中にあるものです。


このことが、このゲームに隠された全ての謎の土台です。

ここは、とても大事なところなので再度言います。


本当は、このゲームを開発したクリエイターしか、実在しないんです。


つまり、このゲームは、誰かが、別な誰かに提供するために作られたものではない、ということです。

だって、このゲームの開発者、神自身(意識)以外には、何も実在しないのですから。

だから、このゲームを開発した後、結局それをプレイできるのは……。

そう、神様だけなんです。


*****

「神様しか実在しない」とお話すると、「神様はひとりぼっち」という状態を連想し、それにおいて、寂しいとか、虚しいとか、そういう風に仰る方も多いのですが、実は、そういうことはありません。

ここでの「一つ」は、比較対象や外界などといった二元性を超えた次元での「一つ(無双)(アドヴァイタ)」なので、僕たちが連想する自分の他に存在する沢山の人や外部環境の中で「孤立する」というような「ひとりぼっち」とは全く異なるもので、感覚が全然違うのです。

*****


さて、ここで。

この前提を踏まえていくつか確認しておきたい点があります。

それは、これまでの記事の中でも何度かお話してきた内容です。


1.そもそも「ゲーム」とはどういうものか。

 → 障害や制限の中でストレスを味わいながら、某かのゴール(ストレスを乗り越えて得られる達成感や開放感)を楽しむ娯楽活動。


2.そのゲームを楽しむ上で必要不可欠となるものは何か。

 → ルール(思い通りにならない不自由性)。先の読めない展開。



考えてもみてください。


いざゲームをスタートして冒険を始めたものの……

◎森を歩いても、ダンジョンに入っても、スライム一匹出てこない。

◎なんのイベントも発生しない。

◎最初から武器や防具などの装備、また、HP/MP/力/素早さ/経験値/ゴールド/攻撃力/守備力、全てのパラメーターがMAXで、これ以上覚える呪文もなく、レベル変動もない。

◎最初のお城を出た途端に全ての問題・障害が解決し、何の冒険も経験することなく一気にエンディング。

◎プレイする前から、先の展開がすべてわかっていて、城下町の人々から情報を得る必要もなく、謎を解くために必要となるアイテムの収集もいらず、そもそも謎を解く必要がない。

◎冒険に出かけるため王様のもとを訪れたら、その時点でありとあらゆる謎をすべて明かされてしまった。

◎主人公以外の登場キャラクターも、容姿や能力、役割が主人公と何一つ変わらない。



そんなRPGだったら、「糞ゲー」と称されるか、鉄拳の「こんなゲームはイヤだ」のネタになるぐらいです。



そんなこんなで、「ストレス(苦)」と「制約(有限)」というキーワードが、ゲームを楽しむ上で必要条件となります。

だとしたらですよ、この時点でちょっと困ったことが起きてしまうんです。


上記の2つの条件が、神様には「あり得ない」んです。

だって、無限の創造性がある神様に、「障害」があるはずがありません。「ストレス」があるはずがありません。

思い通りにならないことなんて何一つないし、先が読めないなんてことがあるはずがありません。

ましてや、創造主、「ゲームの開発者」です。

開発者自身がゲームをプレイするのですから、完全なネタバレ状態です。


だから、そのままでは、ちっとも楽しくないのです。


そこで、開発者はこのゲームの中にとんでもないプログラムを埋め込むことにしました。

「記憶喪失プログラム」です。

自分がゲームの開発者であることを(さらにはプレイヤーであることすらも)、忘れるためのプログラムを作り出し、しかも驚くことに、その忘却プロセスをも、ゲームの一環として成立させてしまったのです。



『自己探求(セルフ・クエスト)』は、自己が何者であるかを徹底的に隠蔽し(自らに巧妙な罠を仕掛け)、隠し終えたところで、再度探り当てる(自分が仕掛けた罠を解いてゆく)という2つのプロセスを楽しむゲームです。



ここまでお話すれば、もうおわかりですよね。

つまり、ゲームの世界(現象界)で、ストレスや苦しみのど真ん中に立たされ「キャラクター(わたし)」だと思い込まされているアナタの正体は、何を隠そうこのゲームの開発者、「神」そのものなんです。


ゲームのキャラクターは、ゲームの開発者・プレイヤーの娯楽を実現するため、数々のイベントやモンスター(ストレスや苦しみ)の前に誘導されます。

ロトの血をひく勇者が「メタルスライムはまだ無理だって!」と叫んだところで、プレイヤーが果敢にチャレンジしようとすれば、それを避けることができません。

勇者が「にげる」や「ぼうぎょ」といったコマンドを選択したくても、プレイヤーが「たたかう」を実行すれば、そうなってしまいます。

そう。アナタが感じられているとおり、この状況は、「キャラクタ-」にしてみれば、たまったもんじゃないのです。

でもそれを再度逆転してみれば、モニターの中にいる「ロトの血をひく勇者」が、モニターの外にいるプレイヤーやクリエイターに向かって「なぜ私が竜王を倒さねばならないのですか? 

