新年号が「令和」って発表になって、あっという間に10連休。
平成が令和になっていく、世の中の出来事・・めずらしく日本全国が「ゆくとし、くるとし」そんなモードに盛り上がってた。
平成元年・・そんな文字を見ると、「あんな時期だったんだなぁ」と・・少し懐かしいような、怖いような。
「令和婚・・」
ちなみに・・私は平成婚です。
もう・・31年も経つと、さすがにいい歳になっちゃってます。
いろいろ整理してたら、平成元年に結婚した、友人の引き出物が見つかって。
なんと・・平成31年間も温存し続けられていた、ケトル。
開けたら・・埃まみれで、箱も当時のまま。
箱を開けたら、令和の時代へ・・・。か
あはは・・・浦島太郎みたいね。
おそるおそる・・お湯を沸かしてみたけど、使えましたよ。
♪ともに過ごした、この街の記憶が、ずっと輝けるように・・・♪
そして、最近届きました・・膝が悪くて歩行困難になってしまった私に。
モップクリーナー?床をモップやホウキでゴミを集めてきて・・吸わせる仕組み。
温存させずに、仕様開始です。
掃除機もいろいろあるのね・・・。
ちょっと・・罰当たりな事実を
この10連休中には、スライサーで親指を切りまして。
なかなか止血しないから・・緊急に休日緊急外来で総合病院へ行って・・
スライサーで、こんなに切れるんですかね・・と聞いたら。
止血するのは、明日の朝ぐらいですから・・来院されてよかったですよ・・と励まされて。
休み明けに、町医者の整形外科で経過をみせたら・・
出血のひどさにびっくりされたのか・・「なんで、こんなに真っ黒なんですか」と聞かれてね
「血です」と答えたら・・「それは、わかります」と。
・・・おそるおそる・・テーピングやガーゼ等を外すにも、自分でやりました。
「これは・・凄かったね」とびっくりさせてしまいましたけど、・・私の行ったのは病院ですけど。
あんなに・・びっくりされる先生にも、すこし戸惑いました。
てな・・平成から令和になっての出来事でした。
今日は木曜日だから。。また嵐さんたちが見れます・・楽しみです。
家を新築して、環境も変わり・・早いもので3ヶ月点検となりました。
そんななか。。旧家がそのまま隣に残っているので、納屋状態になってますが、
ようやく、ひとつひとつ生活が定着しつつあり、必要なものだけをそろえても、
いろいろと物品も、下手すると増えて仕舞う一方のようです。
ずいぶん・・コンパクトシリーズが増えました。
炊飯器は1升から1.5号のものに変わり、両手鍋も、本当にこれで足りるの?
って感じにコンパクト。
お豆腐1丁サイズのトレイとザルセット・・
なんだか・・・小っちゃい。
ほんの数年前は・・給食の調理場仕様の調器理器具並の大きいもので、
大量の食事のしたくに・・冷蔵庫も二つあって・・冷凍庫も別にあり・・
もう・・クタクタ家事支度な毎日でした。
それにしても。。今年の新年明けからの家事は・・まるで別世界。
生活環境がガラリと変わると・・頭と体が一致しなくて、心の居場所も放心状態。
もっと・・・若かったらなあ・・・なんて思ったりもするけど、
゜自由゛って、わりと不自由なものだったのかな?なんて思うようになりました。
ずっと長い間、時間と人と、規制に拘束されていた生活。
何にもとらわれずに・・生活する、って、・・
やりたいこと、なんでも可能なはずなのに、何にもできない。
あんなに、やりたいこと、一杯あったのにもかかわらず、
やる気もなくなっちゃって、・・
人との関わりも、疎開状態になってしまっているのかも?しれない。
ある程度のルールや規制って必要だと思い始めてます。
大野さん・・アイドルという枠が外れて、
体が覚えている日々の感覚とか、野望とか、
そのままでいられるのかな。
やっても、やらなくても、自分次第な状態とか、
本当にやりたいことができる環境とか・・
とらわれ感がない自由って、ちょっと不気味な感じ。
「自由な生活をしてみたい・・・」って、私もずっと日々思ってたけど、
なかなか気持ちが追いついていかない。
時間がもったいないから、早くやらなきゃ・・なんて焦りもないし、
私の場合、体の自由が利かなくて、残念なことばかり。
結構、堂々巡り。
何が言いたかったのか?
