料理番組を観て実際に作ったことある?

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多分あると思う。
覚えてないけど。
 
料理番組じゃないけど、大泉洋が昔、作詞のために缶詰になった時作った「春キャベツとマグロの漬けのジャコ炒め」は、テレビで見てから、春になるとよく作ります。
キャベツから水分が出過ぎてダメだ~!と大泉さんは言ったけど、水分飛ばして美味しくいただいています。
 
10さんは『家事ヤロウ』で紹介された、「ベーコンと海苔の炊き込みごはん」を得意料理としてものにしました。
子どもたちが帰ってきた時、一回は作る。
 
退職したら、私ももう少し丁寧に料理を作ろうと思っています。
いつも時間との戦いだったから、15分で作れるものしか作れないので。
 
 
 
本日の読書:モンテレッジォ 小さな村の 旅する本屋の物語 内田洋子

 

 

Amazonより
『イタリア、トスカーナの山深い村から、本を担いで旅に出た人たちがいた。ダンテ、活版印刷、禁断の書、ヘミングウェイ。本と本屋の原点がそこにある。』

その村はモンテレッジォ。
ミラノとフィレンツェの中間あたり、海と山に挟まれた、農地も観光資源もない、栗の木しかない小さな村。
現在の人口は32人。
男性14人、女性18人のうち、90歳代が4人。
こんな小さな村からイタリアの本の文化が広まっていったとは。

ネットで「夏のない年」と検索するとすぐに出てくる1816年。
荘園領主の下、細々と農業で暮らしていた村で、働き口どころか農業そのものがなくなった。
そこで村人たちは、行商で生きることにした。
売り物は聖人の祈祷入りの絵札と生活暦。
これがまず、この村の主産業が行商であることの背景。

本が商品として成り立つために、いくつかのきっかけがあった。
その一つがダンテの存在。
政敵に負けて田舎に追われたダンテは、各地を放浪し、イタリア半島の絶え間ない争いや階級の格差に愕然とする。
領土が広すぎて、それをまとめるリーダーがいないためと考えたダンテは、広く自説を訴えるため口語体で書くことの重要さに気づく。

また、トルバドゥールという、叙情詩人たちの存在。
宮廷が多く集まっていた北部イタリアで、彼らの人気が上昇したころ、南部イタリアを支配していた神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世は、新たな共通言語を作ろうとしていた。
「教皇は、キリスト教布教のためにラテン語を持つ。ならば、自分も皇帝としての考えを広めるために、独自の言語を持とうじゃないか。その言語による文学と教養も必要だ」
そうして参考にしたのが、トルバドゥールの詩。
それはイタリア語となり、ソネットとなって現在に至る。

さらにはアルド・マヌツィオ。
活版印刷の、大きい、分厚い、思い、華麗な装飾、高価という、限られた人向けの本の特徴をすべて逆にした本を作る。
小さく、薄く、軽く、簡素な装丁にし価格を下げ、流行写本家を雇いオリジナル書体を創り出した。
出版社ブランドの始まりであり、著作権もここから生まれた。
後のイタリック体も考案している。

さあこれで、「庶民にも手が出る本」の準備はできた。

資源を持たないモンテレッジォの人たちは、最初こそ絵札と暦を売っていたが、人々の要求を聞き入れる形で本を売りはじめる。
新品の本を買える人には新品の本を。
そうではない人には中古の本を。

そのうち、客の好みを覚えてその人向けの本を紹介したり、出版社に読者の傾向などを報告したりと、本に関わる情報全般も扱うようになってくる。
この辺りに本の置き薬販売とも似ている。

詳しく書けば、この本をまるパクリしなければならなくなるので、歴史についてはこれくらいに。
あとはいくつか抜き書きで。

”高齢化する住民。増える空き家。過疎化どころか、廃村も目前だ。”
現在の村の様子はこんな感じ。
だけど、元村民たちは、村の境にある標識が災害で壊れたとなると、お金を出し合い自分たちで直したり、夏祭りの時は商売ものの本を持ち寄って村に集まったりと、出来る範囲で村を支えながら悲壮感がない。
国民性なのかなあ。

この村発祥〈露天商賞〉。
日本の本屋大賞のようなもの。
全国の本屋がそれぞれイチオシの本を挙げ、最終候補六作品から受賞作一作品が選ばれる。
第1回は1953年、ヘミングウェイが受賞。

行商は親から子へと受け継がれた家業。
”六歳の子が重い籠を背負って、夜の山道をひとりで歩く姿を思い浮かべて胸がいっぱいになる。
「モンテレッジォ人たちがしないで、誰がする。文化は重たいものなのです。」”
このブライド!

モンテレッジォからヴェネツィアへ移住して本屋を開いた家族。
水の都は本にとっては厳しい町で、水害で本屋が浸水したこともある。
それでも自ら本を守りながらこの町で生きていく。
”「ヴェネツィアには、〈記憶を守る〉という条例があるのですよ」”
安部政権以降の日本の記録改ざん三昧とは真逆である。