ヴェルディ歴代外国籍選手列伝 第3回 | BBGのブログ

BBGのブログ

ブログの説明を入力します。

一挙更新!ということで第2回( https://ameblo.jp/2010-worldcup/entry-12598287031.html )からの続きになります。
ヴェルディの歴代外国籍選手振り返り企画、今回の更新をもって無事完結となりますね。

完結編となる第3回は開幕年の1993年から2000年までの8年間の間で所属した選手達の紹介です。
やや「紹介無し」になってしまう選手も多くなってしまいましたが、それでも記憶を振り絞って(笑)合計20選手をピックアップしましたので最後までご覧になってください!


■ヴェルディ歴代外国籍選手列伝(1993年~2000年)

ペレイラ(1993年~1995年)


今でもその名が広く知られている1994年のJリーグMVP。
CBながらカズやラモス、ビスマルクを差し置いてMVPを獲得するあたりから抜きん出た能力の持ち主であることは明らかであり
対人戦の強さは勿論のこと、カバーリングや足元の技術にも優れ現代に持ってきても違和感なく活躍出来そうな程に総合力の高い選手だった。

1993年はクラブが謎のオランダ路線を敷いていたこともあり、前期はハンセン後期はロッサムと「ブラジル×オランダ」というまるで息の合いそうにないコンビを強いられながらも奮闘。
加えて当時の指揮官にまったく指導力が無かったため守備に関してはほぼペレイラ頼みと言っても過言では無かった。

結果的にJリーグ発足以降ひとり目の外国籍選手が未だにクラブ最高のDFとなっており、彼が凄すぎたのか以降の補強に見る目が無いのか判断は難しい所である。


マイヤー(1993年)


今でもその名が広く知られているJリーグ初ゴール男。
初ゴールがどんなゴールだったかを覚えている人間はほとんどいないであろうが、得点後のこのはしゃぎっぷりは今でも多くのサッカーファンの記憶に残っていることであろう。

見た感じからブラジル人選手と思われがちだが、先に挙げたように当時のクラブが敷いた謎の路線に乗っ取ったオランダ人選手。
来日2年前にはエールディビジで年間最優秀選手に輝いたほどの経歴の持ち主で、そんな選手をようやくプロリーグが発足したばかりの国に連れてくるわけだから当時のヴェルディの財力がよく分かる補強と言えるだろう。

が、ヴェルディにやって来てからはこの得点以外大した見せ場もなく2か月で早々と帰国。
たった2ヶ月の所属で未来永劫語り継がれるであろう存在となったわけだからある意味Jリーグ史上最も強運な男とも言えるだろう。

来日時からややウェイトオーバー気味な体型が気になる所だったが、2年前のネット記事にて今の姿を確認した際は体重が実に120kgにまで増加していた。
2年前に何故ネット記事に載ったかと言われれば、もちろんこの「初ゴール」に関する特集であったことは言うまでもない。


アモローゾ(1993年)


Jリーグでの出場経験は一切なし。
なのになぜ取り上げられるかと言われれば、その後歩んだキャリアがとんでもないからに尽きる。

帰国後すぐにブラジル全国選手権で得点王を獲得すると、99年にはイタリアセリエAで得点王に。
2002年にはブンデスリーガでも得点王を獲得し、ブラジル代表としてもコパ・アメリカ制覇に大きく貢献し母国の英雄にまで成長した。

こんな選手が箸にも棒にも掛からない存在だったとは。
当然サテライトリーグでは得点を量産していたようで、これほどまでの逸材をほったらかしにしてオランダ人選手の起用に執心していた当時の指揮官の見る目の無さがよく分かる存在とも言えるだろう。

2006年にはFC東京への加入に一度はサインしながら土壇場で契約を破棄し、13年越しにヴェルディファンをようやくひとつ喜ばせることとなった。


ビスマルク(1993年~1996年)


