ShortStory.459 クジラと少年 | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 

 早く梅雨が明けて欲しい。そう思う今日この頃です。

 梅雨が明けたらいよいよ夏らしく暑くなるそうです。それは困る(←え)

 

↓以下本文

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 蝉が鳴いている。

 湿った風は暑く、じっとしていても汗ばんでくる。

 真昼の太陽が地面を白く照らしていた。

 空はどこまでも青く、雲ひとつない晴天だった。

 裸足で砂を踏む音が時折聞こえてくる。

 草を編んだ屋根の下、少年は外を眺めていた。

 服から伸びた腕や足は、すでに黒く日に焼けている。

 両親は今頃、サトウキビ畑で働いているに違いない。

 日が暮れる頃に帰ってくるのが常だった。

 

 家の外に見えるのは、畑や叢だけだった。

 背の高い草が生えるその先には、さらに防風林があり

 奥までは見通せない。そこには海が広がっていることを

 少年は知っていた。彼にとって畑も海も遊び場に

 違いはなかった。他の子どもたちと集まれば、

 いつだって裸足で走り回った。

 昨日も今日もそのはずだった。しかし、

 親たちが言ってはいけないと言うので、ここ数日

 少年たちは海に出ることなく過ごしているのだった――

 

 

 

 

クジラ少年

 

 

 

 

 砂や土の汚れたシャツも彼には気にならなかった。

 朝から畑のまわりを駆けまわっていたのだが、

 まだまだ遊び足りない。午後ももう一度遊びに行こうかと

 少年は外を窺っているのだが、誰も家から出てこない。

 もしかしたら、皆家で仕事の手伝いをしているのかもしれない。

 そんな事を考えながら、彼は向こうの畑を眺めていた。

 近所のおじさんが草を刈っているのが見えた。

 大きな麦わら帽子が、日差しを受けて輝いている。

 その近くに、見知らぬ恰好をした背の高い男が

 長い棒をもち、おじさんの様子を見張るように立っていた。

 

 遠くから音が近づいてきた。

 空で獣が唸っているような、腹に響く低い音だった。

 少年が空を見上げると、遮るものの何も無い空を、

 飛行機が真っ直ぐに跳んでくるところだった。

 あの大きなトンボでさえ、何かを避けながら、

 風を受けながら曲がって飛ぶのに、飛行機には

 まるでその動きが見られない。その姿を見て、

 少年はいつも感じていた。得体の知れない怖さを。

 

 ダ、ダ、ダ、ダ、ダ――

 大きな音に驚き、少年は思わず立ち上がった。

 家の横に回ると、音の方向から大人たちの声が

 微かに聞こえてきた。向こうの畑に、何人かが集まっている。

 彼らのすぐ近くには、畑仕事に使う機械が置かれている。

 また故障したのか。少年はひとりそう納得すると、

 再び家の正面へ戻っていった。

 玄関の端にバケツが転がっていた。

 他にすることもない。宿題だってしたくはない。

 海に行こう。少年は思い立つと、そのバケツを手に駆け出した。

 

 裸足の足に土を踏みながら駆ける。

 海に出るなと言われている手前、人目を避けるように

 走ることになった。幸い周囲には少年の体を隠すのに足る

 背丈の草木がたくさん生えている。

 見つかればきっと叱られるに違いない。

 ただ、何もしないでいる退屈さにも耐えられない。

 走る足は軽かった。緊張に高まる鼓動も、

 風の音も、久々に行く海の光景も、彼を心底わくわくさせた。

 時折、道に大人が立っていたが、何とかやり過ごした。

 いくつかの畑を過ぎ、草むらを潜り抜け、防風林を越えた。

 開けた視界に、期待通りの真っ白な砂浜が広がり

 大きな海が、風と匂いを届けていた。

 

 視界の端に大きな塊が見えた。

 黒いそれを見た途端、彼の小さな鼻はいつもと違うにおいを感じた。

 いつもの海とは違う、何かのにおいだった。

 先ほどまで体に感じていたものが幻であったかのように

 思われ、少年は思わずその場に立ち尽くしていた。

 しばらく前に行った時と、砂浜の白さも広い海も何も

 変わらない。しかし、そこには見たこともない

 大きな塊が転がっている。クジラだ。クジラの死骸だ。

 彼はそう思った。

 

 村の人たちが話すのを聞いたことがあった。

 たまに砂浜にクジラが打ち上げられることがある。

 クジラというのは、それはそれは大きな体をした黒い生き物だと。

 一度も本物を見たことがない子どもたちにとって、

 それは想像力をかきたてられる格好の材料だった。

 話を聞いた子供たちは、しばらく、その見たこともない

 生き物を想像し、その想像をさらに膨らませて笑った。

 黒くて大きい生き物。それは彼が思うより、黒く、大きかった。

 

 白い砂浜に打ち上げられたそれは、全く動かない。

 少年は周囲に誰も居ないことを確認しながら、

 草むらから出て、その塊に恐る恐る近づいた。

 村の人が言うには、人を食うような生き物ではないらしい。

 しかし、彼にはその体のどこが口でどこが目なのかも

 判然としない。ただただ恐ろしい塊だった。

 好奇心で満たされた体は、それでも足を動かしていた。

 

 大きな体は近づいてもやはり黒く、所々光沢があり、

 とても生き物には思えなかった。少年にとって大きな生き物とは

 馬や牛の事なのである。足が無いことに彼は驚いた。

 よく見るとその塊は傷だらけで、体の半分は欠けていた。

 何やら太く長い物が刺さっているようにも見えた。

 漁で捕まえられたのかもしれないと思い、彼は息を飲んだ。

 近くに落ちていた小石を恐る恐る投げつけると、その塊は

 よほど硬いのか、金属音のようなものを響かせた。

 

 黒い体の真ん中に大きな穴が開いているのが見えた。

 少年はそれ以上近づくことなく、目を凝らした。

 ぽっかり開いたその穴からは黒いものが流れ出していた。

 すごい臭いだった。海の匂いが霞むほどの強い臭いが

 周囲に広がっていた。流れ出した液体は、

 体を伝って海に流れ落ちていた。その黒い“血”は

 水に混ざることなく表面に広がり、波に揺られて漂っていた。

 

 つい先ほどまでわくわくしていたはずの気持ちも

 いつの間にか消えていた。少年はその場に立ちつくし、

 太陽に照らされて鈍く光るその体や、

 ゆっくりと流れ出す“血”、水面に浮いて虹色に

 輝いている何かを黙って見ていた。

 しばらくして、向こうの方から大人の声が聞こえてきた。

 そこで何をやってる。離れなさい。そう聞こえた。

 彼は逃げ去るわけでもなく、目の前の大きな塊、

 得体の知れない何かを見上げていた。

 感じるその臭いは、明らかな異臭だった。

 農作業に使う機械を掃除するとき、嗅いだ覚えのある臭いだった。

 これは生き物ではないのだ。生き物ではない何かだ。

 村の大人が誰も教えてくれなかった何かだ。

 

 砂を蹴って、声と影が近づいてくる。

 真実を知らない小さな彼の肩を、見慣れぬ制服を着た大人たちが掴んだ。

 その誰もが硬い表情で、状況を彼に説明しようとする者は

 ひとりもいないようだった。

 

 お前は何も見ていない。いいな。

 

 強引に腕を引かれて村に戻される前、

 少年へかけられた言葉はそれだけだった――

 

―――――――――――――――――――――――――――――
<完>