豚の蚊やりを買いに行って、猫を買ってきてしまう私。

網戸のサッシが四角くないんです。
なぜか一ヶ所だけ角がえぐれている。
せっかく窓を開けて風を入れ、虫をシャットアウトしようと網戸にしても、虫さん我が家に入り放題です。

ということに最近気がついてしまったので(だから虫刺されが後を絶たなかったのか)、いそいそと蚊取り線香を買ってきました。
やっぱり夏はこれですよ、これ。
蚊取り線香の匂いが、だ~い好き。

暑いのは苦手なくせに、夏が好き。
夏生まれだからでしょうか。
今のところクーラーどころか、扇風機も使わずに(押し入れに入れたまま)過ごせています。
結構朝晩涼しいんですよ、我が家。
冬が怖いけど…。

それでもムシムシして寝苦しい夜は、凍らせたアイスノンを首の下に敷いてぐーすか寝ています。
今年の夏は暑さが厳しいらしいけど、何とか元気に夏を乗り越えたいと思います。



本日の読書:お言葉ですが… 別巻6 司馬さんの見た中国 高島俊男

Amazonより
『東洋とは、西洋とは、極東とは、アジアとは、アジア的原理とは、天下とは、皇帝とは、封建とは、先進国とは、発展途上国とは?言葉を見なおし考えなおす。』

司馬遼太郎といえば、日本の歴史小説の第一人者。
しかし中国の歴史についても、正しい視点で捉えていると、著者は言う。

“しかし、戦国時代以降は、儒教に縛られて、豊かだった中国の思想が、逆三角形のようにすぼんでいってしまうと、司馬さんは考えていた”と、宮城谷昌光は書いている。
その、「逆三角形のようにすぼんだ」という言い回しが、目に見えるようでうまい言いかただと褒める。

江戸時代、幕府が学問と認めていたのは儒教であるが、それはあくまで教養ということでしかなく、生活に入り込んでくることはなかった。
儒教を「バカな体制」と切り捨てる司馬さんを、それは正しいと著者はいうのだ。

そもそも先に書いた『戦国時代』とは、中国の戦国時代で、紀元前の人が言ったとかやったとかの眉唾物の話に縛られるのは、バカらしい以外の何物でもない。
今、目の前にある現実を見ないで、古典を覚えることに汲々とする。
そりゃあ、思想もすぼむわ。

日本が言う「天下」は、あくまでも日本国内のこと。
中国が言う「天下」は、文字通り世界全体のこと。

中国の皇帝は権力を持つ存在。
日本の天皇は最初から、権力ではなく権威。

ふむふむ、わかりやすい比較です。
ありがとう司馬さん。

中華民国が大陸にあったのはごく短い時間だけど、その頃を書いた小説をいくつか紹介。
小説は「何を」書くかではなく、「どう」書くのかが大事という著者は、大陸にあった中華民国で生きる庶民の生活を、いま目にしているように生き生きと描写する汪曾祺(ワンゾンチー)のことを、今の中国で一番好きな作家だと答えるのだそうだ。躊躇なく。
読んでみたいなあ。



ペタしてね