仕事終わったぁー
明日も仕事やけど、

コロナ危機になってから忙しくなってしまった
私の職場。


毎日の検温とアルコール消毒を行い
仕事しております。

その職場で日々感じることは、
人の(子どもたちの)成長というのは
こうも難しく、そして愛おしい
ということです。
スモールステップで地道に成長する子もいれば
ある日突然のきっかけを掴みバンッと成長する子もいる。

どこにスイッチがあるのか
そのスイッチを自分で押せるように
促してあげるが
なかなか押さない、押せない。

気付かないように
そっと手を添えて上げると
引っ込める手。

しかし、いつの間にか
自分でそのスイッチを押し
成長している。

成長スイッチを押さなければならないことは、
理解しているのです。
しかし、なかなか押せない子達の中で
試行錯誤を繰り返している日々です。


本当に
難しく、愛おしい。


上手く行かないことばかり。
失敗を重ねて私自身も成長するためにもがいています。

そんな日々を支える言葉が

「馬を水飲み場まで連れていくことはできるが
水を飲ますことはできない」

水飲み場まで馬を引っ張ったり押したり、促したりあの手この手で連れては行けるが
最後の最後、その水を飲むかどうかは、馬次第である。ということ。


最後の最後、
やるかどうかは、あなた次第だ。

一見、諦めのようなこの言葉。
とても奥が深いと、感じています。

諦めている訳では無いのです。

その最後の最後の水を無理矢理飲ませたとしても
どこかで吐き出してしまいます。
それは、こちら側のエゴでしかない。
水を飲ませてやったという自己満足でしかないのです。

いかにして、水を飲みたいと思わせるか。
ここが最も難しく、最も奥の深いところなのです。
一見、何でもない水だ思っていても
あなたにとって必ず必要な物なんだよ。
と思わせられるかどうか。

美味しいお水を与えるだけでは意味がありません。
美味しくない水も飲まなければならない時があります。その水をいかにして自らの意思で飲ますか。
これを追い求めているのです。


美味しい水は、子どもたちにとって楽しくていつまでもしていたいこと。
美味しくない水は、子どもたちにとってやりたくないことだけど、必要なこと。

この両方をバランス良く飲ませるために
日々試行錯誤を繰り返しています。

最後の最後の必要な水を自ら飲ませるには
どうすれば良いのか?
それを日々追求しています。