93年の夏に加入すると瞬く間にチームの攻撃の中心を担った司令塔。
パスを出しても良し、自分で決めても良しと、得点とアシストを揃って量産。
彼がいなければ間違いなく連覇は有り得なかった。そう断言しても構わないだろう。

今はまるで面影がなくなってしまったが、当時はその淡麗な容姿からカズやラモスに匹敵するほどの人気を集め
得点後の「お祈りポーズ」を真似する子供は決して自分だけではなかったはずだ。

そのポーズからも明らかのように敬虔なクリスチャンであり、サインには日本語で「イエスは主」と必ず書き添えられていた。


※パウリーニョ(FW・1993年)は紹介無し
※ハンセン(DF・1993年)は紹介無し
※ロッサム(DF・1993年)は紹介無し
※パウロ(MF・1993年~1994年)は紹介無し


ベンチーニョ(1994年)


イタリアに移籍したカズの代役として獲得し、16試合で13得点と期待以上のスコアを記録。
が、何故だか半年限りの所属で契約非更新となってしまった。

これだけのゴールを挙げながら中盤でのプレーもこなせる素晴らしい選手だったのだが…
恐らくは巨額の資金が必要だったアルシンド獲得のために「犠牲」とならざるを得なかったのだろう。

その後も三度に渡って来日し合計4クラブでプレーしたが、どのクラブでもハイレベルな活躍を披露。
Jリーグ通算184試合出場104得点という素晴らしい記録を残しているのだが、その割には知名度でやや地味である感は否めない。


※カピトン(MF・1994年)は紹介無し


アルシンド(1995年・1997年)


そんなベンチーニョのクビを切ってまで鹿島から獲得してきた大物ストライカー。

その特徴的な頭髪、そしてアデランスのCMに出演したひょうきんなキャラクターばかりがクローズアップされがちだが
93年から2年間で50得点を挙げたという超優秀なストライカーであり、ハゲなのに足が速く(失礼)ハゲなのにFKを得意とするほど高い技術の持ち主であった。

ヴェルディでも武田やカズと上手いこと共存し38試合19得点とハゲなのに申し分のないスコアを残したのだが、鹿島時代に比べるとどうしても物足りなさが残ってしまう感も否めなかった。
逆に言えばそれだけ鹿島で見せた活躍が鮮烈だったということだろう。

また、得点力もさることながらハゲなのに「守銭奴」としても名高く、鹿島でもそしてヴェルディでもいずれも金銭面の問題により退団。
ヴェルディを退団後は当時JFLに所属していたコンサドーレが獲得に至るも、試合中に審判を15回も「バカ」と罵倒して長期出場停止処分を受けるなどトラブルが絶えずに途中退団となった。
コンサドーレは彼の獲得に当時では異例となる巨額を捻出したらしく、この「しくじり」のせいで長らくの経営難に陥ったとも。
恐らくコンサドーレファンからすればただのハゲであり、歴代最低助っ人の筆頭候補となる存在だろう。

97年にヴェルディに復帰するも、いかんせんチームがすっかり下降線を辿っていたため大きなインパクトは残せなかった。


※エンブー(MF・1995年)は紹介無し


カイコ(1996年)


名前がネタでしかないのだが、ブラジルでは名門インテルナシオナルに所属。
ワールドユースでは中心選手として活躍するなど中々の経歴の持ち主だった。

が、しかし自身の名前にはどうしても抗うことが出来ずにシーズン終了を待たずして解雇されることとなってしまう。
プレースタイルはほとんど記憶になく、とにかく「カイコが解雇された」ということしか覚えていないのが正直な感想である。


ドニゼッチ(1996年)


前年はボタフォゴのブラジル全国選手権制覇に大きく貢献し、最優秀選手のタイトルを獲得。
ブラジル代表としても活躍し宿敵アルゼンチン戦で決勝点を挙げるなど、そのネームバリューは超一級品。

