ここのところ、小林洋一様が

次々と動画をアップして下さるのでとっても嬉しいです!

それも、昔のレアな映像を!

ということで、今回の動画は「ピクニック」

洋一様の歌には、どの歌にも共通したことだけど

この曲は特に、と~っても内容が深いんです。

だから、歌詞を読み解くために解読書が必要になります。

でも大丈夫、私には「洋一様専用虎の巻」があるから!

これはね、洋一様がライブで話していたことや

打ち上げの時、私が根掘り葉掘り質問攻めにして

洋一様からお聞きしたことをノートにまとめたものなんです。

言うなれば、私の生涯の宝物!

今日は、この虎の巻を使って

この「ピクニック」という曲を解読していきたいと思います。

特に、私が皆さんに知って欲しいのは2番の歌詞のサビ前までの部分。

なんと、動画もこの部分から始まるので好都合です!


1980年代頃か、それより前からスピリチュアルな世界に足を踏み入れた方なら

きっと心当たりがあるんじゃないかと思うのですが

「この世は修行の場
過去世で積んできたカルマを解消させるために人は生まれてきた」

当時は、このような考え方が通説だった気がします。

確かに、今でもこの考え方を全て否定はできないけど

「この世が修行の場で、過去世のカルマを刈り取るために生まれただけ」

なんて思ってしまったら、きっと誰でも生きるのが嫌になっちゃうと思います。

そんな時に洋一様は、こう歌ったのです。

「僕らは、この地球という星を選んでピクニックにやってきた」

この世は修行の場、という考えがほとんどの時代に

ピクニックにやってきた、という洋一様のメッセージは実に斬新でした。

だって、修行に対して遊びだと言い切るのですから。

こんなことを言っているから洋一様の音楽活動は弾圧の歴史だったんです。


ピクニック2番の歌詞は、こんな風に始まります。

「僕らは一枚の宝(真理)の地図を握り」

まずは、この部分ですが、ここで洋一様が伝えていることは

「僕らは、この地球という星を選んでピクニックにやってきた
そして、そのピクニックにはイベントが用意されている
その最大のイベントが宝探し、では宝とは何か?それは真理
僕らが片手に握りしめた地図には、その真理の在処が記されている
つまり人は、この世にこの地球に真理という宝を見つけるために生まれてきた
修行ではなく、楽しみながらそれを探す旅なのだ」

ということを歌った部分なんです。

いちいち私の想いを語っていると先に進まないので次に行きますね。

「片手は高く高く手を繋いでいる」

…なんか、絵的にちょっと変だと思いませんか?

普通に手を繋いでいるなら兎も角、高く高く手を繋いでいる…

この部分ですが、ここで洋一様が伝えていることは

「繋いだ手は天、宇宙を指している
つまり宝の在処、真理の方向は天、宇宙にありということ
自分は何のために生まれてきたか?その答えは地上のどこかにあるのではなく
天の法則、大宇宙の法則に照らし合わせなければ分からないよ
心の中で真っすぐ天、宇宙と繋がらないと見えてこないよ」

ということを歌っているんです。

もう、ここまでくると凄すぎて目眩がします~。

では、次に移ります。

「それでも僕らは、それぞれの鞄を持つ、互いが自分の足で歩いてゆくために」

この部分は、わりと分かりやすいかな。

「僕らは、この地球という星を選び生まれてきて縁あって恋人同士になり
一緒に真理という宝を探している魂のパートナーではあるのだけれど
だからといって、全てを依存し合う仲ではない
それぞれの鞄には、それぞれが全うすべき天命が詰め込まれている
だから鞄は一つではなく二つ、それぞれがそれぞれの鞄を持ち
自立して自分の足で歩いて行く人生なのだ」

ということを歌っているのです。

こんな短い、シンプルな歌詞の中に

これほどの深い真理のメッセージが隠されているんです。

言葉数を多くして、小難しい表現で詞を書けば

何となく凄い詞が書かれているような錯覚に陥ります。

でもそれって、自分の書く言葉に自信がないから隙間を埋めようと

言葉数を多くして、言葉を難しくするんですよね。

洋一様が書く言葉たちは、全くその逆。

子供から大人まで分かる言葉で、言葉数もなるべく少なく

でも、その内容はどこまでも深い。

俳句や短歌の名人と呼ばれる人と同じものを感じます。


では、大変長くなりましたが

洋一様の「ピクニック」是非、お聴き下さい!