やっぱり、変だな・・・私。
「嵐はこれで終わりじゃない。絶対にまた戻ってくる」
久しぶりに、こんな記事があったんだ・・って、心にゆとりを持つ力が湧きました。
WEB女性自身の記事ですが、一部抜粋します。
2月5日頃の記事なので、休止宣言後間もないころですね。
自分の気持ちを、はっきり表現するのは、覚悟と勇気も必要ですが、
なによりも・・「本物の努力」が必要だと、思っています。
努力には「本物」と「見せかけ」のものがあるそうです。
きちんと、本物の努力をすることが、人生をよりよくするためには必要な区別なのだそうです。
自分にとって、「結果が出ていることの行為を続ける努力」であり、得られる結果を広げて極めていくことこそが、「自分にもっとも向いているもの」とすることが本物なのだと。
努力が報われるのは、誘惑や迷いに惑わされることなく、正しい方向に向いているときだそうです。
「結果が出てること」を続ける・・大野さんが自分の気持ちと向き合いながら、自由な時間を持ちたいと宣言する努力は・・・本物だったからこそ、4人のメンバーも心が納得できたのだろう・・と、思えるようになりました。
突然・・向きを変えられたように感じもしたけれど、
本来の自分を見失わずに決断できたことは、「大野さんと4人が努力して得たこと」だったということなのでしょうね。
例えば・・嫌だけど、我慢して続ける・・・という努力は、
「見失う」という努力になってしまうところだった。
智くん・・・応援してる。
嵐・・最強です。
大野さん・・あと2年は活動してくれるって、言ってくれましたけど。
Mステの嵐さんたちを見ると・・もう・・今までのように見続けることができていない。
ひまわりの約束・・このうたを聞いてる時も・・もう・・全部あなたたちへのメッセージに思えてしまいます。・・もちろん、そんなことは無関係に構成されているはずなのに。
「君のうた」・・・丁寧に丁寧に・・言葉を放ちながら、
TVの音響となって伝わってくる伝わってくる。
心の言霊みたいに・・。
笑ってくれていても、真剣に話してくれていても・・
もうね・・こっちは涙目になっちゃいます。
生歌で聞こえてくるのが・・心に響く。
何か・・メッセージが伝わってくるんだけど・・すごく苦しい。
もっと・・ほんとうに言いたいことが、あるのかな。
もっと・・・肝心なことを話してくれてなかったのかな・・・
あと2年・・で、見れなくなってしまうんですね。
あーあ。
こんなに心一杯に占めていた。
もっとやらなくちゃいけないこと、たくさんあるのに
なかなか、心が納得してくれない・・・困ったナ。
こんな嵐さんたちが・・ずっと続いてほしい・・って、そう思っているだけなのにな。
岡村隆史 嵐の活動休止に「すごい決断」「大野くんってええな!」
「ナインティナイン」の岡村隆史(48)が1月31日深夜、パーソナリティーを務めるニッポン放送「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」(木曜深夜1・00)に出演。2020年12月31日をもって活動休止することを1月27日に発表した国民的アイドルグループ「嵐」について言及。リーダーの大野智(38)を絶賛した。
文春さんは、大野さんのことを記事にしてるらしい。
大野くんがカラオケに行って、「島人ぬ宝」を熱唱して、
「アイドルは嫌だ」と叫んだ・・と。
そりゃ・・・そうでしよ。
いいじゃないですか・・何を叫んだって。
彼は、子供から大人になっていく過程で、アイドルになれて・・
売れすぎて、やめられなくなっちゃって、
しかも・・やりたいことが、いつか出来る日がくるまで、心に大切に秘めて。
人を喜ばす、職業に就いちゃって・・・
