知的障害者の姉を、早く毒親から助けたいです
  • 07Apr
    • 又、エンジンつけっぱなし

      又、帰ってきた。9時23分からエンジンつけっぱなし。こないだは、11時10数分まで約3時間エンジンつけっぱなし

  • 05Apr
    • 車のエンジン音

      警察に言ってから1ヶ月間ぐらいは静かになったが、最近又元に戻りつつある。誰だか知らないが、車のエンジンを9時過ぎから1時間すでにかけっぱなし。何で家に入らないのか不思議さっき、一台どっかに行った。連れらしい何なの?又、警察に言うのめんどくさ

  • 23Mar
    • 毒母との電話で又、ストレス

      また、今日も毒母と姉のことで電話をしたので、ストレス溜まった。とにかく、自分が姉のために今までしてきたことを言いたがる毒母。自分は大変だったと。大体、なんで今までリハビリにもいかず、放置しているのか、歩けていた人が歩けなくなっているのか、普通に不思議。これ見よがしに、ため息ついて見せたり、ため息つきたいのはこっち。私には、姉の扶養義務ないし、そもそも姉を連れて帰ったのは毒母。私に一言も相談もなく、毒母一人ではこうなることはわかりきったこと。最初から。毒母と話していると、ムカつくことだらけだけど、今は姉をこっちに連れてくるためと思って、毒母のきが変わらないようにと我慢していた私?ストレス溜まりすぎ!!我慢しているとストレスが半端無いから、今度から言いたいこと言おうかな

  • 21Mar
    • 毒親の味方の、姉の障害者相談員。この相談員のせいで、毒親が更に自分の考えに自信を持ち、話がややこ

      あの毒親と相談員が電話で会話をしているのを見て、思ってた以上に親密そうだったので、いつものように、相談員に私の悪口を言い(自分の味方について欲しいから、嘘ばかりつき)、一緒になって相談員と私の悪口を言っていたのだと思う。だから、2年前に私が姉を九州に連れてきたいと相談員に言った時に、ものすごく頭ごなしにそんなことはできない!と相談員が反対をしたのだと思う。そして、今回も、ものすごく相談員が姉の転居に反対をしていた。姉の為とか、言いながら。本当は自分の仕事が増えるのが嫌だとか、他の理由があるようにしか思えなかった。いざ、施設が見つかったというと、色んな理由をつけて、手続きができないことを言ってきていたし。あんな相談員につかれた知的障害者は可愛そう。悲劇だ。毒親だけでも最悪なのに、肝心の相談員が毒親の味方になっているから、どんだけついてないんだと思う。全く、相談員としての知識もない、勉強をしようともしていないくせに、何故か転居の反対だけはする相談員。本当に邪魔なだけ。相談員としての役目を全く果たしていない。毒親やアダルトチルドレン、コロロの悩みのカウンセリングや相談を、多数の方が受け付けています。⏬

