今朝、まだ寝ぼけ眼のまま布団の中でメールチェックをする。

やった!待ちわびていたHey!Say!JUMPのカレンダー発送の通知がようやく来た。

3月4日発売と言いながら、遅くないですか?とか思いながらもウキウキが止まらない。

 

ついでにメールの整理をしておこう。

広告メールを削除。ポチッ。

 

え?え?

今私何消した?

商品の受け取り票の付いた発送メールが消えてしまった。

 

私が消したかったのは、その下の広告メールさ。

なのに、寝ぼけてたから?不器用だから?指が激太だから?一番消しちゃあかんメールを消してしまった!

 

慌ててグーグル先生に「消したメールを復元させて」とお願いしてみたけれど、「ゴミ箱フォルダを見ろ」としか言ってくれない。

私のスマホに(たぶん)ゴミ箱フォルダはない。

一度探したことがあるけれど、見つけられなかったし、今回もやっぱり見つからない。

 

と、取り返しのつかないことを…取り返しのつかないことをしてしまった…!

ララァとはいつでも遊べるけれど、Hey!Say!JUMPのカレンダーは今年が最後だ。

いや、最後じゃなくても、大ごとだ。

 

でもね、コンビニに到着するのは間違いないのだから、本人を確認できるものと商品の実物を付き合わせれば、大丈夫だと思うの。

コンビニの店員さんが商品番号を手入力してくれれば、対応可能だと思うのよ。

あとはコンビニの店員さんにその気があるかどうかだよね。どきどき。

最悪本屋に走って普通に買うわ。←取り返しつくんじゃん。

 

問題は、消えたメールを復元しようと、いろんなところをポチポチ押していたら、相手ごとに振り分けていたメールが全部デフォルトの受診ボックスに戻ってしまったので、このスマホを買って5年分のメールを再び振り分けなくちゃならんことさ。

事前に差出人ごとにフォルダ指定をしておけばいいんだろうけど、面倒くさいし、第一そんなやり方知らないので、今までいちいちメールが来るたびに『友達』とか『職場』とか『ママ友』とか『JUMP』とか『仮置き』(飛行機やライブチケットなどの情報メールを一時保存する用)とかに手作業で振り分けていたの。

それを、5年分。

 

午前中いっぱいかかりました。

私友だち少ないから、普通の人よりメールが少ないと思うけれど、それでも大量だったわ。

『職場』のメールは保存しなくてもいいんだけど、一応在職中は取っておこうと思っているのね。

だけど、国際課時代のメールを見ると、今でも胸が苦しくなって息ができない気がする。

いつになったら笑って「とはいえ、思い出してみれば楽しいこともあったわ」って言えるようになるんだろう。

 

メールの振り分けで一日分のエネルギーを吸い取られ、ベッドから動けませんでした。

っていうか、休暇を取る分残業をしなくちゃなので、今日は最初からその予定でした。

来週のコミュニティデイに1万歩も歩ける自信がありません。

でもお笑いライブにはいきます。←何の宣言?(笑)

 

 

本日の読書:傑作はまだ 瀬尾まいこ

 

Amazonより

『「実の父親に言うのはおかしいけど、やっぱりはじめましてで、いいんだよね?」そこそこ売れている引きこもりの作家・加賀野の元へ、生まれてから一度も会ったことのない25歳の息子・智が突然訪ねてきた。月十万円の養育費を振込むと、息子の写真が一枚届く。それが唯一の関わりだった二人。真意を測りかね戸惑う加賀野だが、「しばらく住ませて」と言う智に押し切られ、初対面の息子と同居生活を送ることに―。孤独に慣れ切った世間知らずな父と、近所付き合いも完璧にこなす健やかすぎる息子、血のつながりしかない二人は家族になれるのか?その「答え」を知るとき、温かく優しい涙が溢れ出す。笑って泣ける父と子の再生の物語。』

 

まさに瀬尾まいこ、な作品。

まず設定が突拍子もない。

生まれてから一度も会ったことのない25歳の息子が突然訪ねて来て、「バイト先に近いから住まわせて」ってフランクに言ってくるなんて、まずないでしょ。

 

そして、家族のかたちが歪。

生後25年経って初対面の父と息子って、どういう家族よ。

っていうか、それ、家族なの?

だけどこれ、実にまっとうな家族小説なのだ。

 

あとは、突然の死、重篤な病ってのも割と多いので、ちょっと身構えてしまった。

 

父親は、子どものころから本の虫で、学校でも割と浮いてた存在だったけれど、大学時代に作家デビューしてそのまま作家稼業で生きてきた人なので、本人は全く自覚がないけれども世間知らずである。

逆に息子の智(とも)は、ご近所さんともバイト先でも相手の懐に飛び込むのが上手く、世間知に長けている。

孤独だった父・加賀野の周囲は一挙に騒がしくなってしまう。

 

悪い人ではないんだけど、あまりに人間というものを、世間というものを、あるいは生活全般についても知らなすぎる父・加賀野。

なぜ25年間も息子に会わなかったのか、一体相手の女性との関係はどんなだったのかを息子の前でバイト先の店長に説明するも、「わかったわかった。親父さんは女好きではないんだな。けど、親父さんのどうしようもないところは、その想像力のなさだ」と言われてしまう。

作家としては致命的な指摘だけれど、確かに息子の前で「ただの過ち」と言ってしまうのはデリカシーにかけると気づくのは後になってからだ。

 

加賀野は目の前に現れた智を自分の息子だとすぐに認識できた。

それは20歳まで毎月支払っていた養育費が届くと、智の母・美月が智の写真を一枚送り続けたからだ。

加賀野は美月のことを「見た目だけの空っぽの女」と思っているが、そんな女が智みたいな子を育てられるものだろうか?

それとも、そうしないと生きてこられないような熾烈な人生を彼は送ってきたというのだろうか。

 

設定はハードだけれど、加賀野のポンコツぶりが可笑しくて、それに対する智の笑いながらの突込みが微笑ましくて、ご近所さんもバイト先の店長もしっかりと大人で優しくて、このまま二人の生活が続いていって欲しいと思ったけれど。

 

ちょっと長いけど引用するね。

”誰かと近づけば、傷つくことも傷つけてしまうこともある。自分のペースどおりに進めないし、何気ない相手のふるまいに不安に駆られることもある。自分がどう思われているのかが気にかかり、それと同時に誰も俺なんか見ていないんだと自意識の強さに恥ずかしくなる。自分の価値がどれくらいなのか無意味なことばかりうかがっては、優越感や劣等感に襲われる。

 一人で過ごしていれば、そういう醜いものすべてを切り捨てられる。ストレスも嫌らしい感情も生まれない心は、きれいで穏やかだ。しかし、こんなふうにうれしい気持ちになることは、一人では起こらない。

 一パック余分に入ったからあげクン。それだけで、どうしてこんなに弾むのだろう。”

 

お恥ずかしいけど、私も全くこういうタイプ。

だけど加賀野は気づくのだ。

人と関わるというのはどういうことか。

自分にかけているのは何なのか。

 

いくつになっても成長ってできるんだよね。

そして、うんざりするような人間関係でも、そこから教えられることのなんと多いことか。

でもって、想像の斜め上を行く読後感の良さ。

脱帽です。