青空の雲のブログ

猛吹雪で車200台以上が立ち往生した様子はニュースで流れたが、青森県横浜町の国道周辺の人々が助け合いの精神で避難の提供や炊き出しを行なっていた。
寒波の中で、頑張っている人がいるのに・・・。
ところで、最近の国会はどうなっているのか?


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青森・立ち往生:「燃料切れ…寒かった」避難、炊き出しも
 車200台以上が立ち往生した青森県横浜町の国道279号。2日午前、前夜の猛吹雪から青空となり、車中や避難所で眠れない夜を明かしたドライバーらが、雪に埋もれた車を掘り出しながら、道路の除雪を見守った。
 むつ市大畑町の運送業の男性(51)は1日午後6時半ごろ渋滞にはまり、身動きが取れなくなった。12時間でわずか100メートルほどしか進まない。缶コーヒーだけでしのぎ「おなかがすいてしょうがない。早く家に帰りたい」と話した。同市の土木建築業、橋本誠さん(48)は深夜に小学校へ避難するまで車内で吹雪が収まるのを待った。「車の燃料が切れそうでエアコンも十分使えない。仕事着のジャケットしかなく、とても寒かった」と疲れ切った様子だった。
 横浜町の30代女性は同7時半ごろ、仕事を終え、5歳の息子を迎えに保育園に行った帰りに渋滞にはまった。2日午前0時ごろまで車の中にとどまり、息子と一緒に近くの小学校の避難所に移った。「猛吹雪の中では雪にはまりそうでとても怖かった。こんな量の雪は初めて」。避難所として開放された横浜町の集会所「大豆田コミュニティセンター」では約60人が一夜を明かした。スクールバスで帰宅中に渋滞にはまったという町立横浜中1年の伊藤衣莉香さん(13)は「吹雪がひどくて歩いて家に戻れなかった。近所の人の家でラーメンをもらい温まった」と話していた。集会所では町職員や近所の人がおにぎりやお菓子を配るなどして、疲れをねぎらっていた。【鈴木久美、宮城裕也】
毎日新聞 2012年2月2日 12時00分(最終更新 2月2日 12時35分)
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ドライバー250人 避難住民が支援
 横浜町やむつ市を通る国道279号で1日夕から2日朝にかけて起きた大規模な車の立ち往生は、氷点下の厳寒の中に500台以上の車が一晩中取り残される異例の事態となった。ドライバーのうち約250人は近くの学校や商店に避難し、身を寄せ合いながら夜明けを待った。改善の必要性が叫ばれてきた現場の道路の脆弱(ぜいじゃく)さも改めて浮き彫りになった。
 「文字通り目の前が雪で真っ白になり、まさに冬の嵐だった」。横浜町職員の大関翔さん(23)は1日午後6時過ぎ、国道279号の立ち往生に巻き込まれた。初めは人が歩くほどの速度ながらも車の列は進んでいたが、天候はいっこうに回復せず、同9時過ぎには全く身動きできなくなった。
 強い寒気と発達した低気圧の影響で、1日夕から吹雪となった県内各地。横浜町の観測では、1日午前に96センチだった積雪が2日未明に160センチに到達するなど、短時間に集中的に雪が降っていた。
 町によると、1日夕に国道の上り坂でトラックがスリップし、雪で身動きできなくなったのが発端。その後も後続車が次々と雪にはまって立ち往生。町は、起伏の多い地形と国道に迂回(うかい)路がないことが事態悪化に拍車をかけたとみている。
 国道を管理する県の除雪作業も悪天候で進まず、同町などでは沿線の学校や集会所を臨時の避難所として相次いで開放。地元住民らも厳寒に取り残されたドライバーを我が家に受け入れたり、あたたかい食べ物を差し入れたりと協力した。
 国道沿いにある横浜町鶏沢の「沢谷酒店」も町の要請を受けて店を一晩中開け、8人が夜を明かした。2日未明には手作りのおにぎり約150個を用意し、立ち往生する車のドライバーらに配った。同じく国道近くに住む中山留吉さん(73)は2日早朝、鳴りやまないエンジン音で立ち往生の事態に気づくと、すぐに妻とともに湯をわかしてコーヒーやお茶をこしらえ、近くの車に配って回った。「いつ自分が助けられる立場になるかわからない。お互いさまだよ」
 むつ市の会社員男性(28)は六ヶ所村の勤務先から帰宅途中、立ち往生に巻き込まれた。時間とともにガソリンが減るのに焦りを覚え、「もうもたないかもしれない」と不安がよぎった2日午前0時頃、近くの消防団の詰め所に避難した。見ず知らずの近隣住民から差し入れられたおにぎりを口にした時、「ああ助かった」とほっとしたという。
(2012年2月3日 読売新聞)


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缶コーヒーで暖 強風、窓の外見えず 暗闇30分歩き避難所へ 猛吹雪 凍える車中
2012年2月2日 東京新聞 夕刊
 前の車のテールランプも見えないほどの猛吹雪、膝まで埋まる雪-。一日夜から発生した青森県・下北半島での大雪による数百台の車の立ち往生で、一台の路線バスに乗客として居合わせた。バス内では暖房が切れ、凍える寒さの中、自動販売機の缶コーヒーを湯たんぽがわりにして体を温め、助け合う乗客の姿がみられた。
 青森県むつ市のバスターミナルを、下北交通の野辺地駅行き路線バスが出発したのは一日午後五時二十分。男性運転手(63)のほか、十代から五十代の男女八人が乗客として乗り合わせた。ほとんどが仕事帰りで、JR大湊線が終日運休となったためにバスを選んだ。
 車列がぴくりとも動かなくなったのは、むつ市中野沢の国道279号を走行していた午後六時半ごろ。運転手が別のバスと携帯電話で連絡を取ると「トラックが道をふさいでおり、通行に時間がかかる」という情報が入った。
 強い風にバスが揺れ、窓は凍り付いて外の景色も見えない。猛吹雪の中、時折稲光がバスの車内を照らす。乗客は目を閉じたり、携帯電話で家族に連絡を取ったりしながら落ち着かない様子だ。
 午後十一時には暖房が切れ、車内の温度がぐんぐんと下がった。体が震える。乗客が携帯電話で調べると、横浜町が指定した最寄りの避難所は約四キロ先。徒歩で行ける距離ではない。乗客は声を掛け合い、近くの自動販売機から温かい飲み物を買ってきて湯たんぽがわりに暖を取った。
 二日午前零時ごろには、バスから約二キロ先にある横浜町林尻の食肉加工会社「日本ピュアフード」の社員数人がやってきて、「工場を避難所として開放しているので寄ってほしい」と声を掛けた。
 下がり続ける気温の中「このまま車内にいてはだめだ」と県職員の山谷博永(ひろゆき)さん(35)が声を上げた。「バスを離れられない」とした運転手以外の八人の乗客はバスを降りた。三十分歩き工場に到着したのは午前三時だった。
 同社は帰宅できなくなった社員約百五十人が残り、食堂で約二百人が夜を明かした。床に敷いた段ボールに寝転がったり、机に伏したりと皆、疲れ切った様子。
 午前七時、同社は避難者に、ピラフや焼きそばなどの温かい食事を提供した。皿が足りず紙コップによそったが、前日昼から何も食べていない避難者も多く、自然に笑みがこぼれた。 (共同・森脇芳和)

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