ミリタリーとストーリーテラーの相性の悪さは、ミリタリー側も考えたが、ストーリーテラー側からしても、呼ばれたくない世界なのは、水木しげるがやっぱり分かりやすい。

幼少から絵の上手さを誉められていた人物らしいが、画才のある人間が隻腕になるのは、本人からすると命を奪われたようなものだったかも知れない。
けれども、当時ミリタリー側からすると、それはほとんど大したこととは思われないだろう。これほどかけ離れた人達はいないので、混ぜるな危険で間違いないと思える。


墓場の鬼太郎がゲゲゲの鬼太郎の最初の案だったらしいが、よほど暗く、真正面から夢を見て志すには、辛い影がべっとり憑いていたのだと思える人生だと思うのだ。当時、同年代で、両腕のある売れっ子作家は、他にいくらでもいたと思われる。

しかし、ミリタリー側からすると、そんなことはさっぱり分からないに違いないのだ。


水木しげるは、上官にいじめられるのに嫌気が差して、偶然の不味い飯をそのまま炊き上げて、即やり返されたが。
勝つことが楽しく、戦いが楽しく、またそんな世界で成績を残す人間は、そんな腹いせをする気も起こらないだろう。栄養補給が目的で、そこで止まる。味方の足を飯で引っ張る理由がない。

腹いせの不味い飯を作ってしまう時点で、合わないのに無理矢理引きずり巻き込まれた怨嗟に違いない。だがら、やっぱりそんなことをする人間を、嫌だと言うのに巻き込むのは、巻き込む方に本来の平常な世相なら問題がある。というのは、当然戦いの分野で生きられない人間だから思うことでもある。



というので、何がトリガーになっているか知らないが、人事の才能皆無の人達が起こしている連結テロは、本当に全員の個性を殺し、水没させる、害悪としか思えないのだ。

誰かと誰かの手を繋がせているのではなく、腕を切り落としているようなものだと思える。

そして何でこと相性が悪いのはストーリーテラーかといえば、根幹を一人で成し遂げることがほとんどだからだと思える。一人の心に浮かんだ物語を、一人の人間が紡ぐことがほとんどで、そうでなければ、それは物語ではなく文集でしかないのだと思う。


自分を無くして勝つことを求める世界と真逆の方向へ研鑽しようとする人達に違いない。徴兵制の時代ではないから、そんなことは極めて異常で緊急の事態でない限り、契約も感情的繋がりも無いのにも関わらず、強要される謂れのないことなのは確かだと思う。



大昔なので差がありすぎるが、逆にミリタリー思考の典型例なのが、関羽や張飛といった、戯作で大袈裟に描かれる人物達だろう。碁を打ちながら腕の手術をしたとか、パワハラが行きすぎて部下に殺されるまで、自分の行動を疑わなかったとか。実際に戦いの成績は高かったらしいが、そんな人物達の肥やしにされた人達が生きた三國時代で、登録されている人民の数は、後漢末期と比べて激減していたのは、かなり前の日記でも思い出していた。