愛が動機のキリスト信仰 コリント人への手紙Ⅱ 5:15 JCB | 進藤龍也牧師のヤクザな日記

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愛が動機のキリスト信仰


「キリストは全人類のために死んでくださいました。それは、キリストから永遠のいのちをいただいて生きる人がみな、もはや自分を喜ばせるためではなく、自分のために死んで復活されたキリストに喜ばれるように生きるためです。」

‭‭コリント人への手紙Ⅱ‬ ‭5‬:‭15‬ ‭JCB‬‬


観察

パウロからのコリント教会への第二の手紙で一の手紙でかなりの叱責の後である。フォロー的な意味合いも強く感じられる。見捨てない愛が感じられる。


私たちは神を愛しているから、人を助け、家族を助ける。

私たちは神を愛しているから犠牲を払い、礼拝に通う。

私たちは神を愛しているから信頼しているから忠実な献金を捧げる。


‭‭コリント人への手紙Ⅱ‬ ‭5‬:‭10‬ ‭JCB‬‬

「なぜなら、やがて私たちはみな、キリストの前でさばきを受けなければならず、全生活がさらけ出されることになるからです。善であれ悪であれ、地上の体でいる時の行いに応じて、私たちはそれぞれ、ふさわしい報いを受けるのです。」

‭‭コリント人への手紙Ⅱ‬ ‭5‬:‭10‬ ‭JCB‬‬


このみことばも、もちろん全世界、全人類に適用する。他の箇所も。多くの宗教はこの裁きを回避するための点数性の宗門だったりする。哲学的な生き方だったり考え方だったりする。それはそれで私は立派なことだと思う。


ある子のことが気になり法華経にハマった時期も10代の頃あって、少年院に入りたくなくてお寺で住み込んだこともある。しかし、お釈迦さまを愛するとか、日蓮聖人を愛するとか、そういう教えは聞いたことがない。


【動機が違う】

裁きから逃れたいのか?私たちキリスト者は、まず、愛してやまないキリストのために生き方が変わるのだ。


[ガラテヤ人への手紙 2:20]

もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。


祈り

皆の温かい祈りと理解に感謝、ともに感謝。回復に感謝!者に感謝、タイミングも迷惑をかけたけど、最悪は最高になるので感謝!無理くりベトナムに行っていたら向こうでもっと迷惑をかけていた。体の良き管理者になれて感謝!キリストに栄光、聖霊様に賛美、父なる神を崇めます。アーメン


神栖のジンギスカン!