◆「ありがとう」瞑想 | 地球の愛と光・本来の姿へ

地球の愛と光・本来の姿へ

本来、人生を楽しむために生まれてきました。
ですが、恐怖、心配する価値観を教えられてきました。
恐怖思考が現実になります。恐怖を捨て愛と楽しい思考に!
年々、気が付く人が増え、本来の地球に変わる時期が来ています。
https://dreamgo.sakura.ne.jp/20110311/

http://www.geocities.jp/trans_human/dojo/m46.html

◆「ありがとう」瞑想

1.まずは平穏な時に「ありがとう」


今、目に入ったものから始めて、周囲のものにひとつひとつ「ありがとう」と言ってみます。
パソコンありがとう、スタンドありがとう、デスクありがとう、時計ありがとう、文庫本ありがとう、ボールペンありがとう、カップありがとう、携帯電話ありがとう、床ありがとう、テレビありがとう・・・

「今に集中」と同じで、面倒くさくなって「ありがとう」が言えなくなる時が来ます。
言えなくなった時が、いわば、あなたの今感じている感謝のレベル、と言うことができます。
これにより、あなたの感謝不足・・・いかに自分の周囲が見えていなかったかを知ることができます。
要するにこれは、あなたの「感謝知らず度」を知るための術なのです。
家族、恋人、知人・友人は当然として、道路を造った人、会社の掃除のオジサン、食堂のおばちゃん、あなたに快適な環境を提供している家、家具、時計、パソコン、携帯電話、テレビ、花壇の花々、交通機関、街路樹、山、海、空気、水・・・
それがなかったらあなたは生きていけないか、少なくともかなり困ることになるモノばかりに囲まれて生きているはずです。
よく言われるように、当たり前のようにあなたの周囲に存在している人、モノ、環境が、実は「有り・難い(そう簡単には無い・・・恵まれている)」ものなのです。
日常に対する不満からくる精神的ストレスでも、肉体の病気でも、ほとんどが「感謝不足」に由来するものと言っていいでしょう。
自分の現実が見えていない、というのは要するに感謝不足なのです。

起きている間、目に入るもの全て、さらに心に感じるどんな思いにもすべて「ありがとう」と言い続けてみましょう。
もし1週間続けられたら、あなたは別人のように変化できます。


2.困難な時にも「ありがとう」

「ありがとう」はあらゆる困難な時の特効薬。
あなたの心の沸騰を鎮め、すべてを肯定し、受け入れるニュートラルな意識状態に持って行く作用があります。
誰かに腹を立て、寂しくなり、やる気をなくした時、「ありがとう、ありがとう」をひたすら繰り返していくと、次第に落ち着いてきます。
職場や家庭で怒り、落胆、孤独などの想念がどっとこみ上げてきて発狂寸前の時、心の中で、呪文のようにひたすら唱えてみましょう。

「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」

・・・と言うと必ずこういう人が出てきます。
「ありがたくもないのに何がありがとうだ?」「そんなの、自分をごまかす方便だね」「もう100回も言ったのに、なんの効果もないよー」

そうしたあなたの都合、理屈、納得、利害、期待などを超えた「静かな」境地に強制的に持って行く手段なのですから、100回繰り返してもダメなら、1万回でも続けてみてください。
頭がうだうだ文句や理屈をこねなくなるまで、ただやること。
ひたすら、理屈抜きに「ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」
都合のいいことをしてもらった時だけにっこりして相手「ありがとう」と言うなど、子供にでも出来ます。
それは「超ラッキー!」とほぼ同義語ではありませんか?
一方で、敢えてあなたに苦言や厳しい言葉を発する人には「ありがとう」とは言いません。
ましてや、あなたを会社や家庭で不快にさせている人物には口が裂けても言いたくないのです。
損したような気になるから・・・。

でも、あなたの現状が変化しない理由はそこにあり、といえます。
「損したような気になる」・・・が本音なのです。
つまり感謝の有無は、常に損得・打算と関わっているということ。
自分の周囲、家庭、職場、毎日当たり前のように思える日々を過ごしていけること等々がいかに「有り」「難い」か・・・・それに恵まれていることが判らないから強制的手段としてひたすら唱え続けるのです。
何も理屈を考えず、辛く、苦しい状況で「ありがとう」を繰り返してみましょう。
何かが見えていないから苦しいのであり、気付いてしまえばその限りではありません。
エゴは、全体(ありのまま)のうち、都合のいい半分しか見ようとしません。
残りの半分は無視されるか、不快なものとして忌避されます。



気付いたモノ、人、心に去来する想念すべてに「ありがとう」と言っていくことは、見えていなかったものに改めて目を向けてみるよい機会になります。
何よりも瞬間瞬間に集中することにもなり、[好き-嫌い]という判断も停止するので、必然的に客観視の状態となります。
「ありがとう」の前には、エゴは黙らざるを得ません。
そして感謝できない状況・わき起こる不快な想念に、あえて感謝することによって、エゴ的都合から善悪に分離していたモノの見方を強制的に変えていく練習にもなります。

実は、感謝とは、行為ではなく、宇宙意識(真我・内なる神)の体現している状態です。
精神世界の様々な書物やサイトが「感謝」・・・生かされていることのありがたさをひたすら説くのは、感謝の状態こそが私たちの本質・・・・つまり生命そのものである宇宙意識・真我・内なる神のありようだからです。
言い換えれば、私たちの最大の感謝知らずとは、自分の本質が内なる神であることを忘れ、エゴを本質だと信じていることなのです。
生命を脈動させている「創造」「宇宙意識」の分身である真我・内なる神がなければ、私たちは生きることはおろか、存在すらしていません。
ですから、真に感謝を体得した人は、感謝できないような状況にあって感謝できる人と言えます。(チャネリングメッセージ集 エリーナメッセージ 7.感謝できないものに感謝 参照)

ありがとう瞑想は、エゴが生きているのでなく、宇宙意識に生かされていることを確認しながら、自分の本質を思い出していく、一種の気付け薬のようなもの・・・つまり、余計なプロセスをすっ飛ばし、宇宙意識・真我・内在する神とダイレクトにつながる手っ取り早い方法というわけです。

最後に残る言葉はこれだけです・・・・
「ありがとうございます!」

----------------------------------
ありがとうございます。

引き寄せの法則、宇宙の法則