永井荷風の短編「狐」にこんな一節があった。
「蟻、八十手、蜈蚣、蚰蜒、蚯蚓、小蛇、地虫、鋏虫、冬の住家に眠っていたさまざまな虫けらは、…」
これら虫の名前、殆どの人が読めないと思うが「あり、やすで、むかで、げじげじ、みみず、こへび、じむし、はさみむし」と書いてある。
大抵は平仮名かカタカナで書くと思うが、この作品は全て漢字で書いている。虫に限らず全編その調子だから、敢えてそうしているのだと思う。
つくづく日本語は表現豊かな言語だと思う。害虫でさえ、こんな風情ある文字で書き表せるなんて。
日本語は日本人でさえすべてカバーしきれないほど、多種多様な言葉がある。今挙げたのは、読めれば意味の分かるものだが、読めても意味の伝わらないものもある。
例えば「納戸色」。お納戸の暗がりのような、緑がかった青色のこと。
これも意味を知らない人が多いと思う。自分も最近まで知らなかった。けれど、文字から何か美しいものが感じられた。これこそ、漢字の威力だと思う。
目立つもの、大きいものだけでなく、小さいもの、とるに足らないもの、ありとあらゆるものに漢字をあてて、森羅万象に命を吹き込む。日本語は、日本人特有の思いやり、どんなものも愛でる感性が詰まっていると思う。
例えげじげじでも、漢字をあてると、字面の美しさが手伝って何か綺麗なものにさえ感じられるから不思議だ。