なぜ町の人々は、小出しにしかヒントを与えてくれないんですか? 

なぜこんなにも、世界にはモンスターや災難が蔓延っているのですか? 

あなたが創造主ならば、なぜゆえに世界から苦しみを消し去ってはくれないのですか? 

私ではなく、創造主であるアナタが、竜王を消し去ってくれればいいじゃないですか! 

僕は、ヒーローなんかになりたくはない。ただ、パフパフさえしてもらえたなら、それだけで幸せなんです!」とメッセージを送っているようなものなんです。

ね、変でしょ?(笑)

プレイヤーにしてみれば、「お前はゲームの世界に存在するアバター(実在しないもの)なんだから、何があっても大丈夫なんだって!」てな具合です。


で、結局のところ、様々な罠や障害を用意し、それによる苦しみをキャラクター(わたし)に与えた張本人は、そのキャラクターを操るプレイヤー(わたし)やクリエイター(わたし)の仕業で……

キャラクター(わたし)を苦しめている原因は、部長でも奥さんでもご先祖さんでもサタンでも悪霊でも動物霊でも事故でも病気でも災害でもなく、実は神(わたし)であって……

ああ、ぐるぐるぐる……



では、いったいどうすればいいのでしょう?


ゲームの中にいる「キャラクター」が、ゲーム(世界)に影響を与えることは可能でしょうか?

いえ、できません。

ゲームに影響を与えることが出来るのは、ゲームよりも上の次元。

プレイヤー、もしくはクリエイターです。


キャラクターは、自身を操作することもできません。

ゲームが「キャラクター」の思い通りに進むはずがありません。

ゲームを進めているのは、「キャラクター」ではなく、あくまで「プレイヤー」です。

だから「キャラクター」は、降参(サレンダー・帰依)せざるを得ない、となるわけです。

まさに、「プレイヤーの思し召すままに」です。



世界の認識レベルが「プレイヤー」の次元に移れば、「今の状況」や「その世界でどのように動くことが適切か」などが明確になります。

そして何より、「ゲームをプレイしている」という自覚とゆとりがあります。

ストレスを「イベント」として、苦しみを「モンスター」としてとらえ、そのことを通じて「よりゲーム(人生)を楽しむ」という、余裕が生まれます。


そして、さらに上位にある意識、クリエイターの次元でなら、ゲーム世界の書き換えさえ可能になります。

ゲーム世界(現象界)を形作る、プログラム(カルマ)自体を変えてしまえる力があるからです。


だからこそ、苦しみ・ストレスから解放されるには「悟るしかない」、つまり、意識を「キャラクター」の次元から、「プレイヤー」や「クリエイター」のある次元にシフト(アセンション)するしかない、となるわけです。


*****

もっと言ってしまえば、お釈迦様は「輪廻を超えて解脱せよ」と説きました。

これは、「何度もコンテニューしてないで、ゲーム自体を手放してしまえ」ということです。

だって、お釈迦様が説いたとおり、「ゲーム(人生)は、ストレス(苦)以外の何ものでもない」のですから。

*****



苦しみから解放されるには「悟るしかない」とは言うものの、それは強制でも、脅迫でもありません。

意識がどこの次元にフォーカスされていようが、結局、実在するのは神だけなのですから。



阿部敏郎さんが「あなたは既に悟っています」とお話されるのも、白隠禅師が「衆生本来仏なり」と残したのも、つまりは、「その事実に気づいてようが気づいてまいが、あなたは今の時点ですでに、この世界(ゲーム)のキャラクターではなく、創造者なんです!」ということなんです。

だから、神に近づく努力も、神を求めることも、跪くのも、崇め立てるのも、感謝を捧げることも、実は、全部ナンセンスです。

だって、それをしているのが、神自身だからです。



「悟ったって、悟らなくたって、どっちでもいいじゃない」と言う人もいるけど、僕としては、「キャラクター」の次元で苦しむのは、もういやなんです。

「どっちでもいいと言うなら、わざわざ苦しむ方を選ばなくたっていいじゃない」と、僕は思います。


と、いうことで。

ぶっちゃけこのブログは、このゲームのネタばらしです。

それを知ってしまうと、確実に、ゲームの醍醐味である「あっ!」が薄れてしまいます。

アナタが培ってきたこれまでのプレイを、台無しにしてしまう恐れがあります。

大きなウロコポーロを目前としていた人の目から、小さな鱗を落として、喜びを半減させてしまうかもしれないのです。




その代償を受け入れる覚悟がある方だけ、ご参加ください。

(ここまで)

ありがとうございます
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森林の中の光の撮影です。

 

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