…だったのだが、残念ながらネームバリューほどのインパクトは放てずじまい。
「20点ずつ取る」と豪語したカズとの相性があまりよろしくなく、どうやらチームにもなじめなかったようで半年限りで退団することになってしまった。


退団理由に「首都高の渋滞が我慢できなかった」という点を挙げたことが話題を呼び、約10年後にこうして「月曜から夜更かし」にて紹介されることとなったが
「長髪だったけど実はカツラだった」というエピソードと含めて一切ソースは無く真偽は大変怪しい所である。


アルジェウ(1996年~1997年)


見た目の通りファイターというタイプの選手で、上背はそこまで無かったのだが空中戦で無類の強さを発揮した。
コーチングも強烈で、しばしば守備を放棄して前線まで駆け上がっていく様など「ヴェルディ版闘莉王」のような選手だったと言えるだろう。

2年目は怪我の影響でシーズンの半分近くを棒に振る形となったが、非常に能力の高い選手でクラブの歴史の中でも「名DF」のひとりと言えるだろう。
その後はポルトガルの名門ベンフィカなどでも長らくプレーし、キャリアの最晩年は中国でプレー。
練習試合で日本のクラブと対戦した際には「六本木が恋しい」とのコメントを残すなど、ピッチ外でも日本を満喫していたことが伺える。


マグロン(1996年~1997年)


レオン監督就任に合わせてアルジェウと共に来日。
192㎝という長身ながら「鉛筆のようにやせっぽち」という愛称「マグロン」から分かるように非常に線が細く、こういう選手は往々にして「デカいだけ」なのだが…この選手の場合はそのセオリーが当てはまらなかった。

身長を活かした空中戦の強さは圧巻であり、それに加えて足元も上手いために加入直後からフル回転。
14試合で13得点という驚異的なペースで得点を量産し、天皇杯優勝にも大きく貢献した。

だったのだが、マグロンへの放り込みの多さが「ヴェルディらしくない」との批判を受け、結果的に自身の活躍が引き金となって恩師のレオンは退任に追いやられてしまう羽目に。
翌年は加藤久、エスピノーザ両監督から評価を得られずほとんど出場機会を得られないまま退団という結果に終わった。

その後は02年にガンバ大阪の選手として再来日を果たし、加入初年度から22得点を挙げるなど大活躍。
多くのサッカーファンにとっては「ガンバの選手」という印象が強く、ヴェルディに所属していたという事実はあまり知られていないことだろう。


ジアス(1997年)


マグロンと同様にヴェルディよりも清水での活躍の方が世間では印象深いプレーヤーだろう。
というかヴェルディに所属していたことを知っているサッカーファンはほとんどいないのではないだろうか。
いや、というよりもヴェルディファンですら彼の所属を記憶している者はあまりいないことであろうと思われる。

エスパルスでは年間17得点と大活躍を見せたが、ヴェルディでは6月からの加入ということもあってわずか3得点と活躍できず。
この年は年間4人の監督が指揮を執るなど特に混乱の強い一年だった不運もあったが、清水時代のキレのある動きは見られず失望感の強い選手となってしまった。


※ジニーニョ(DF・1997年)は紹介無し


エウレル(1998年)


こちらも世間的には後の鹿島での活躍の方が印象深いであろう、「風の子」の異名を持つ瞬足ストライカー。

しかし、2年で11得点に留まった鹿島時代に比べて1年の所属で12得点を挙げたヴェルディ時代の方がその活躍は鮮烈であり
何より特質すべきはその12得点を全て前期の内に挙げたというその得点率。(出場16試合)

98年前期は一時首位に立つなど久々にヴェルディがJの主役へと躍り出たのだが、後期は18チーム中17位と大低迷。
監督交代やフランスワールドカップでの「カズ&北澤落選」の悲劇など理由は様々だったが、一番の理由は彼が負傷により全く出場できなかった事だろう。

