ShortStory.472 缶詰 | 小説のへや(※新世界航海中)

小説のへや(※新世界航海中)

 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 

 何も変わっていなかった。

 缶詰の中に入れただけの、その心は。

 本当は開けてほしかったのかもしれない。どこかの誰かに。

 缶詰の中の、心の奥を。

 

↓以下本文

―――――――――――――――――――――――――――――

 

 いったい、誰に食わせてもらっていると思っているのだ――

 

 

 

 

 

 

 フリーライターの仕事は忙しい。

 常に人を探し、常にネタを探している。

 つまるところ、始終仕事のことばかり考えている。

 仕事を休めば、その分仕事も給料も減るだろう。

 自分の努力と腕次第。そんなシビアな世界に憧れ、

 この仕事を選んだわけだったが、それでもやはり、

 大変なものは大変である。加えて、同業者

 いわゆるライバルも多い。

 競争を離れてひとりのんびりしようものならば、

 たちまち追い越され、その背も掴めなくなるだろう。

 止まっていてはだめだ。常に動き続けなければ。

 まるでマグロのようだ。泳ぐのをやめると死んでしまうのだ。

 

 自画自賛するわけではないが、忙しいというのは

 仕事が軌道にのっているということでもある。

 間違いなく、私の努力、腕が認められている証拠だろう。

 ここ数年は、著名人とのつながりも出来た。中には

 政界人もいる。まあ、名前までは出せないが、それは

 お許し願いたい。加えて、大手雑誌のワンコーナーを

 任せられていた。記事の評判は頗るいいらしい。

 いや、なあに、自画自賛するつもりはないのだ。

 貪欲にネタを探し続けた結果だろう。仕事は安定し、

 すなわち給料も高い水準で安定した。まさか、

 この仕事でこんなにも早く、こんな家に住むことが出来る

 ようになるなど、若い時には考えなかったことだ。

 

 そこそこの敷地に、母屋と離れがある。

 念を押すようで気恥ずかしいのだが、都内である。

 書斎が欲しかった。それにも増して、離れという存在にも

 大きな憧れをもっていた。実現できるとなれば、

 もう躊躇いは無かった。小ぢんまりとした離れだが、

 仕事に没頭するにはこれ以上の場所は無い。

 妻と小学生の息子は殆ど母屋にいるため、

 ここは私ひとりの城である。誰の邪魔の入らず、

 作業に集中できるのだ。最近では、夕飯もここまで

 運ばせている。母屋からこの離れまで、お盆で

 運ばれた食事を、仕事をしながらここで食べるわけだ。

 

 ここに引っ越してきて最初は、寝食は母屋でと考え、

 そのようにしていたのだが、この離れには

 トイレやシャワー室程度の風呂までついている。

 当然の流れであったのかのように、私は離れで一日の

 ほとんどを過ごすようになっていった。仕事のほとんど、いや

 生活のほとんどがこの離れだけで完結してしまう。

 いわゆる缶詰というやつだ。嫌でも仕事は捗った。

 仕事に合わせて寝るのも自由、起きるのも自由、

 誰かを呼んだり、招いたりするのも自由。

 咎める者はいない。気付く者もいない。

 衣服は、離れの入り口の籠に入れておけば、

 妻が洗濯してくれた。大丈夫だ。心配無用。毎回、

 ワイシャツだけはちゃんと見るようにしているのだ。

 他の誰かの口紅がついているなんて、古典的な

 へまはしない。まあ、ばれたとしてどうなるものでもないが。

 

 一年前までは、妻は良い顔をしていなかった。

 表面上は取り繕っていたのだが、不満が目に頬に

 口元に現れていた。始終離れに引きこもるようにして

 仕事をする私に向かって、いい加減にしてくださいと

 言ってきたこともあった。元来、大人しい彼女のことだ。

 よほど胸の奥にため込んだ思いだったのだろう。

 仕事に集中するのもいいですが、せめて母屋で

 生活してください。寝食だけでも母屋でしてください。

 そうのたまうのである。小さい息子とも触れあって欲しい。

 父親として関わってあげて欲しい。そのように言われたのを

 微かに憶えている。お盆の上に食事をのせて、離れの

 入り口の前に立った彼女は、そう言ってこちらの返事を待った。

 