気がついたら・・・浦島太郎のこどく、周りの状況があれ?ってなって。
自分のいる世界と目に見えてる世界は・・・何かか違うのかもって気づいて・・。
「もう・・やーめた!!!!!!!」ってなっても・・・不思議じゃないですよね。
人形じゃないし、生きてるんですから・・・いつか老いていくわけです。
やりたいこと・・・いつやるんですか。
言いたいこと・・いつ言うんですか・・・
そのうち・・・・人気がなくなって、アイドルから退ける日がくる・・・と思っていたのに、
もう・・・40歳になっちゃう。
そりゃ・・・言いたくもなるのもわかるし、あたりまえです。
某番組で、「恩送り」という言葉を知りました。
恩返し・・とはよく言いますけど、
恩送り・・・・すごく暖かい言葉だなぁと、心に滲みました。
次世代をつなぐ意味だそうです。
恩返しするのではなくて、次に出会う試練に悩める人へ
自分が受けた恩を送るのだそうです。
いつか伝説として「嵐の生き様」を伝えたいですね。
文春さん・・・そのことが、事実なら、
大野くんの叫びの記事を伝えてくれたこと・・・ありがとう・・って思うことにします。
いろいろ大変たった時期が過ぎていくなかでも、だんだんと緩和されたり、
見直されたり、信じていたものを失ったり・・
娘を中学受験させるために燃え尽きた時期もあった。
家族の関わり方もいつしか変わり、果たす役割も変わりつつあり、
・・・出来ることと、やりたいことが、自分でも見つけられていた。
思うことばも、たくさん綴られていく日記や手帳。
2008年ごろから激変していく。
いつしか、何気なく見ていたものが・・
大野くんを知ることになる、「魔王」の成瀬さん。
当時は成瀬領役の彼のこと・・何も知らなかったから・・
どちらかというと、成瀬領の役者さん・・この人は誰?なんて表情の優しい人なんだろうと気になって、auの宣伝に出ていた大野くんの歌声に・・綺麗な声で歌うのね・・この子って、別の人だと思っていたから、同じ人だと知るころには、魔王は最終回になってしまい、・・・
ちょっと、成瀬さんロスになってしまったことがあった。
それからは・・このブログが始まるんですけどね。
成瀬さんロスになったとき・・大野智さんのこといろいろ知るうちに・・
どこか、遠くを見ている感じが拭えなくて。
嵐さんたちの活動中止宣言を聞いてからは・・
どうも・・いつか味わった○○ロスになりそうな危機感が蘇ってきて。
どこをどう軌道修正すれば、この思いから脱出できるのだろうか・・と、
そのことばかりで一杯になってる自分が・・苦しい。
自由って・・・誰からも何もとらわれない時間を得る・・・って、
かつての、自分が置かれていた日々から、一変した今の私の生活。
欲しかったものが手に入ったと実感しつつある、今。。
・・・
これは、この瞬間をはじめて味わった人にしか理解できない・・怖さもある。
昔・・カウンセラーの師匠に言われた言葉・・
「籠の外に出たいと思っていたあなたが、本当にその籠の外に出たとき、何が手に入ると思う?」とね。
今の私なら・・・「生き様」が得られるような怖さと期待がある。
でも・・もっと健康な状態でいたかったな。
大野君・・・本当によかったね。
自分の中にある、本当の気持ちが伝えられた勇気と引き換えに得られた、
これからの自由な時間を楽しんで欲しい。
あと2年とない嵐としての活動が・・幸せな時間になりますように・・。
なんの意味もないように見えますが・・私にとってはあるんです。
青い色・・。
ケトル(やかん・・から呼び名も変わった)
そして・・こんな簡単なことですが・・
自分が欲しいから、自分で納得して、自分で買うって決めた。
