「思考」の条件反射に気づき、意識的な選択を身につけていく。「いま」に立ち返ること。
転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
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(ここから)
テレビは離れて見ましょうね
僕がトークライブなどの場でお話しするテーマには、定番ネタみたいなものがいくつかあるのですが、その中でも特に「これをお話することで、余計に混乱しちゃうかな?」と思っているのが、『思考』に関する内容です。
ある時は、小池龍之介さんよろしく「考えない練習(考えないことの大切さ)」といった内容を話し、またある時は池田晶子さんを引き合いに出して「考えることの大切さ」を話す。
そうすると、「おいおい、考えない方がいいのか、考えた方がいいのか、結局どっちなんだよ」ってなツッコミを頂きかねないんですね。
でもこれ、僕の中では、まったく矛盾していないんですよ。
黄色い本の第10章「自我と真我」のお話みたいな感じ、といえば通じるでしょうか。
小池さんは「考えない」ということを通して、池田さんは「考える」ということを通して、同じところを指している。
その指しているものは何かというと、「思考に巻き込まれない」ということの大切さです。
それをご説明するために、前回までの図に、ちょっと書き足したいと思います。
これまでの人間の意識状態は、「Line-2」。
自分と思考が直接つながり、完全に一体化している、エックハルト・トールさんがよく『機能不全』と表現する状態です。
このラインが活用されている時は、「世界の中に自分がいる」という感覚があり、また、「外部環境(世論や常識など)」の影響を受けて自動的に思考が動く「条件反射的思考」が現れます。
「意図的に考えている(選択している)」のではなく、「状況に巻き込まれ、思考が自動的に流れている(反応している)」状態です。
イニシアチブを「外部環境」に握られているため、「被害者」としての立場に陥りがち。
あらゆる原因や責任は「自己」ではなく「外界」にある、というわけです。
この「Line2」がガチャッと抜けますと、Matrixから離れ、ハートと空(源)と繋がる「Line1」が活用され出します。
これがお釈迦様が「八正道」の中で説いていた「禅定(瞑想)」状態です。
思考と繋がっていた「Line2」が無くなっても、そこで「世界(スクリーン)」が消えて無くなるわけではありません。
「スクリーンの中にいるわたし」から、「“いま”からスクリーンを見るわたし」にシフトするんです。
『無思考(Line2のオフライン)』は、「思考(スクリーン)が無くなる」のではなく、「思考(スクリーン)が、よりよく見える」状態のことです。
僕たちは小さいころから「テレビは離れて見ましょうね」なんて注意されてきましたが、大人になっても同じ様なことをしていたわけです。
「思考は離れてみましょうね」
その状態に立って、初めて「思考(世界)を取り扱う」という主従逆転が起こるのです。
自分がどのように世界を捉えるか。
そこにおいて、「100%自己責任(選択の自由)」という感覚を見つけることができます。
その思考を持ち続けるか。その感情を引きずるか否か。
それを選ぶことができるようになります。
条件反射に気づき、意識的な選択を身につけていくこと。
「思考」に巻き込まれていることに気づき、「いま」に立ち返ること。
それが、「悟後の修行」と言われるものです。
(ここまで)
ありがとうございます。
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森林の中の光の撮影です。
引き寄せの法則、宇宙の法則
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