「安珍と清姫」 1960年 (市川雷蔵28歳)

 

 

[制作]監督:島耕二 脚本:小国英雄 撮影:小原譲治 美術:西岡善信 

[出演]市川雷蔵:若尾文子:浦路洋子:片山明彦:荒木忍

 

 若い修行僧安珍(市川雷蔵)は紀州道成寺への道の途中の真砂村で一休みしている処を矢で射られ腕を負傷する。矢は村庄司の娘清姫(若尾文子)が狐を狙って放ったものだった。清姫は安珍の美貌に魅せられ屋敷へ伴い介抱するが、安珍は修行の身であると若い女を遠ざけようとする。

村の長者の息子信綱の求婚にのらりくらり逃げている清姫だが、自分を避けようとする安珍の態度に怒りつつ惹き付けられて行く。

 

 

ある夜山の湯に入っていた安珍の前に清姫があらわれ全裸をさらし切々と安珍に恋心を訴える。ついに安珍は清姫にほだされ「自分が修行の身で無ければ…」と同じ苦しむ胸の内を明かす。それを聞くなり清姫は「ほほほ」といきなり勝ち誇ったような高笑いをする。

「高慢に行い澄ましているが一皮剝けば他の男と同じじゃ」と。

 

 

翌朝、矢傷も癒え帰りに立ち寄る約をして安珍は道成寺へ向かった。清姫は見送りにも出なかったが、安珍の心をもてあそんだ仕打ちを後悔し、秘かに山寺へ詣で安珍の無事を願うのだった。

 

道成寺への参籠を終えた安珍は帰りの道の小さな庵で清姫と再会する。ここでも恋心を訴える清姫と安珍はついに契りを交わす。しかしまだ迷いの中にいる安珍は庵を抜け出し森を彷徨い歩いた。

 

 

一方村人達は田畑へ流す水利権をもつ信綱との結婚を望んでいたが、清姫は信綱との結婚をきっぱり断る。憔悴して村の近くまで戻って来た安珍は、村人の困惑を知り清姫が信綱と一緒になることが村や姫の為でもあると、もと来た道を戻る決心をした。

清姫は安珍がまた道成寺へ向かったことを知り、ひとり後を追って家を出た。野を越え山を越え日の照りつける砂州を越えやっと遠く歩く安珍の姿を捉えるが、清姫の呼ぶ声に耳を塞いだ安珍はひたすら逃げる。そして日高川にたどり着いた安珍は舟に乗り川を渡った。

 

 

舟の無い清姫は川岸の大岩の上から恨めしげに対岸を見やるがスワッと川に飛び込む。泳ぎわたるつもりでいたが、早い流れに巻かれ水底に沈んでしまう清姫。その清姫の執念がいつしか蛇体となり川面にぽかりと大蛇となった頭を出し川を泳ぎきり道成寺の安珍のもとへと迫る。

寺へ逃げ込んだ安珍は激しく祈祷するが気を失いその場に倒れてしまう。

 

寺の僧達は安珍を鐘の中に隠すが、そこへ川へ身を投げたはずの女が近づいて来る。女が鐘の周りを恨めしげに回りはじめるといつしか大蛇に変わり赤い火を吐き鐘を焼き尽くしてしまった。鐘共々焼き尽くされたのは安珍の夢であった。気がついた安珍は今こそ激しく求めていた清姫の姿を探して日高川の岸にその亡骸を見つける。安珍は一生を清姫の菩提を弔う心を固めるのだった。

 

>遅いんじゃ安珍っ!! って感じですよ安珍。清姫は全編安珍を追って走り回るし安珍雷様はヨロヨロ逃げ惑ってるし、なんという優柔不断かと思いましたが、皆が皆「愛に生きるのが人間の本来あるべき姿」なわけでもなく「信心に一生山に籠る人生」もあっていいわけだけど。結局安珍は清姫への愛を選んだのですね。でもおそいんじゃ安珍。

 

 

有名な「道成寺物語」ですが、丸刈りにした雷ちゃんの頭は生々しく、安珍の苦悩を絵にしたような昏い恐ろしげな森を彷徨う姿、砂州で風にかぶり物を煽られる場面は詩的で美しい絵に、一番心配した大蛇は意外に良く出来ていて身体をくねらせながら水面を渡る場面はリアルで絵になっていました。

大映映画の美術はホントウに素晴らしいです。

 

 

>ところでこのGWは2週間ほど帰省していました。

家にはパソコン、ネット環境いっさいなしなので久しぶりにブログを書きましたが、なんかダラダラ〜な文章になってしまいました。

雨が多くて大好きな草むしりも出来ず一念発起。畳を剥がしてキングサイズのベットを作ってみました。なかなかウマく出来たので今度ご紹介いたします。