実は・・私は、この自分のために、自分で選択して、自分で決める・・
この決断ができずに、ずっ~と、生活してきました。
こんなことが、できないから、いろいろなことに悩み、後悔、悲しみ、逃げる、
様々な事柄を諦めることで、自分の気持ちを納得させてきた・・人です。
決断力なし・・ということだったのか?と思うこともありましたが、
どんな経緯も、自分で決めたこと。
自分のために生きることは、不徳なこと、自分を犠牲にすることが美徳なこと、
そして、必要とされる。。。と、それが私の信念でした。
(だから何?の綴りなので、小さく記載しておくことにしました。)
結婚して、旦那の両親と同居して、子供が授かり・・
5年後に姑さんは脳梗塞で倒れて、右半身不随の障害者2級となり・・・
舅さんは、脳に傷害があり「てんかん」の症状があり、
近くに住む、叔母夫婦とその子供・・・
旦那は一人っ子・・・
自分の子供二人を合わせたら・・10人の大人数でした。
もちろん・・自分のことなんて、一切何もやらなかった。
嫁にきて、スカートで過ごしたことは、この30年間一度もありません。
酷いときは、三日に一回の入浴。
入るのは、一番最後・・でも、夜中になってしまうから・・「電気が明るくて眠れない」なんてことを姑さんからも言われ・・・何度、泣いて暮らしていたことか。
ちなみに、お風呂から残り湯を、外の洗濯機までバケツで何度も運び、
(残り湯のポンプなんて、届かないほど離れているんです。)
何がよくて、この家に嫁に来たのか?・・・と思う暇もなく。
今、思えば、実母から逃れるための手段として選んだことだった。
実家に帰ると・・・
嫁ぎ先の姑さんと叔母は、いつも、私の悪口を言っていた・・と、
ここ最近、知りました。
・・・そんなことも知らず・・・嫁業をつくし・・家業をこなし・・あるとき罪も被り、
それでも、逃げようともしなかったのは・・たぶん、私のこの正しいと信じていた信念の証だったのかもしれなかった。
俗にいう・・・マインドコントロールされてる生活。
今思えば、・・恐ろしくなるほどの苦行。
これは、私に課せられた試練なんだな・・と頑張ってしまいました。
・・まぎれもなく・・平成なんです。
暖房もね・・重ね着暖房です。
なぜか結婚するときに増築されたダイニングキッチンが2階にあるのですが、
姑さんが倒れた時期から、新設されたキッチンでの生活は皆無になり、
あの部屋は・・ダダの汚部屋になって、物置状態になってしまいました。
家がスカスカなんで、電気代がかかるので、こたつのみ。
でも・・炬燵に入っていられる暇もなかったんです・・
あの頃は。
大分断捨離を進めていくうちに・・
見つかった・・手帳。
「あ~・・こんなに辛い時期の」それこそ、25年くらい前の。
1994年の自分の気持ちが、たくさん綴ってありました。
まさに・・断捨離塾のやました先生の言葉通り。
誰からも「しばられない」
誰をも「しばらない」
そんな独立した人間同士の
自由闊達な人間関係づくりを
構築していくのが、
断捨離の目論見なのですからね。
1994年ころには、到底たどり着くことのない言葉。
それでも・・綴っていた歌詞があった。。(よく聞いてたなぁ・・・)
今井美樹さんの「Piece of my wish」の歌詞につづいて、
どんな困難や、苦しいことがあっても、必ず夜が明けて明日がくるから・・・
前を向いていこう・・・とあった。
言葉に綴ることで、自分を慰めていた頃だった。
長女4歳、次女2歳・・・・とある。
なんで、もっと自分に素直に生きれなかったのかなあ・・・と。
そんな私にも・・自由という選択が欲しかったんだな。
改めて・・・この曲を聴いたら・・・いろいろ気づくことがありました。
続きは、次に。