本当はコントロールできないのに、できると思っている。この勘違いが、様々な苦悩の発端になります。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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「本当はコントロールできないのに、できると思っている」のです。この勘違いが、様々な苦悩の発端になります。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/161ffe2112d8b39bb374ab4dd1dd5b50

(ここから)

「不在」

「時間は幻想」というのも、「世界は幻想」というのも、「わたしは幻想」というのも、別のことではなく、同義語のようなものです。

その気づきにおいて明らかになるのは、「主体」の不在。

ずっとあると思っていた、主体が存在しないことに気づいたとき、それまで当たり前に持っていた価値観や常識が崩れ落ちます。

価値観や常識といわれる概念がそこにあっても、その概念を「持っていた」はずの主体がないのですから、落ちて当然です。


そして、「あった<わたし>」がなくなるのではなく、「元々なかった」ことに気づくのですから、

【無我】というのは、「我が無くなる」という「消失」ではありません。

元々「我が無かった」のですから、何も失っていません。

ただ、「<わたし>という主体がある」という感覚・概念が落ちるだけです。


以前もお話しましたが、僕たちが日々感じている「主観」。

これによって、「主体」があるような感覚が生まれます。

その「主観」を得ている<わたし>という「主体」が、世界(わたし以外)と関わり、出来事をコントロールしている(コントロールしよう)という気持ちが生まれます。


でも本当は、なんと、その主体は存在していません。

本当は無いのに、あると思っている。

つまりは「本当はコントロールできないのに、できると思っている」のです。

この勘違いが、様々な苦悩の発端になります。

どうして世界は、<わたし>の思い通りになってくれないんだ!

と。



ちょっと無理がありますが、こんなたとえ話をしてみましょう。


ふと気づくと、Aさんの目の前に、アンテナのようなものがついた1台のミニカーが走っていました。

そのミニカーには、Aさんの名前が刻まれています。

そして、なぜかAさんの手には、いつの間にかリモコンが。

周りを見渡すと、Aさんと同じようにリモコンを持ち、自分の名の刻まれたミニカーにそれぞれ視線を向けている人たちが大勢います。

その状況から、Aさんは「私の名の刻まれたあのミニカーは、いま私の手にある、このリモコンでコントロールしているラジコンカーでは?」と思うに至りました。

が、しかし。このラジコンカーは、なかなか思うように動いてはくれません。

止まろうと思っても走ってるし、走ろうと思っても止まってるし、右に曲がろうと思っているのにまっすぐ走るし、バックしようと思ってるのに左前に進む。

かといって、全部が全部うまくいかない訳でもなく、時には思った通りに動いてくれるときもある。

それどころか、思っている以上に軽快な走りを見せることもある。

「なんなんだ、これ?」

自分の思い通りに動いてくれない状況に、Aさんの頭には「なぜ、100%思い通りに動いてくれないのか」という疑問が浮かびます。

そしていくつかの仮説を立てました。


1.操作方法を誤っている。

2.操縦の才能・センスがない。

3.ラジコンカーが壊れている。

4.リモコンが壊れている。

5.両方壊れている。

6.私の知らない操作方法があるのかもしれない。

7.他人のリモコンの発する電波と混線している。

8.誰かが妨害電波を出しているのかもしれない。

9.リモコンの操作だけではなく、念力も必要なのかもしれない。

10.信心が足りないかもしれない。

11.前世の罰かもしれない。

12.何かの祟りかもしれない。

13.異常気象のせいだ。

14.ロスチャイルドの陰謀!?

etc...


と、いろいろと仮説を立て、改善や対策を進めますが、なかなかうまくいきません。

世界中で操作説明書を探しても見つかりません。

相変わらずラジコンカーは、思い通りに走ってくれないのです。


そう。

このミニカー、もとからラジコンではなかったのです。

手元のリモコンとはまったく関係のない、操縦者不在の自走式ミニカーだったのです。

でも、Aさんにはその可能性がまったく見えなくなっています。

なぜか?

それは、自走式ミニカーをラジコンカーだとすっかり思い込んでいるからです。

手元のリモコンで操作できると、確信しているからです。

そしてそれは、「思い通りに動くときもあるもん!」という経験に基づく確信です。

だからこそ、Aさんの探求は、常に「操作方法」へと向けられます。

「わたしの思い通りに走らせるには?」



さて、このAさんの探求が報われる日はくるでしょうか?

(ここまで)

ありがとうございます
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森林の中の光の撮影です。


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