神に従うことを決心することにおいて遅すぎるということはない
その後で、イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取り降ろすことをピラトに願い出た。ピラトは許可を与えた。そこで彼はやって来て、イエスのからだを取り降ろした。
以前、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを、百リトラほど持ってやって来た。
彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料と一緒に亜麻布で巻いた。
(ヨハネの福音書 19:38-40 SKY17)
観察
この2人は、ユダヤ人コミュニティーから外れてしまうと言うことを恐れて、イエスの弟子と言うことを公然に言えなかった人たちである。ユダヤ人コミュニティーから外れるという事は恐ろしいことである。
9章に出てくる盲人の癒しをした場面でも、盲人の両親はユダヤ人コミュニティーから外れることを恐れて、本人は40歳を超えているので本人から聞いてくださいと律法学者たちに答える場面がある。つまりコミュニティーから外れてしまえば生きる術を失うと言うことである。
生きるすべを失うと言う事は、収税人のように同胞から蔑まれて、敵意を持たれたりして生きてゆかねばならない。
この点においても、イエス伝道団は親戚筋や近所の固い絆と、リスルートした弟子たちと(漁師の弟子は親戚とも言われている)の固い絆があった。
アリマタヤのヨセフとニコデモの評価というのは人によって賛否両論あるが、私は十字架に際して、彼らは踏ん切りをつけてイエスに従ったと言う点で評価すべきであると思う。人それぞれのスタート地点があって私は良いと思っているので高評価している。
適用
神に従うことにおいては、遅すぎると言う事は無い。
神に従っていて、失敗をしたり知らずに犯した罪において悔い改めたりして、リスタートするのに遅すぎる事は無い。
主に従うことを諦めてはならない。
祈り
傷口が早く良くなりますように。ザアカイクリスマスのために骨を折っている妻やスタッフをニコデモやヨセフのように評価してあげて下さい。私のお腹の痛みも半減していること、日に日に良くなっていることを感謝いたします。メリークリスマスあなたは人が私のために、また世界のために神であるにも関わらず、神の位を捨てて人間となってこの世に生まれてきてくださったことを感謝いたします。アーメン
写真は毎年恒例の年越しどん兵衛の日
2025年最終礼拝の日