結局このまま1年で退団となり、まさに「風の子」のように半年間の強烈な活躍だけを残してチームを去って行った。


エンリケ(1998年)


この頃はとにかく外国籍選手が出たり入ったりと忙しく、98年と99年は別々の「エンリケ」が2年続けて所属したのだが
ひとり目のエンリケはブラジルA代表経験があるほどの実績を持つ金髪のセンターバック。

エウレルと同様にエンリケも後期はほとんどの試合を怪我で棒に振り、エウレルほどとは言わずとも少なからず後期の低迷の要因を担うこととなってしまった。
終盤数試合で復帰したものの、結局この怪我が原因となって引退にまで追い込まれてしまった模様。

プレースタイルは残念ながらあまり記憶にない。
「ファイヤーフォーメーション」みたいな布陣を敷くニカノールサッカーの中で、果敢な攻撃参加で更なるファイヤーの一因を担っていたようないなかったような。


モアシール(1998年)


キャンプを終えた3月という段階に、当時のニカノール監督の強い要望のもと「4人目の外国籍選手」として加入したこちらも元ブラジルA代表のMF。

そこまでして獲得しただけに選手としての能力は高く、ブラジル人らしい技術はもちろんのこと守備面でもその貢献度は抜きん出たものがあった。
2列目に前園・北澤・カズを並べて、ラモスをボランチ起用なんていう布陣で上位を争えたのは間違いなくこの男が中盤の底にいたからであろう。

…だったのだが、エウレルとエンリケと同様に彼もまた怪我の影響で後期は半分近くを欠場することに。
エンリケはともかくとしてモアシールがいれば後期も恐らくはもう少し戦えていたことだろう。

ボランチでありながら2番という異色な背番号と合わせて個人的にとても好きな選手のひとりであった。


フェルナンド(1998年)


前期の主力選手が相次いで怪我に苦しみ、後期途中に緊急補強となったストライカー。
10試合で5得点と言うことでそれなりの活躍は見せていたのだが、プレーはほとんど記憶にない。
改めて記録を振り返ってみると5得点のうち3得点はPKということでなるほど記憶にないわけだ。

ラモスの現役ラストマッチとなったシーズン最終節でそのPKを彼が蹴り、「え?お前が蹴るんだ」と思った点だけは記憶に残っている。


※エドウィン(MF・1998年)は紹介無し
※ジャイール(不明・1998年)は紹介無し
※ダニエル(DF・1998年)は紹介無し



エンリケ(1999年)


前年オフに経営不振から11人を解雇するなどクラブの予算規模が大きく縮小されただけに、この年から外国籍選手のクオリティも大幅に低下。
ブラジルA代表経験も持つ第1号とは違い、第2号のエンリケは選手としてのスケールも大きくダウンした感は否めなかった。

その分まぁまぁ頑張る子ではあったのだが、如何せん一番求められていた得点能力が圧倒的に足らず。
怪我の影響もあって16試合2得点とあまりに寂しいスコアのまま1年限りで退団となった。
それまでのヴェルディであれば恐らく前期で解雇となっていたことは間違いないだろう。


ジュリオ(1999年)


予算規模の縮小を最も肌で思い知る羽目になった外れサイドバック。

名前的には何となくやりそうな感はあったのだが、出場5試合とほとんど戦力にならず。
特に守備意識の低さから本来のサイドバックとしてはまったく評価を与えられなかったようで、たまの出場機会も大半がMFとしての出場であった。

今でこそこれくらいの外れ助っ人の獲得はよくある話だが、長らく「元ブラジル代表」などに慣れ切っていた当時は「こんなレベルの選手しか取れないのかよ」とまぁまぁ絶望した記憶がある。
それまでのヴェルディであれば恐らく前期で解雇となっていたことは間違いないだろう。


ジェフェルソン(1999年)


