今年は2回土用に丑の日があるそうで、今日はその2回目。

1回目の時に、ウナギが食べたい10さんと買い物に行って、国産ウナギの高さに恐れをなして、かば焼きではなくう巻きを買って二人で半分こしました。特にウナギが好きなわけではないけど、どうせうな丼食べるならひつまぶしぐらい食べたいじゃないですか?それが食べられないのなら、別にウナギ食べなくてもいいかなぁ。


そうしたら今朝のテレビで、ウナギでなくていいんですと言ってました。うの付く食べ物ならば、うどんでも梅干しでも。


というわけで、食べてきましたうの付く食べ物。それは、うし。


かれこれ10年ぶりくらいかな、食べたの。


ま・・・




松…




松屋の牛めし。


安くてうまかったです。


あ、松阪牛は四半世紀前に一度食べたことあります。松坂の和田金で。

友達の結婚式に呼ばれて松阪に泊まった時、前の晩に食べました。すき焼きを。

感想は…お肉と野菜、好き勝手に食べたかった。いろいろ指図されて食べたので、味よくわからなかったです。


ただ、マツタケを1本オプションで付けてもらって、4つに裂いたうち3つを10さんが食べた挙句に食後ホテルで「そういえば松茸食べたっけ?」と言った時には「今後二度と松茸食べる資格なし。」と断言しましたけどね。7500円を無意識に食べるなんて、許せん!


本日の読書:死のロングウォーク スティーヴン・キング


カバー裏より

『近未来のアメリカ。そこでは選抜された十四歳から十六歳までの少年百人を集めて〈ロングウォーク〉という競技が行われていた。それは、コース上をただひたすら南に歩くだけという単純なものだったが、このレースにゴールはない。歩行速度が落ち、三回以上警告を受けたものは次々に射殺され、最後に生き残った一人が決まるまで続く文字通りの「死のレース」なのだ。昼もなく夜もなく、冗談を交わし、励ましあって歩きつづける少年たちの極限状況を、鬼才キングがなまなましく描いた空前の異色作!』


怖かった。「死」というのは、突き詰めて考えればどんなものでも理不尽なものかもしれないけど、この小説の「死」はひどい。


安全なところにいる大人が、無抵抗の少年を射殺する。無表情に。時にいたぶりながら。


たとえばローマ時代の奴隷たちも消費する「死」を強いられていたのだろうけど、身分の違いすらない近所の人だったりクラスメートだったりが、死の恐怖におびえながら歩きつづける彼らの姿を楽しみとして見物したり、囃し立てたりするのが当たり前の世界って怖い。

次は自分だという想像力すら持てない世界が怖い。


14歳~16歳という子供の甘えから卒業し、大人の世間知を持たない年齢、自分は何かをなす人間であるという錯覚の一番強い年代をターゲットにするという容赦のなさが怖い。


ゴール後の描写があまり鮮明ではないけど、少し前の章にある、過去ゴールをしたものの一週間後に亡くなった少年のエピソードから、ゴールしたところで長生きはできないことが推察される。心身共に取り返しのつかないダメージを受けるのだと。


情報を受けるだけで、意味を考えない世の中は本当に怖い。