マトリックス:固定概念から解き放たれた「何者か」を演じずに、「ありのまま」で生きる世界。
転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/84cefa983daaa9d974051dc5926c50a2
(ここから)
マトリックス.8
【chapter.10/再生】
場面は変わり、アンプラグのシーン。
一糸まとわぬスッポンポン状態のアンダーソンが、透明の浴槽の中でローションまみれになっています。
(; ̄Д ̄) はっ ゴメン。
大事なシーンだというのに、ついイヤらしさを醸し出す表現になってしまいました。。。
改めまして…
奇妙なタンク内で目覚めるアンダーソン。
身体を覆う衣服はもとより、体毛すら無いその姿は、まるで子宮内の胎児のよう。
「ごほぉ、うべぇぁ!」
タンクから這い出たアンダーソンは、自分の口に繋がっていたケーブルを引き抜きました。
気がつけば、体中にコンピューターへと繋がるケーブルが差し込まれています。
タンクから身を乗り出し、周りを見渡してみると自分と同じようにケーブルを繋げられ、タンク内で眠る人間たちがビッシリと規則正しく格納されています。
そして、後頭部のケーブルを引き抜かれると…
バシュ!ビシュ!!ブシュ!!!
アンダーソンを縛り付けていたケーブルが次々と外れていき、自由を獲得したアンダーソンは、まるで産道を滑り抜ける胎児の如く外へと解放されます。
…
このシーンでアンダーソンが格納されていた奇妙なタンク。
映画のストーリーでは、人間の生命エネルギーを利用した「電池」として表現されていますが、実はそれと同時に「アイソレーション・タンクを暗示している」とも言われています。
「アイソレーション・タンク」という装置をご存じでしょうか?
“五官の感覚が遮断された時、果たして人間の脳はどのように機能するのか?”
1954年、その謎を実験で明らかにするため、アメリカの神経生理学者ジョン・C・リリィは、被験者を外部の刺激から完全に遮断する環境を作り出すための「感覚遮断実験装置」を開発しました。
それが「アイソレーション・タンク」です。
タンク内部に人間が浮かぶ程度の比重を持った液体を入れ、光や音を遮蔽し、視覚・聴覚・温覚・上下感覚を取り除く。
その実験を通してリリィ博士自らが体験したのは、それまでの科学的常識では決して捉えられない、自己の深淵に広がる未知の感覚世界、絶大なリラクゼーション状態でした。
なんと、この装置を使うことで脳を「瞑想状態(意識が飛ぶことなくθ波が観測される状態)」にすることができたのです!
その効果から、この装置は現在、心理療法や代替医療などに使用されています。
※俳優の高嶋政伸さんが運営するサイトでリリィ博士のドキュメントムービーおよび、アイソレーション・タンク体験記が公開されています。ご興味のある方は下記URLへジャンプしてみてください。
http://rs.pod.tv/
東京では、この装置を体験出来るヒーリングサロンがあるそうですね。うーん。一度体験してみたい。
…
で、続く「アンプラグ(プラグが外れる)」シーンは、チャクラの開花を暗示させていると言われています。
「預流果」を通して、真の自分に目覚めたネオ(アンダーソン)。
それはまさに、生きながらにして「生まれ変わった」瞬間です。
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マトリックス.9
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/1eda11479135f4ae87085442b4472584
【chapter.11/ネブカドネザル号のメンバー】
「ようこそ。現実の世界へ。」
ザイオンまでの地底を進む老朽船「ネブカドネザル号」で目を覚ましたネオ。
この「ネブカドネザル号」は、旧約聖書に登場する「ネブカドネザル2世」という人物から名付けられたものだと思います。
ネブカドネザル2世は、エルサレムにあったユダヤ教の寺院を略奪、破壊した新バビロニアの王。
なぜこの船に彼の名が付けられているのか、その理由は僕には紐解けませんでした。
