undici.本レビュー3回目。東野圭吾「片想い」
以下背表紙より抜粋。
「十年ぶりに再会した美月は、男の姿をしていた。彼女から、殺人を告白された哲朗は、美月の親友である妻とともに、彼女をかくまうが…。十年という歳月は、かつての仲間たちを、そして自分を、変えてしまったのだろうか。過ぎ去った青春の日々を裏切るまいとする仲間たちを描いた、傑作長篇ミステリー。」
題名だけ見て、ああラブストーリーなんだろうな、
という陳腐な発想しか出来ない僕は馬鹿だ。
今作でも東野氏得意の、問題提起が光っている。
男とは何か、女とは何か・・・。
ただ染色体が少し違うだけで、男女を差別してしまっていいのだろうか?
男性の心を持って生まれた女性、その逆もしかり。
本当の性って何なのか?
でもそれ以上に、人間同士の心のつながりがうまく書かれている。
メビウスの帯。それは僕らの中にいつも存在しているんだ。
男って何か、女って何か。
そんなことを考えた時に是非手に取ってみて下さい。
10点中・・・8点
片想い (文春文庫)/東野 圭吾

¥860
Amazon.co.jp
「十年ぶりに再会した美月は、男の姿をしていた。彼女から、殺人を告白された哲朗は、美月の親友である妻とともに、彼女をかくまうが…。十年という歳月は、かつての仲間たちを、そして自分を、変えてしまったのだろうか。過ぎ去った青春の日々を裏切るまいとする仲間たちを描いた、傑作長篇ミステリー。」
題名だけ見て、ああラブストーリーなんだろうな、
という陳腐な発想しか出来ない僕は馬鹿だ。
今作でも東野氏得意の、問題提起が光っている。
男とは何か、女とは何か・・・。
ただ染色体が少し違うだけで、男女を差別してしまっていいのだろうか?
男性の心を持って生まれた女性、その逆もしかり。
本当の性って何なのか?
でもそれ以上に、人間同士の心のつながりがうまく書かれている。
メビウスの帯。それは僕らの中にいつも存在しているんだ。
男って何か、女って何か。
そんなことを考えた時に是非手に取ってみて下さい。
10点中・・・8点
片想い (文春文庫)/東野 圭吾

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dieci.イタリア人だから。日本人だから。あなたのことが好〜きだから〜。
今日、にのきん氏とPizza(小麦粉をこねてなんやかんやして薄くのばして、
なんやかんや乗せて窯で焼いただけの何の変哲もない伊国的庶民具乗小麦薄焼。)
を、食らいながらこんな話になった。
個人は集合体の中にあって初めて成り立つものであり、
その個人は様々な集合体に属しており、
集合体の影響をいかんせん受けることとなる。
難しいことを言っているようであるが、簡単な話で
例えば日本という集合体に所属している僕は
"日本"人であり、その時点で既に何らかの先入観を持たれてしまう、
また"日本"人だからこうだと言う先入観を自分の中でも持っているという話。
(例を日本としたが、
国だけでなく小さなコミュニティーも全部集合体と捉える)
僕、個人的な意見では、
「あいつはああいうコミュニティーに属してるからこうだ」
という先入観はなるべく持たずに暮らしていきたい。
が、しかし、今でもその様な状況が避けられないことは多々ある。
「ああ、やっぱイタリア人だから仕事しねーんだな。」
これがまさに、先入観だ。
しかし、集合体から集合体への情報発信は確実に先入観が必要となる。
例えばテレビなどのマスコミ媒体は日本人という集合体に訴えかけなくてはならない。
にのきん氏曰く
「ビートたけしの母が亡くなったとき、執拗に、
亡くなって悲しいですね、
と聞くレポーターがおり、遂にはたけしは泣き出してしまった。
是は個人として見れば、
レポーターはひどいな、となるが、
集合で考えた時、
その映像を欲している者がいることは避けられない。」
集合体の持つ特色をより把握したものが、視聴率を獲得できる訳だ。
さて話を個人同士に戻すと、
仲が深まっていくうちに
その集合体から切り離されて
"個"が活きる、個人同士の関係になっていく。
ということが言える。
しかし、それでも
「ああ、やっぱイタリア人でも仕事する奴いるんだな」
と集合体から完全に切り離されることはない。
僕らは人間であり、
人間である以上一人で生きていくことは不可能だ。
色々な影響を与える集合体と綿密な関係を持ちながら暮らしていくことは
避けられない。
それに誰もが必ず集合体の一部としても、また、暮らしている。
しかしながら、なるべく先入観を排除した個人同士の付き合いが
大事ではなかろうかと少ない脳みそで考えた今日この頃。
そんな僕はまだ右耳が聞こえません。
30秒で終わった診察の後、
キコエルヨウニナールを処方してくれと言おうかと思ったけど
「イタリア人だから分かんないか」
と、諦めた僕。
あぁ、これだよね、これが僕の否定した先入観だよね。。。
なんやかんや乗せて窯で焼いただけの何の変哲もない伊国的庶民具乗小麦薄焼。)
を、食らいながらこんな話になった。
個人は集合体の中にあって初めて成り立つものであり、
その個人は様々な集合体に属しており、
