イスラエル民族の原点、私の原点 レビ記 23:42-43 JCB | 進藤龍也牧師のヤクザな日記

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イスラエル民族の原点、私の原点

 

‭‭レビ記‬ ‭23:42-43‬ ‭JCB‬‬

「イスラエルで生まれた者はみな、この七日間を仮小屋で過ごす。 わたしがエジプトからあなたがたを救い出し、仮小屋に住ませたことを永遠に忘れないためだ。わたしはあなたがたの神、主である。」」

 

黙想

イスラエル民族のアイデンティティは、エジプトの奴隷から解放された民であること。

この仮庵の祭りは現在もエルサレムで大々的に行われる。

かつては奴隷だったが神が救ってくれたのだ!と。

 

我々も原点を忘れてはならぬ。

罪の奴隷であったのに、キリストが私を罪の奴隷から、金の奴隷から解放してくださったのだ!と。

 

モーセを通して民族を救った神。

同じように私は、東京拘置所で月岡世光先生、松江刑務所で仁志路子牧師から学び、出所して鈴木啓之牧師から洗礼を授かった。

命の恩人たちである。

また、神学生となり牧会を始めてからも中野雄一郎牧師を師と仰ぎ励ましてもらっている。

 

原点と共に、感謝がついてくることは自然だろう。

この「感謝」は高慢を退かせる。

 

適用

仮庵に住んでいたイスラエルの民は、荒野で40年暮らしていた。

人生の荒野、信仰の荒野と表現するが、荒野とは厳しい環境であるが、同時に神の声を聴くところでもある。

荒野の40年の間に、結局は神が彼らを水を与え、マナを与えて養ったのだ。

今、人生の荒野にいる人よ、喜べ!神はあなたを養われる!

と言いたい。自分にも言いたい。

 

祈り

本日の家庭訪問の中にこそ、神の救いがあるように宣言します!アーメン

 

刑務所の受刑者への手紙 

礼拝