私なりの愛し方 | 背伸びしなくてもいい。等身大のわたしのまま しなやかに生きていこう✨

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“本当の自分を見つけた花は咲く場所を選ばない”

“今日の花を摘もう”

生きにくい、生きやすいって誰が言い出したんだろうか… 生きやすさをゴールに目指すから、余計生きにくさを感じるのではないか?最近そんな思いにふける占い師のブログ。

今日のブログは私の相方へ贈るメッセージとなます。だけれども この想い『愛する』形において私たち以外の方々にも、通ずるものがきっとあるはずだと信じて書きます。



私が 聞く読書にハマってはや 2ヶ月に入っていた一昨日、そろそろ聞く読書にも飽きてきたなと感じつつ、次に聞く一冊を何となく探していました。



最近の私は ディーリア・オーエンズ著「 ザリガニの鳴くところ」がすごく良くて海外作家の作品にとても興味を持っていました。



そこで 何気なくスマホで作品を探すため画面をスクロールすると『アルケミスト』に目がいきました。

この本、実は我が家のトイレの小さな本立てに既に買って置かれ埃がかぶっています。



それは以前どこかで「若者に読んで欲しいオススメな一冊」として知り、子ども達の誰か1人ぐらいは興味を持ってくれるといいな、ぐらいの気持ちで内容もよく分からないままトイレにそっと置いておいた本だったのでした。



けれど やはり予想通り誰にも読まれる気配はなく、せっかくだからと一応私も興味はあったので読み始めたものの、なかなか読み進められず最初の数ページで読み止まっていた本でもありました。



そこでこれを機会に一気に内容を知ってやろうじゃないかー!と聞き始めたのですが、

私は えっ?と驚きました。



 アルケミスト


目次こそ二章しかなくそんなに複雑ではない印象だったのに、その内容は生命の木であり、錬金術であり、私が今学び対峙しているそのものだったのです。


でも、そりゃそうかもしれません。

なんだって『アルケミスト』、錬金術師だったのですから…。



生命の木の内容だと分かりつつも、これはスピリチュアルうんぬんそれらを端に置いておいても、私はこの本を彼に読んで欲しいと強く思ったのです。



それはいわゆる恋愛ものではありません。

これからを生きていく彼が今以上に、力強く歩いて行って欲しい。そんな思いを抱く内容だったからです。



本では 損をしても得られるもの、目を曇らせ大事なことを見逃さないように(直感を信じる心)、「今」を生きる意味とその大切さについて… もっともっと知っておいて欲しい内容が沢山あります。


私はこれらの目に見えづらい感覚的なことを上手く言葉出来ていることに対してすごく驚かされました。




同時にそんな風に思い願う自分の姿に笑ってしまいました。まるで息子を想う母親のようだと。


そして、


私が彼の母親ならば いつも側にいられるのに…とも。



実際、私は過去世で彼の母親の時がありました。

その時は彼の外見や能力を見込まれ無理矢理に連れて行かれ引き離されてしまいました。私は時々その頃の無念が今も引き継いで来ている感覚があります。それ以外でも身分の差で引き離された過去世を何度も繰り返しています。



引き離されてきているからこそ、

今世こそは… と魂は強く願っているはずなのに…。



今世は身分の差や母親の関係がなく、

出会えたはず、なのに、です。



今日の私は彼の母親ならば彼の側にいつもいつまでもいられるのに…と、そこまで思ってしまっていたのです。



でも、それはきっとこの年齢差で出会ったという抗えない事実に今日までずっと憤り続けてきたから。



でもこの本を勧めたりなど彼に対しての思い 恋愛の愛、それだけではないと自分でもしっかりと自覚しています。



それは 親子の関係を超えて 魂の相方としての想いです。



なんと例えたらいいのか、、、

言葉にはおさまらないな、この気持ちは…



それでも 例えるならば、

切っても切れないその人へ、エールを送りたい。

彼らしく、真っ直ぐに前を向いて強く生きて欲しい。



母親からの息子たちに向けるエールの気持ちとは全く違うものだと改めて自覚する時は、


もう一人同士の、わたし達 の存在を認識できる場面。




この本の内容は二章目からスピリチュアル色がより強くなっていきます。通して宗教やしきたり、伝統や道徳的、啓蒙的な場面も多いのですが、途中から錬金術はカバラ生命の木を指し示していることに学んでいる者なら嫌でも気付かされます。


でも、なんてたって『アルケミスト』ですもんね😅

聞き始めるまで全然ピンと来なかった天然さ加減にあ然としました。なんで 気づかないー?💦



でもね、裏を返せば、今この時が、 この本のいうところの「前兆」なはずなのです。



私はこの本での、少年が自分の気持ちと対話するところの感覚にとても共感します。


それは私が以前、今よりももっと感覚的だった時、もう一人の私(魂)として起きる様々な感情の波を俯瞰して見ている様子をブログで書いてきました。


少年のその自分との対話はこのストーリーの中ではとても大切な意味を持っています。この本は結果スピリチュアル的ではありましたが、スピリチュアルな感覚を抜いても決っして、読んで無駄ではない一冊だと思います。人生のターニングポイントについて大いに書かれていますから。



では 小説みたいに、

〜後書き〜

人が誰かに対して愛をおもう時、

その形は、本当にその人それぞれだと思います。

だけども、その人を大切に思う気持ちに嘘はなく、純粋で、真っ直ぐなのだと思うのです。


私が彼を想う時 それは奪うものではなく、

離れていても常に共存している感覚です。

それがツインの由縁な感覚だと実感できる所です。


でも、もし、彼と同年代なら私は彼をなんの迷いもなく奪いに行くはずなのです。私はとても情熱的なのできっと自分を抑えられない。これも本音。


今、私が出来る愛し方は 彼にエールを。

そしてなんの因果なのか彼より長く生きてきたからこその導きを彼にシャワーのように、せめて投げかけ続けたいのかもしれません。