なんとなく自己紹介 

 

 

”なんとなく人生”の私が公務員という仕事を捨て自分を変える第1歩目です。

 

なんとなく進学し

なんとなく他人に合わせて

なんとなく友達と遊び

なんとなく勉強し

なんとなく公務員をして

 

今、人生が窮屈に思えるフェーズを迎えました…。

「本当にやりたいことは何なんや」と。

 

教員生活をあと4,50年続けられる自信がない、そんな人生つまらないと思いました。

 

葛藤しました。

自分が好奇心旺盛であることは確かでした。

ただ、

「周りの目を気にしてしまう」「安定した給料を手放すのはもったいない」

「彼女と結婚する時期だから余計にやめられない」「辞めたら気まずい」

「次の仕事が見つかるか心配、怖い」「職場に迷惑かけられない」

という障壁が私を阻みました。

 

自分はHSP傾向にあるなと参考文献をみて思います。

・誰かがこそこそ話しているだけで自己嫌悪に陥りやすい。

・何手か先まで読んでからしか行動に移せない。

・常に他人軸。

・聴覚、視覚が異様に敏感。

・仕事を断りづらい。

・作り笑顔が多い。

・話を合わせるのがある意味得意。

・すべて考えすぎてしまう。

 

そんな私が”なんとなく人生”に終止符をうつため

”自分軸で生きていこう”と

このブログから始めることにしました。

 

”なんとなく人生”と”HSP傾向”

のどちらかに共感される方もいらっしゃるかなと思います。

 

共感できる方はいっしょに進んでいきましょう。

共感できない方もこんな人もおるんやな~くらいで寛容的に思っといてください。

 

これからは日々の経験や得た知識を綴ります。

安定に身を置き、将来待ち受ける不安に1歩も踏み出せずにいた時分が

”なんとなく”生きる他人軸な人生から解放しようと思えたことを発信します。

 

 

 

 

 

ここからは私の”なんとなく人生”ヒストリーです。

時間の使い方は自由なんで、まあ見てってください。

 

 

 

”なんとなく人生”ヒストリー

【小学生】

・目立ちたいから児童会の書記に当選。

 →書記という明確な目的はなく、会長や副会長であるとリーダーシップをとらなけ 

  ればいけないという、いわば責任逃れ。

・勉強は可もなく不可もなく、平凡。

・将来の夢はなんとなく「科学者」。

 理由:人生ゲームで給料が高かったから。

・1年生からバドミントンを始める。(中学3年まで続いた)

【中学生】

・学力テストは学年160人中110位くらいが平均。

・部活動は県大会で優勝はするものの団体戦のメンバー止まり。

・将来の夢はなし。

・高校は推薦可能な成績が足りず、専願。

 兄弟がいっていたこともあり、家の近くの私立高校へ。

 受験勉強をせずに私学を選択。

【高校生】

・なんとなく文系。

・部活は弓道部。東海大会準優勝。(これだけはめちゃくちゃがんばった)

・今でも交流のある親友と出会うことができた。

・なんとなく将来の夢は「小学校の先生」

 理由:高校2年の担任の先生に「小学校の先生になってそう」と言われたため。

・なんとなく高校と同じ法人の大学に進学を決意。

 ギリギリ指定校推薦可能だったため。

 受験勉強はせず、センター試験は記念受験。

・彼女いない歴17年に終止符をうつことはできた。

【大学生】

・なんとなく1年生・2年生を満喫。人生の夏休みを謳歌。

・なんとなくレールの上を進むように3年生で教育実習を経験。

・なんとなく3年生の終盤から教員採用試験の勉強を始める。(実質初の試験)

 周りがやっていたということが一番の要因。

・教員採用試験対策のサークルのようなものに入部。

 意識高い自分イケていると思っていた。

・そして不合格。

【社会人】

・地元の隣の市で講師という形で中学校の教壇にたつ。

 ※試験落ちたのに先生になれるの?

  知らない方のために説明。

  教員採用試験は落ちても教員の数が足りていないということもあり、講師という

  形で仕事はできる。子どもたちからみたら”先生”であり、若いうちは給与も同年 

  代と大した差はない。

・試験は仕事と平行しながら行い、見事に不合格。

【社会人2年目】

・一応小学校の試験を受けるため、小学校を希望し地元から遠く離れた場所へ異動。

 小学校を受ける理由:周りには「小学校の先生になりたいから」

           本音「小学校が倍率的に受かりやすいから」

・初の担任が40人クラス。

・講師なので研修は空虚。

・1年目と同様、試験は仕事と平行しながら行い見事に不合格。

・必死にもがいて働いた実感はある。

 →今思うと”やりたいことをやっていた”というよりは、学級崩壊するのが怖い、周

  りの先生に変な目で見られたくない、迷惑かけられない、と”やらないといけな

  い”と思っていたように感じる。

【社会人3年目】

・2年目と同じ勤務地。持ち上がりで39人クラスを任される。

・1、2年目と同様、試験は仕事と平行しながら行い見事に合格。

・なかなかに大変だったクラスだったが、すてきな担任団のおかげで

 乗り越えられた。

【社会人4年目】

・隣の市に異動

・すてきな子どもたちと出会う。

 →そんな子どもたちと過ごしている中で、本当にやりたい仕事だったのかを

  考え始める。

【社会人5年目】

・学校としては手のかかる学年を担任。

・同じ学年団の先生2人は異動してきたばかりの先生。

 →分からないことをすべて1人で答えなければならない日々。

・同時期に重なりまくるタスク

 →その業務もすべて初めて行うもの

 →ようやくここで気づく。

 →給与は安定、業務はかなり不安定で授業を考えることに専念できない本末転倒な

  職業だと。(現在)

 

 

自分なりのユートピアがあるに違いないと思ってます。

まだ見つけられていないだけ。

 

人生変えてみせます。