集合体の影響をいかんせん受けることとなる。
難しいことを言っているようであるが、簡単な話で
例えば日本という集合体に所属している僕は
"日本"人であり、その時点で既に何らかの先入観を持たれてしまう、
また"日本"人だからこうだと言う先入観を自分の中でも持っているという話。
(例を日本としたが、
国だけでなく小さなコミュニティーも全部集合体と捉える)
僕、個人的な意見では、
「あいつはああいうコミュニティーに属してるからこうだ」
という先入観はなるべく持たずに暮らしていきたい。
が、しかし、今でもその様な状況が避けられないことは多々ある。
「ああ、やっぱイタリア人だから仕事しねーんだな。」
これがまさに、先入観だ。
しかし、集合体から集合体への情報発信は確実に先入観が必要となる。
例えばテレビなどのマスコミ媒体は日本人という集合体に訴えかけなくてはならない。
にのきん氏曰く
「ビートたけしの母が亡くなったとき、執拗に、
亡くなって悲しいですね、
と聞くレポーターがおり、遂にはたけしは泣き出してしまった。
是は個人として見れば、
レポーターはひどいな、となるが、
集合で考えた時、
その映像を欲している者がいることは避けられない。」
集合体の持つ特色をより把握したものが、視聴率を獲得できる訳だ。
さて話を個人同士に戻すと、
仲が深まっていくうちに
その集合体から切り離されて
"個"が活きる、個人同士の関係になっていく。
ということが言える。
しかし、それでも
「ああ、やっぱイタリア人でも仕事する奴いるんだな」
と集合体から完全に切り離されることはない。
僕らは人間であり、
人間である以上一人で生きていくことは不可能だ。
色々な影響を与える集合体と綿密な関係を持ちながら暮らしていくことは
避けられない。
それに誰もが必ず集合体の一部としても、また、暮らしている。
しかしながら、なるべく先入観を排除した個人同士の付き合いが
大事ではなかろうかと少ない脳みそで考えた今日この頃。
そんな僕はまだ右耳が聞こえません。
30秒で終わった診察の後、
キコエルヨウニナールを処方してくれと言おうかと思ったけど
「イタリア人だから分かんないか」
と、諦めた僕。
あぁ、これだよね、これが僕の否定した先入観だよね。。。
nove.難しいことじゃないです。人と話すのが好き、それだけです。
昨夜、にのきん氏とインド&パキスタンレストラン、
でも働いているのはバングラデシュ人という
国際情勢を完全無視した微笑ましいレストランで
3杯のカレーを食しながらこんな話になった。
噛み砕くとこんな感じ。
人の話を聞くことは、自分一人で考えることよりも吸収が早く、
時として是、必要なり。
若し、3人の人物と話をすることあれば、
即ち、それ、個人考察より3倍の効果あり。
また、人の意見聞くこと、
即ち、それ、自己を高めることなり。
常日頃から僕の中では、
誰かと意見を言い合うというのはとても大事なことであり、
中でも単に人と話をするだけでなくお互いがどう思っているのか、
それを披露しあう、
というとても簡単なことが、
自分自身を高めているのだなと感じている。
当たり前のことかもしれないが
、すべての人はそれぞれ個であり、
誰一人として同じ意見を持っている必要はないし、
そんなことは絶対に、ない。
本の感想にしたって、映画の感想だって、
好きな人のタイプだって同じではない。
バングラデシュ人の作るヴィットーリオえまぬえーれの、
コクなし味なしうまみなしの、
カレーではなくカレー色の汁がうまいと感じる人だっている訳だ。
大切なのは、それを伝える力。
僕はこうだよ、私はこうだよ、と説明することが出来る力。
さてどうしたものか、貴兄はどう考えているんだい?
僕に意見を話してみてよ。
それとも僕が先に話をしようか?
日々、是勉強なり。
でも働いているのはバングラデシュ人という
国際情勢を完全無視した微笑ましいレストランで
3杯のカレーを食しながらこんな話になった。
噛み砕くとこんな感じ。
人の話を聞くことは、自分一人で考えることよりも吸収が早く、
時として是、必要なり。
若し、3人の人物と話をすることあれば、
即ち、それ、個人考察より3倍の効果あり。
また、人の意見聞くこと、
即ち、それ、自己を高めることなり。
常日頃から僕の中では、
誰かと意見を言い合うというのはとても大事なことであり、
中でも単に人と話をするだけでなくお互いがどう思っているのか、
それを披露しあう、
というとても簡単なことが、
自分自身を高めているのだなと感じている。
当たり前のことかもしれないが
、すべての人はそれぞれ個であり、
誰一人として同じ意見を持っている必要はないし、
そんなことは絶対に、ない。
本の感想にしたって、映画の感想だって、
好きな人のタイプだって同じではない。
バングラデシュ人の作るヴィットーリオえまぬえーれの、
コクなし味なしうまみなしの、
カレーではなくカレー色の汁がうまいと感じる人だっている訳だ。
大切なのは、それを伝える力。
僕はこうだよ、私はこうだよ、と説明することが出来る力。
さてどうしたものか、貴兄はどう考えているんだい?
僕に意見を話してみてよ。
それとも僕が先に話をしようか?
日々、是勉強なり。