どなたか、旧約聖書に詳しく「ダニエル書」とこの映画との関連性に気付いた方がいらっしゃいましたら、ご教示願います。
…
ベッドの上で目覚めたネオは、自分の身に何が起こったのか、まだよく理解できていません。
「俺は死んだのか?」
「いや、その反対。“新しい誕生”だ。」
アンダーソン改め「ネオ」。まさに「新」を意味する言葉ですよね。^^
これは、一度“目覚め”を体験すると、その意味がハッキリとわかります。
本当に「新たに生まれてきた」というニュアンスがしっくりくるんです。
それゆえ、この前のチャプターは「出産」を想起させる演出で描かれていました。
そして、続くこのセリフ。
ベッドの上で治療を受けているネオ。
「何をしている?」
「退化した筋肉の再生だ。」
「目が痛い。」
「初めて使うからな。」
“目覚め”を経験すると不思議な感覚が訪れます。
自分はこれまで確実に「生きていた」はずなのですが、実は全然「生きていなかった」ということに気付くんです。
僕も、齢30を過ぎて初めて「生きる」という事を実感しました。
視覚だけに留まらず、聴覚、嗅覚、味覚、触覚…そして、それらを超えて広がる壮大な世界との一体感。その全てが研ぎ澄まされ、圧倒的な『生命力』に驚愕するんです。
「生きるとは、こういうことだったのか!! “見る”とは、“触れる”とは、“感じる”とは、こういうことだったのか!!」
見ることも、聞くことも、味わうことも、ずーっと「感じているつもりでいただけ」だったことに気付くんです。
自分の中に秘められていたその機能が100%発揮された状態。それはまさに、自分に備わっている感覚器を「初めて使う」感覚です。
体中を駆けめぐる血流の音がありありと聞こえ、内臓の様子まで手に取るように“見える”という不思議な状態。
自分の中に流れる『生命力』を通して、喜びや安堵が、自分の奥底からあふれ出してきます。
さて、映画のストーリーへと戻りましょう。
目を覚ましたネオの前に見えるのは、先ほどとは全く異なったクルー達の姿。
あれほどスタイリッシュな衣服をまとっていたはずのモーフィアスも、トリニティも、その他のクルー達もみんな、質素で飾り気のない姿になっているのです。
そう。
マトリックス(幻想世界)は、自分を「着飾る」ことで作り上げられる「後付けの個性」が重要視されている世界です。
その世界では、男は男らしく、女は女らしく、子供は子供らしく、老人は老人らしく、社長は社長らしく、学生は学生らしく、賢者は賢者らしく、主婦は主婦らしく…と、その境遇・肩書きに相応しい姿を強く求められます。
アナタもきっとこれまで「お兄ちゃんなんだから、もっと逞しく。」とか、「女の子なんだから、もっと慎ましく。」、「社会人なんだから、もっと常識的に。」、「学生なんだから、もっと真面目に。」…などのように事あるごとに“その役割・肩書きに相応しいイメージ”を要求されてきたことと思います。
その世界にどっぷり嵌り込んでしまうと、今度は「もっと私らしく」と、自らの手で「個性(自我の作り出す自己イメージ)の後付け」をすることになってしまいます。
その人の「ありのまま」に根付いた姿ではなく、「役柄」に対しての佇まいが要求されている世界。
マトリックスに繋がれた者達は、その人の「ありのままの姿(本質)」ではなく、肩書き・役割に見合った「イメージ(幻想)」を見ているんです。
マトリックス(固定概念・先入観など、思考によって作り上げられた価値観)の呪縛から解き放たれた者達は、着飾ることもなく、自分を演じることもなく、何者でもない、ありのままの姿で向かい合うことが可能になります。
ヾ(≧▽≦)ノ あ~。「何者か」を演じずに、「ありのまま」で生きるって、なんて楽なんだろう♪
しかしながら、そんな「何者かを演じない生き方」は、マトリックス内では「奇異」の眼差しを向けられ“エージェント”に狙われる羽目になってしまいます。
ヾ(;▽;)ノ あ~。「何者か」を演じずに、「ありのまま」で生きるって、なんて大変なんだろう♪
(ここまで)
ありがとうございます。
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