人間は人間同士
地球を包んでしまうような
網目をつくりあげたとはいえ

そのつながりは、まだまだ本当に人間らしい関係になっているとはいえない。

だから、

これほど人類が進歩しながら、
人間同士の争いが
いまだに絶えないんだ。

裁判所では、訴訟の起こされない日は一日もないし、

国と国との間でも、利害が衝突すれば、戦争をしても争うことになる。

だが、

コペル君!



人間は、いうまでもなく

人間らしくなくっちゃあいけない。

人間が人間らしくない関係の中にいるなんて、残念なことなんだ。

たとえ

「赤の他人」の間にだって、ちゃんと人間らしい関係を打ちたてていくのが本当だ。

――もちろん、こういったからといって、何も、いますぐ君にどうしろ、こうしろというわけではない。

ただ、君が
大人になってゆくとともに、
こういうことも、

まじめに心がけてもらいたいものだと
思っていうんだ。

これは、人類が今まで進歩してきて
まだ解決のできないでいる
問題の一つなんだから。


では、
本当に人間らしい関係とは
どういう関係だろう。

君のお母さんは、
君のために何かしても、
その報酬を欲しがりはしないね。

君のためにつくしている
ということが
そのままお母さんの喜びだ。

君にしても、仲のいい友達に何かしてあげられれば、それだけで、もう十分うれしいじゃないか。

人間が人間同士、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、ほかにありはしない。

そして、それが
本当に人間らしい人間関係だと、
コペル君、君はそうおもわないか。


 




大学のときの先輩が、

似通った話しとったなぁ。



この大学では、「すごい大人」に出会う機会が多い。


芸能事務所でもないのに、しょっちゅう新聞やテレビに出ている大人が、俺たちの周りにはいる。



学生でも、もちろん「すごい奴」がいるし、学部や学科による優劣が話題になることもある。


裏を返せば「俺にはできない」「俺にはできなかった」

そう感じることも多い。


それはべつに、感じてはならないことでも、口にすることを慎まなければならないことでもない。



ただ、その感じ方は、

この大学の中だけで通用するものでもあるんや。


この大学を受験して合格したってことはなぁ



それぞれの目指した学問分野の受験者の中では、学力上位X%に入っていたということや。


その事実をどうとらえるかは

人それぞれやけどな。


ここの集合体は

世間一般の平均的な集まりではないんや。


学生のうちは、思うように感じたことをそのまま語りあったらいい。


今、仲間と過ごす時間が、自分らを作っていくんやと思うから。





ただ、


大学から外に出て


世間が広がれば広がるほどに、

の感覚を共有でき共感しあえる人間の比率は、少なくなるかもしれないってことでもあるんや。



こんなふうに、

長男が回想した先輩の言は、


まるで

コペル君の「おじさんのノート」のようだった。





昭和12年の「大学卒業したての法学士のおじさん」レベルの若者が、現今令和にも存在する証



それが

おじさんのノートまこ的改変バージョン

「先輩のノートである。




先輩のノート



長男君へ


自分の人間としての値打ちに本当の自信をもっている人だったら、環境や境遇がどうあっても、落ち着いていられるはずなんだ。



自分のおかれたところで、自分と人を比較して引け目を感じているうちは、まだまだ人間としてダメなんだ。






だけど、



自分にはないものを持つ人が

たくさんいるという状況は


↑(昭和12年原文では 貧しい暮らしをしている人)



引け目を感じる場面が多いということでもある。


だから、  

自分自身にむかっては、それだけの心構えを持っていなければならない


にしろ

かといって


引け目を感じたり傷つきやすい人の心をかえりみないでいいとはいえないし、




「境遇に負けるな」と言う資格は、


我々誰にも

ないのだよ。


 




少なくとも


厳しい境遇に長い間実際に身をおいて、その辛さや苦しさを嘗め尽くした




そのうえでなお、


自信を失わず、

堂々と世の中を

わたるようになれる

その日まではね。




自分よりも厳しい境遇にある人たちを見下げる心持ちなんか、今の君にはさらさらないことを、僕は知っている。




しかし、その心持ちを

大人になっても持ち続けることが、どんなに大切なことであるか、


君はまだわかっていない。




このことは、君が

世の中のことを、正しく知るほどに、


ますます


大切になってくることなんだ。




なぜなら


世間には


僕たちよりも、ずっと厳しい境遇に生きている人がたくさんいて



それが、

「社会の課題だから

なのだよ。









サムネイル
 

自分を取り戻せ。


不自由な社会を自由に生き抜く術がある。


社会にはルールがある。

私たちはそのルールに従って

生きている。



勝手をすれば会社をクビにされ、世間からは白い目で見られるようになる。


従順や建前、慣習を愛する社会では、個人の本音や新たな価値の創造は嫌われる。



人々は、周囲の反応を恐れるあまり、自分の考えを捨て去り口を閉ざす。




そうして後に、

勇気あるどこかの誰かが

まったく同じ考えを

毅然として語り出し



あなたは情けない思いで

自分の意見を

他人の口から拝聴する羽目になる。



過去の偉人たちは

周囲や伝統にとらわれず

自分自身の考えを語った。




国も、制度も、会社も、 そうした偉大な人物の影が伸びたものである。 



真の人間は服従しないし

何ものにも頼らない。




自己を信頼し、実現し、中心となる。



すぐれた人物にとって正しいものはただひとつ、自分の本質に適った法則だけだ。



自分の考えを信じよう。

内に秘めた信念を口にしよう。 


人は、心をこめて仕事をし、最善を尽くしたとき、心安らぎ、晴れやかな気持ちになれる。




他人の畑を耕すだけでは、何も創り出すことは出来ず、何の希望も生まれない。




あなたに平和をもたらすのは

あなたしかいない。



平和を手にするためには、


自己信頼という原理原則によって

勝利する以外ないのだ。