2022年8月X日付
〇〇新聞朝刊

離婚後、子どもの親権は父母の双方が持つべき「共同親権」にすべきか、どちらか一方に限る「単独親権」のままがよいのか―。法制審議会(法相の諮問機関)の部会で、議論が進められている。そもそも親権とは何だろう。

親権がなければ
子育てはできないのか。

8月末に予定されている中間試案の提示を前に、現状を紹介する。


【面会交流が増えていった男性】
〇〇地方に住む男性の家には週1回、離れて暮らす小学生の長女と長男が遊びに来る。一緒にゲームをしたり、ご飯を食べたり。親権を持つ元妻も含めて4人で出かけることもある。「珍しいかもしれないが、これが僕たち家族の在り方です」

元妻が子ども2人を連れて家を出たのは2017年末。夫婦間の価値観の違いが積み重なり、小さなけんかが増えていたが

まさか、出て行くとは思わなかった。

悔しさや怒りもあったが、「子どもに会いたい気持ちが強く、妻と争いたくなかった」と振り返る。 

離婚調停中、面会交流を申し立て数カ月たってようやく認められた。最初は月1回1時間だけだった面会の時間は次第に延びた。 

男性は「離婚しても親として子どもへの責任はある。子どもの問題と夫婦の問題は切り分けて考えるべきだと思う」

「同居親が抱えている心理的不安やストレスを軽減するための医療的ケア、養育費では足りない経済的支援など、生活全体をサポートする制度が必要」と話す。


【養育費を盾に「強制」になる恐れも】
DV被害者や支援者らの危機感も強い。離婚後の親権に詳しい弁護士の☆さん=〇〇市=は「共同親権により、子どもの進路や重大な医療方針などの重要事項を決める時に、別居親の同意が必要となれば、加害者から逃げられない」と指摘する。父母の意見が一致しない場合、結論が出るまで時間がかかり不利益を被るのは子どもだ。

共同親権か単独親権か選択制にした場合でも、※1加害者側が「共同親権なら養育費を払う」などと主張し、事実上、強制的に共同親権になる恐れもある。

※1.有責者ということか?よくわからないが、
DVがあったものと判断したうえでの加害者?だとしたら共同親権云々以前の話だろうし、養育費の支払いに際して「〇〇親権なら」と条件をつける事自体が「あってならないこと」だと私は思うが。。。


「別居親が子どもに会いたい場合、今の単独親権の枠組みで面会交流はできる。面会ができないケースにはDVや虐待がある場合もある。共同親権になったら面会できるというわけではない」と☆さん。
別居親が家庭裁判所に面会交流の調停を申し立てた場合、2特別の事情がない限り認められるからだ。

※2.高葛藤夫婦の場合、その特別な事情の有無が争点になっているのだろう。


そういった事情を見聞きしている「有識者」たちが、共同親権が導入されるか否かによって養育費やら面会権やらに有利不利に働くものという論調で議論を展開するのはなぜなのだろう


という思いを、

素人の私は禁じ得ないがそれはまた


少数とはいえ、望ましくない家庭環境に身を置かざるをえない子どもの存在を知らないわけではないはずの公教育に携わる人々が、なぜか一律に「親への感謝」を子どもに説くようなものなのかもしれないし


もしかすると、その現象は





 
社会調査に基づく多くの計量研究は,近代家族をかたちとしている人を対象としている.
一方,近代家族を維持できないさまざまなタイプの人々に対しては,主に事例調査に基づく研究がなされている.


そして,なにより

マクロ統計に基づく研究や政策研究が,この両者の分裂状況やその結果としての政策課題の分析を行っている.

からなのかもしれないとも思う。



人が賛否を唱えるときには、なんらかの解釈やら判断をしているはずだが、それをする前には、なんらかの存在に気づく(認知する)というプロセスがある。


その気づきの段階で

いわゆる、



自分たちを定義する権利そのものも奪われてしまうのがサバルタンなのである。


サバルタンを置き去りにせざるを得ない「国際事情」があるのだろうか。などと思ってみたりもする。






冒頭の新聞記事に寄せられた
コメントの一部


女性の方に偏り過ぎたものだと感じました。
父母は平等の権利を有し、それぞれが子のために出来ることをし、子育てをしている。

どちらが正しいと言うわけではなく、役割分担があるはずです。


連れ去りを虚偽の暴力などで誇張し、いかにも正当であるかのように振る舞う母親が多くいるのも事実です。


養育費を払わない親も面会を充実させない親も失格だと思います。


子の福祉と言いながら、自己の感情を満たすために子を利用している実態も散見されます。


暴力はそれを可能な限り正当に判断する機関を設け、子供との関係とは切り離し、それが難しい際には第3者の機関を利用して交流がなされるなどもっと取りうる具体的方法はあるはずです。


