好きになれなくても愛を示すことはできる [出エジプト記 23:4,5] | 進藤龍也牧師のヤクザな日記

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好きになれなくても愛を示すことはできる


[出エジプト記 23:4,5]

 あなたの敵の牛やろばが迷っているのに出会った場合、あなたは必ずそれを彼のところに連れ戻さなければならない。

あなたを憎んでいる者のろばが、重い荷の下敷きになっているのを見た場合、それを見過ごしにせず、必ず彼と一緒に起こしてやらなければならない。


観察

モーセ五書には奴隷制度ありきの時代なので奴隷を財産というところに現代人の私には違和感であるが、紀元前における、イスラエルの奴隷の扱いが特別寛大であること知らねばならない。


アメリカ南北戦争の時代、大航海時代の奴隷制度時代の中世において、この奴隷制度が新旧約聖書に書かれていることによって、どれだけ奴隷制度が支持されてきたか。今の時代を感謝すると共に、今の時代に導いてくれた神に感謝したい。


観察

ここでは実質的な人との関わり方の指南が出てきている。

常日頃、好きになれなくても愛することはできると言っていることの実質的なみことばが、具体的な例をもって神がモーセを通して働いている。


現代でいえば、敵と思える人の財布を拾った時には、ちゃんと届けてやろう!それが敵の頭に炭火を置くことだ!と。


適用

自分から近づかなくとも、無視をしないとか、挨拶するとか、悪口を言わないとか、ネットに書かないとか、実質的に愛を示していきたい。


祈り

少人数でも、ストロングな信仰を育てたいと木曜礼拝のかたちをかえます。きてくださる方との関係作り、信仰の立てあげに聖霊様、力を与えてください。アーメン


写真は木曜日の夜のザアカイの家