どこの馬の骨ともわからなかったこの年のブラジル人組の中では一番の当たりとなったのは彼。
3得点と記録だけを見ると寂しい限りだが、パスサッカーを基本とする李国秀体制の中で貴重な「突破役」となりスコア以上の存在感を示した。
本来その役割が求められた新加入の山田隆裕がフィットしなかったことも彼にとっては追い風となっただろう。

ドリブル以外にも比較的何でもできるタイプの選手だっただけに李総監督からの評価も比較的高く、21試合に出場。
プレーもさることながら、クラブから「ヴェルディの西郷隆盛」という訳の分からないニックネームを授かっていた点も非常に印象深い。


キム・ヒョンソク(2000年)


前年のブラジル人選手の補強が「ほぼ失敗」に終わったこともあり、勝手知ったる母国の選手をということで李国秀が連れてきたコリアンストライカー。

来日時で33歳とベテランの域だったが、際立ったのはとにかくその決定力。
回ってきたチャンスはほぼ沈めると言うほどの決定力でゴールを決めまくり、指揮官の存在も良い手助けになったか来日直後から瞬く間にチームにフィットした。

母国では長らく蔚山現代で活躍するレジェンドだったようだが、韓国サッカーにまでは詳しくなかった当時は「こんな選手が韓国にはいるのか」と強い衝撃を覚えた記憶がある。
結局海外挑戦はこの一年だけで終え、翌年からはまた蔚山へと戻りKリーグではいまだに歴代最多得点の記録保持者だとか。
短い所属ではあったがクラブ歴代最高峰の助っ人のひとりと言えるだろう。


キム・トグン(2000年)


キム・ヒョンソクが予想以上の大活躍を見せたことでこの年の6月に追加で獲得した韓国人MF。
フランスワールドカップのメンバーに選ばれるほどの実績の持ち主で、ユ・サンチョルやノ・ジュンユンと並び7番という主要番号を背負うほど実力が評価されていたらしい。

しかし、ヴェルディではあまりパッとしなかった為に外れ助っ人としか記憶されておらず、後にこの韓国代表としてのキャリアを知った時には大きく驚いたほどである。
当初はFWで起用されるとも報じられており、キム・ヒョンソクの活躍もあって「いったいどんな2トップになるのか」とワクワクしていたのだが、最終的にボランチとかで使われていた記憶。


※梁圭史(MF・2000年)は紹介無し
※レイナルド(MF・2000年)は紹介無し



■総括

ようやく無事完結となりました(笑)
第1回の更新はサクサクと進んだのですが、今回更新した41選手はまずひとりひとりを思い出すのに非常に時間がかかることになりましたね(苦笑)
特に川崎時代の選手達は記憶がおぼろげな選手が多く、第3回では実に10名以上の選手が「紹介無し」と言う扱いになってしまったことは申し訳なく思います。

…とは言ってもさすがに「出場0試合」や「数か月で帰国」といった選手を思い出すのは無理がありますよね。
ここまで自由に選手が出入りしていたチームは当時のヴェルディくらいだと思うので、この企画に「一番向いていないクラブ」だったのではないかと思います(笑)

こうして各選手を振り返りますと、第1回と同じ感想になりますがやはり攻撃陣にタレントが集中していますね。
これはどのクラブでも同じことだとは思うのですが、ヴェルディの場合は極端にDFに良い選手が少ない気がします(苦笑)
サイドバックの「当たり助っ人」はゼロ人、CBもペレイラ、アルジェウ、ロペス、ウベダくらいしか優秀と呼べる選手はいないのではないでしょうか。

・・・それだけに相当難しい挑戦ではあるのですが、今回の企画で紹介した合計73名の助っ人選手達から「ベストイレブン」を選出しましたので最後にそちらを発表して締めくくりたいと思います。
「ヴェルディ歴代外国籍選手ベストイレブン」はこのようになりました。


やっぱり無理がありますね!(笑)
それでは!!!!