弁護士も拝金主義な方も多々見受けます。全く弁護士の職責を果たすことを勘違いしている。


子供に会うのに、妻の機嫌を損ねるなというような主張も甚だズレています。
子の福祉と言いながら何の機嫌を取っているのか??

もっと建設的に平等にまた、個別具体的に子の福祉を実現できる様に、公的機関の役割を増やす、そのためにも共同親権を実現し、交流・養育費が確実かつ安全に実施される世の中の到来を期待します。


30代女性




まるでブロガーのような文章。


新聞記者なら、もっと論理的な文章を書いていただきたい。


法制審で審議されているバリエーションを挙げ、単独親権を支持するマイナーな意見を羅列し、それとなく単独親権を支持しているのかな?という印象を受けた。


〇〇コメントも似たような意見ばかり。現状、一番問題となっているのは、「子どもの連れ去り」であり、

国際的にも批判されているし、ハーグ条約批准国でありながら違反している。


確かに子どもの安全や、家裁の規模が小さすぎる問題など、共同親権施行のためのハードルは高い。


「日本の子どもの福祉のレベルは低い」「世界的にレアな単独親権制度を維持する意味があるのか?」など、現状の問題点、共有できる事実を挙げ、法制審でどういう風に審議されているのかを解説するのが新聞記者の仕事ではないだろうか?

男性 40代





 

近代社会における個人化の進展は,家族の規範にまで及ぶ(山田 2004).


伝統的であるという理由だけでは,その規範を守らせることが無理な状況が出現する.家族において、規範の弱体化の意味は大きい.


規範の中核は,ルーマンそして宮台が強調
するように,相手の行動に対する予期である.


つまり,規範が有効であるためには,
相手が規範に従って行動することが予期されねばならない(宮台 1989).


が、しかし


近代家族の規範が弱体化することは,相手が伝統的な規範に従わない現実に直面する可能性が高まるということである.


たとえば,「男性は仕事,女性は家事」という規範をもっていても,相手がもっていない場合,規範としての意味をなさなくなる.


また,「性格の不一致くらいで離婚するのはいけない」という規範が弱体化した場合,いくら一方が規範を守り離婚しないつもりでも,相手が従わない場合それを止めることはできない.


ここで,家族の感情に関する規範の弱体化が家族にとっては決定的に重要になる.


それは,「家族だから愛情が湧く,そして,愛情があるから扶養やケアが動機
づけられる」というメカニズムが有効でなくなり,扶養やケアに対する動機づけを
再構築する必要に迫られる(山田 1999).



規範が有効であるためには,大多数の人がそれに従うとはずだという確信,そして,それを守らせることができるなんらかの保証が必要である.



その確信,保証ともに弱体化するのが,現代社会の特徴である.


規範の弱体化が進めば,規範に制御されない領域に関して,家族間で直接的に役割や感情を調整する必要が生じる.

↑町内会のような話し合い??


その結果,


自分の好きな(生活)形態や相手を選べ,相手に強制することができる強者と,強いられる弱者,関係を解消される弱者に別れる。






 


テレビドラマage35


 幼稚園の発表会 

ステージでの合唱シーン


客席に父親がいない

「父親不在の現実の存在」

 泣きながら歌う姉弟 




りくはさ、

こんな風に

なるなよ。 


大人が、「ここはお前の家だ」って言ったら、そこが自分の家なんだから。 


そこで、楽しく暮らすことを考えればいいんだよ。


こういう奴はさ、おかあさんがいるときは「おとうさんがいない!おとうさんがいない!」って泣いて、

おとうさんがいるときは「おかあさんがいない!おかあさんがいない!」って泣くんだよ。


 当時小学2年生 、母子家庭4年生になった長男が 5歳の弟に向けて語った 「母子家庭男子道」である。



小学2年生にして
長男はすでに

サバルタンではなかった。

ということなのかもしれない。