僕たちが「肉体」を失うと、個人としての記憶はアカシックレコードに格納され、「意識」だけが残ります | 地球の愛と光・本来の姿へ

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僕たちが「肉体」を失うと、「個人としての記憶」はアカシックレコードに格納され、「意識」だけが残ります。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/2e615fbadbc53bd935840cb068609988

(ここから)

今日は、コンピューターを例えにして、「自分とは何か」ということをお話してみたいと思います。

このテーマについては、これまでも何度か他の例えでお話したことがありますが、今回は、これまでよりもさらに上の次元から捉えた場合のお話にしていきたいと思います。

このお話を、無理にいままでにお話してきた他の例えとつなぎ合わせようとすると、ちょっと面倒なことになります。

なので、それはそれ、これはこれとして、気持ちを切り替えてご覧ください。

また、人によってはこれまでの話との違いが見いだせないかもしれません。

そのぐらい、微妙な違いです。


いつもの事ながら、更新に時間が空いてしまいましたので、まずはコチラのエントリをおさらい頂きましてから、続きをお楽しみ頂ければと思います。


では。


トークライブでこんな感じの質問をいただくことが多いんです。



*****

「わたし」というのは、一体なんなのでしょうか?

黒斎さんはよく「僕たちは死なない」といいますが、それでもなお、肉体を失うということは実際にあるわけで。

この肉体を失ったとしたら、その後「わたし」はどうなるのでしょう?

「わたし」として生きた記憶が消えてなくなるのだとしたら、それは、とても虚しいのです。

*****



そんなご質問に答える時、僕はまず、その「わたし」がなんであるのかを明らかにしなければなりません。

そこでまず僕は、こういった言葉をホワイトボードに綴ります。(その時々によって、単語・内容が異なることがあります。でも、伝えたいニュアンスは同じです)


わたし(というこの感覚) = 意識(存在感)+ 肉体 + 知識(記憶)


「わたし」というこの感覚は、大きく三つの要素で形づくられています。

まず一つは、「わたし」の正体が何であるかがわからないにせよ、その何かが「存在している」という、揺らぎようの無い真実。

僕たちが当たり前に保有し、当たり前過ぎるがゆえに、普段自覚することも忘れがちになってしまう「存在感」が一つ。

そして、その存在感を実感させうる肉体が一つ。

もう一つは、その「存在感」に付随するデータ類。「わたし」を定義する属性データです。


「存在感」と「肉体」と「属性データ」、この3つが組み合わさって「わたしがいる」という感覚が生まれます。

しかし、僕たちはこの「存在感」をあまり重要視せず、「肉体」や「属性データ」ばかりを「わたし」と認識してしまう傾向が強いのです。



そして、ホワイトボードへの書き込みが終わると、次いでこうお話します。

僕たちが「肉体」を失うと、「個人としての記憶」はアカシックレコードに格納され、「意識」だけが残りますよ

と。





僕がお話したいのは、そういうことなのですが、

きっと、上記だけを見ても、よくわからないと思います(笑)


なので、話を分かりやすくするために、僕たち自身をパソコンに例えて考えてみましょう。


前々回でお話したとおり、パソコンはその筐体(ハード)だけがあればいいってもんじゃありません。

動かすためにはOSやアプリケーション、また、各種関連ファイルなど(ソフト)が必要です。

それが揃って初めてパソコンとして機能してくれます。


ハードが「身体」、ソフトが「マインド」です。

ハードとソフトの組み合わせによって、初めてパソコンが動くようになりました。

そして、そのパソコンを使い、様々なデータを作り、ハードディスクに保存していきます。

僕たちは人生という経験の中で培った様々なデータをこのハードディスクに上書きしていき、そのデータと筐体を合わせたものを「自分」だと思っている状態です。

しかし、宗教的な意味においての『汝自身を知れ』という言葉にある「汝(自分)」は、ハード(身体)のことでも、ソフト(マインド)のことでもないんです。

そのパソコンを、「操作している何か」のことなんです。


これを、冒頭のお話と組み合わせるとこうなります。


わたし(という感覚) = 意識(存在感)+ 肉体 + 知識(記憶)

は、つまり、

わたし(という感覚) = 意識(操作している何か)+ 肉体(ハード) + 知識(ソフト)


で、さらに、

僕たちが「肉体」を失うと、「個人としての記憶」はアカシックレコードに格納され、「意識」だけが残りますよ

は、つまり、

僕たちが「パソコンの筐体」を失うと、「各種データ類」はオンライン・ストレージに格納され、「操作している何か」だけが残りますよ

と、いうことになります。


さらにさらに、これを冒頭のご質問に当てはめ直してみましょう。


*****

「Inspiron 17R(windows8 / g3 Intel Core? i7-3630QM)ユーザーネーム:nanigashi」というのは、一体なんなのでしょうか?

「MacBook Pro(OS X v1-.8.2 / 2.53GHz Intel Core 2 Duo)ユーザーネーム:Kokusai」はよくモニターに「僕たちは死なない」と表示しますが、それでもなお、筐体がクラッシュするということは実際にあるわけで。

この筐体を失ったとしたら、その後「Inspiron 17R(windows8 / g3 Intel Core? i7-3630QM)ユーザーネーム:nanigashi」はどうなるのでしょう?

これまで作成してきた各種ファイルが消えてなくなるのだとしたら、それは、とても虚しいのです。

*****



ということで。

ここで改めて、ご質問にお答えしたいと思います。

まず第一に、僕たちの本質は「パソコン」の側ではありません。「それを操作している側」です。

ですから、パソコンがクラッシュしても、「見失っていた本当の自分」というものが消えてなくなってしまうわけではないのです。

ご質問の際に使用されていた「わたし」という言葉が「パソコン」を指しているのなら、残念ながら、それはもう、使用できません。

しかし、そのパソコンで作成した各種ファイル(人生経験)が、全て消えて無くなってしまうわけではありません。

大切なデータは、パソコンとは別なところに、しっかりとバックアップされているのです。


(ここまで)

ありがとうございます。
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