 盆の上にのった食事を見て、私は我慢できずに口にした。

 いったい、お前たちは誰に食わせてもらっているのだ、と。

 都内のこのような家に住み、いいものを食べることが出来て、

 いいものを着て、ひもじい思いも貧しい生活も経験せず、

 十分に良い生活を何不自由なくおくることが出来ているのは、

 いったい誰のおかげなのか。私の仕事、稼ぎ――私のおかげだろう。

 私は憤慨した。身を粉にしてここまでやってきた。

 仕事にやり甲斐はあったが、それでも大変なものは大変なのだ。

 好きなことだけをして過ごしているわけではない。

 常に必死に働き続けてきた。その結果掴んだ今の生活だ。

 家も食事も私の仕事で得たものだ。それをいい加減にしてください

 などと言われる覚えは無い。誰に食わせてもらっているのだ。

 そう言うと、妻は数秒そのまま立ちつくした後、何か小さく

 呟いて母屋へと戻っていった。食事ののったお盆だけ残して。

 

 ――仕事に疲れて手を止めていたらしい。

 随分と前のことを思い出していた。あれから一年だ。

 あの日、随分な言い方をしてしまったかなと思いかけたが、

 冷静になって考えてみても、私の考えに落ち度は見つからなかった。

 次の日、仕事で外出しようと離れを出ると、部屋の前に

 置いておいた食事の盆がなかった。洗濯物も回収されている。

 私はそれを見て安堵した。妻もようやくわかってくれたらしい。

 その日から今日まで、妻から不満を言われることは無くなった。

 母屋で会っても、家の前で会っても、おかえりなさい、

 お仕事おつかれさまなどと言われるだけである。

 表情を見る限り、睨まれるわけでもない。これで一件落着、

 この生活を続けることが出来る。何の気兼ねもなく、

 この離れで仕事に没頭することができる。

 今だってそう、もうこれで何日になるか。この離れに

 閉じこもって仕事を続けている。電話やネットさえあれば、

 ここから出る必要もないのだ。それに気づいてから、

 私はここに、さらに閉じこもるようになっていた。

 

 ほとんど動かずして仕事を行い、高給を得る。

 夢のような生活だった。私は成功したのだ。

 努力と才能の二つをもってして、成功者になったのだ。

 缶ビールを空けながら、椅子の背もたれに体重を預けると

 ぎしりと音が鳴った。おかしな音だ。ぎしり、ぎしり。

 私は動いていないというのに、音は続いている。

 ぎしり、ぎしり。天井か。天井から聞こえてくるようだった。

 

 そこで初めて周囲の異変に気付いた。

 先ほどまで離れにいたと思ったのだが、何だここは。

 家具がない、デスクがない。いつも周囲にあるものがない。

 私が座る椅子しか――いや、どうしてだ。椅子も、ない。

 床に座っていた。いつからだ。ぎしり、ぎしり。

 天井が軋む。その天井は木造だったはずなのに、

 今は鈍色の金属である。壁もまた、同じく鈍い銀色。

 ぐるりと一周、銀色だった。鉄か何かか。何だここは。どういうことだ。床を

 触 った手が冷たい。床もまた金属だった。

 尻 が冷たい。どういうことだ。何で裸なのだ。

 どこなんだ、ここは。夢か。夢に違いない。

 

 ぎり、ぎり、ぎり。聞こえていた音が変わる。

 天井から聞こえるその音は、何かを削るような不快なものだった。

 丸い天井の縁から、ぼろぼろと削りくずのようなものが落ちてくる。

 目を凝らして見ると、斧のようなものが天井を削っていた。

 ぎり、ぎり、ぎり。見る間に天井を一周、その瞬間、

 がり、がり、がりと今度は部屋全体が振動しながら、

 天井が持ち上げられていく。射し込んだ眩しい光で、思わず

 目を細めた。ようやく見えたのは、巨人だ。巨大な人間。

 大きな影は二つ。うっすらみえるその影の下。

 見えた顔は、妻と息子だった。二人は笑顔だった。

 

「私たちは、あなたに食わせてもらっているんだものね」

 

 大きな影が動く。

 持ち上げたのは何だ。

 フォーク? 馬鹿馬鹿しい。

 どんな夢なのだ。

 

 そうか、ここは缶詰で、私はその中の

 

 

「感謝して、いただきます――」

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――
<完>