今日も出張。
昨日とは違う方面の豪雪地域へ行きましたが、こちらも雪が少なく、天気は晴れ。
役場の壁にでかでかと横断幕の栗山監督が。

別な街では、出身の漫画家さんのイラストが役場の壁にでかでかと。

最後に言った町は、去年Hey!Say!JUMPがDVDの特典映像を撮影した場所。
帰り際にその話をしたら「え~!!そうだったんですか~!?僕たち、いつも後に知らされるんですよね。そういう担当の部署じゃないんで。」とびっくりされました。
ちなみに今年は三代目の撮影があったらしいです。
で、昨日の話に戻りますが、お昼を食べたレストランがすごかったの。
お昼ちょっと過ぎにレストランに入ったとき、私たちしか客はいなかったのですが、サービスの男性がふたりいて、厨房にはなんと6人もの人が待ち構えていたのです。
ちょ…多くないですか?
15分くらいして男性3人組のお客さんが来てくれましたが、まだ厨房の方が多い。
きっと一人はコックさんではなく、お皿を洗う人だ。そうに違いない。
さらに15分くらいして、ようやく女性5人のグループが入ってきたので、安心してお店を出ることができました。
「ごちそうさまでした~」と言って店を出ようとする私に「いらっしゃいませ~!あ、違った!ありがとうございました~!」
ねえ、本当にこのレストラン、大丈夫かな?
味噌ラーメンは美味しゅうございましたよ。
だが、しかし…。(-_-;)
本日の読書:次の時代のための吉本隆明の読み方 村瀬学 聞き手:佐藤幹夫
Amazonより
『吉本隆明が不死鳥のように読み継がれるのはなぜか? 思想の伝承とはどういうことか? 読めば新しい世界が開けてくる吉本論、大幅に増補して、待望の復刊!』
吉本隆明を読み解くための思考や思想を説く本ではなく、どちらかというと、村瀬学の思想を補強するためにうまく吉本隆明を使っているように読めた。
また、聞き手の佐藤幹夫という人も、自分の考える方向に誘導するようなところがあり、どうも公平中立な吉本隆明論には読めない。
なんとなく後出しじゃんけんのような。
興味深かったのは視線の話。
「垂直からの世界視線」は身の丈の視線。
「上から見る目」は空間的な高みを表わしているだけではなく、「時間を見渡す目」でもある。
1階から2階、2階から3階と、費やされた時間を上から一望できるというイメージで。
だから権力者は上から下を見渡したがる。
“若い人たちがひっきりなしに発信したりするのは「目の高さ」からのケータイなんです。けれども、もう一つ、それを「上」から見て、逆探知する目があることも考えなくてはならないわけです。それはとても危険で、ちょっと「上」にいる連中がそれを使って、悪どいことをしようとすればいくらでもできるようになる。というのも、「上」から見ることのできる権力機構からしたら、発信の中身はすべてお見通しになってしまうからです。”
“映像の操作でいくらでも無関心な若者は、「立ち上がる」ようにしむけられると思います。”
映像の操作、つまり共同幻想によって作られた敵に向かう自分を簡単に作り出していくことになる。
これらの文章を吉本隆明は戦争に駆り出された若者をイメージして書いたのかもしれないけれど、私はテロに走る人々を想起してしまった。
そうならないためには、身の丈の視線を忘れず、なおかつ上から見る目を感じ続けること。
煽られて自分を見失うことがないように。

昨日とは違う方面の豪雪地域へ行きましたが、こちらも雪が少なく、天気は晴れ。
役場の壁にでかでかと横断幕の栗山監督が。

別な街では、出身の漫画家さんのイラストが役場の壁にでかでかと。

最後に言った町は、去年Hey!Say!JUMPがDVDの特典映像を撮影した場所。
帰り際にその話をしたら「え~!!そうだったんですか~!?僕たち、いつも後に知らされるんですよね。そういう担当の部署じゃないんで。」とびっくりされました。
ちなみに今年は三代目の撮影があったらしいです。
で、昨日の話に戻りますが、お昼を食べたレストランがすごかったの。
お昼ちょっと過ぎにレストランに入ったとき、私たちしか客はいなかったのですが、サービスの男性がふたりいて、厨房にはなんと6人もの人が待ち構えていたのです。
ちょ…多くないですか?
15分くらいして男性3人組のお客さんが来てくれましたが、まだ厨房の方が多い。
きっと一人はコックさんではなく、お皿を洗う人だ。そうに違いない。
さらに15分くらいして、ようやく女性5人のグループが入ってきたので、安心してお店を出ることができました。
「ごちそうさまでした~」と言って店を出ようとする私に「いらっしゃいませ~!あ、違った!ありがとうございました~!」
ねえ、本当にこのレストラン、大丈夫かな?
味噌ラーメンは美味しゅうございましたよ。
だが、しかし…。(-_-;)
本日の読書:次の時代のための吉本隆明の読み方 村瀬学 聞き手:佐藤幹夫
Amazonより
『吉本隆明が不死鳥のように読み継がれるのはなぜか? 思想の伝承とはどういうことか? 読めば新しい世界が開けてくる吉本論、大幅に増補して、待望の復刊!』
吉本隆明を読み解くための思考や思想を説く本ではなく、どちらかというと、村瀬学の思想を補強するためにうまく吉本隆明を使っているように読めた。
また、聞き手の佐藤幹夫という人も、自分の考える方向に誘導するようなところがあり、どうも公平中立な吉本隆明論には読めない。
なんとなく後出しじゃんけんのような。
興味深かったのは視線の話。
「垂直からの世界視線」は身の丈の視線。
「上から見る目」は空間的な高みを表わしているだけではなく、「時間を見渡す目」でもある。
1階から2階、2階から3階と、費やされた時間を上から一望できるというイメージで。
だから権力者は上から下を見渡したがる。
“若い人たちがひっきりなしに発信したりするのは「目の高さ」からのケータイなんです。けれども、もう一つ、それを「上」から見て、逆探知する目があることも考えなくてはならないわけです。それはとても危険で、ちょっと「上」にいる連中がそれを使って、悪どいことをしようとすればいくらでもできるようになる。というのも、「上」から見ることのできる権力機構からしたら、発信の中身はすべてお見通しになってしまうからです。”
“映像の操作でいくらでも無関心な若者は、「立ち上がる」ようにしむけられると思います。”
映像の操作、つまり共同幻想によって作られた敵に向かう自分を簡単に作り出していくことになる。
これらの文章を吉本隆明は戦争に駆り出された若者をイメージして書いたのかもしれないけれど、私はテロに走る人々を想起してしまった。
そうならないためには、身の丈の視線を忘れず、なおかつ上から見る目を感じ続けること。
煽られて自分を見失うことがないように。