  • 20Mar
    • 毒母の言うように、毒母に対して私の捉え方がおかしいのかと、少し思ってしまった私

      実家に帰ってから姉の状態が悪化していたのは、自分のせいなのか!と毒母が私を責めていた。こんなに姉のために苦労をしてきた、一人でやってきたのにと。毒母一人で勝手に決めて、私には一切そのことを告げずに姉を連れて帰ったのだから毒母一人が面倒を見るのは当たり前。逆にその覚悟もなしで姉を連れて帰ったのかと思う。私が姉が実家に帰ってからどんどん、知能や体が悪くなっていると毒母にいうと、毒母は先に書いたように私のせいと言うの?!と、私を責めていたが、姉の前の旦那が「実家に帰ってからリハビリに連れて行かないから、〇〇はどんどん体や知能が衰えている」と、私と同じことを言っていたと毒母に言うと、自分が悪かったのかとその言葉を受け入れていた。私と全く同じことを元旦那が言っているのに!毎度のことだが、私が言うことは内容は全く関係なくして、否定して、私が言っていることがおかしいと責め立てるが、人が言うことは何でも許す。内容全く関係なく。私のせいと言うの!?と、責め立てられた時に、何故か私が悪いことを言っているような気がしていた私。思いっきり親を責めてはいけないような気がしていた。10000000%親のせいなのに。そう思っているのに。何かが引っかかって、言えなかった。姉を連れてきたい。そのためには、今は親を激怒させないようにと思ったからだろうか。何か、毒母のことを指摘すると(例えば、毒母は私に嫌がらせをしてきた等)、毒母は、私の捉え方がおかしいと言う。例えば、毒母は人の不幸を喜んでいるなどと言うと、私の捉え方がおかしい。変なことを、あんたは言うと。なんでも、内容関係なく、自分が嫌がることを指摘されると、私の捉え方がオカシイと、私を責めるが、私は何と答えれば良いのか?といつも思う。子供の頃は、毒母が望むように考えなければならないと無意識の世界で思い、毒母が嫌がることを本心では気づいていても、その自分の本心に気づかないように生きてきたので、毒母にとって私は都合が良い人間だっただろうが、そうやって、自分の都合の悪いことに気づかれると、私の捉え方、考え方がおかしいといい、又、自分の都合の良いように考えろとしていることではないだろうか?思考の操作。私が毒母を見て、どう感じようが考えようが私の自由のはず。それを、捉え方がおかしいとか言われると、どう返して良いのかいつも分からない。毒母は、いつも言うこと自体がおかしくて、話をしているとこっちの頭がおかしくなる。だから、姉を早く離してあげたいと思う。

  • 18Mar
    • 新しくブログを始めました。

      今晩は。このブログには、今の私の愚痴や記録として書いているのですが、はてなブログには、毒親に育てられた私の人生をありのままに書こうと思っています。⤵️https://dokuoya5.hatenablog.com/昔から書きたかったので、完全なる自分の為です。毒親が望むように何もなかったとはしたくないので。

  • 13Mar
    • 自分がいかに苦労したかを切々と訴える毒親。本当に苦労したのは知的障害者の姉の方なのに

      姉がこちらに引っ越すにあたって、リハビリができる施設を調べていて思ったこと。毒母は、姉が帰ってから、「自分ひとりで姉の面倒を見てきて、いかに自分が大変な思いをしていたか!」を、永遠と訴え続けるが、そもそも、姉を連れて帰ることを、姉の面倒を見させようとしていた私には一切言わず、毒父と、毒母の妹(毒親の近くに住んでいる)、30年以上ずっと親や自分の兄弟揃って悪口を言い続けて、全く連絡を取っていなかった毒母の兄に、姉が離婚をして、東京から実家に帰ることを相談していたらしい。で、35年以上兄弟皆で悪口を言い、疎遠になっていた毒母の兄が「連れて帰った方が良い。」といったので、連れて帰ったのだと思う。毒母は、自分の意思がなく、他人の意見に左右される人間だから。で、私には一切報告なし。私はまさか、姉が旦那と離婚して、実家に帰ってくるとは夢にも思っていなくて、実家にいる間は、親からの嫌がらせで頭がおかしくなっていたので、24時間、毎日、毒親を殺したい、1秒でも早くこの家を出たいした考えられない生活をしていた。幸い、当時、働いていた職場の人が、良い人が多かったので精神的に救われていたし、職場でのみ笑うことができていた。そして、ようやく目標金額が貯まり、10年来の願いを叶えるべく、一人暮らしをしようと思い、仕事場にも「●日で辞めます」と報告をして、その日まで実家で耐えようとしていた時、朝起きたら、姉がいた。35年以上全く音信不通だった、私にとっては誰だかもわからない、見たことがないジジイもいた。(毒母の兄)毒母と知らないジジイ(毒母の兄)が偉そうに、毒母は、兄という後ろ盾、味方ができたと喜んで、私に対して例のごとく強気になって(いつも勝手に自分の子供に対して敵対心を持っている毒母)姉が離婚をして、松江に帰ったと告げた。偉そうに、味方ができたことで、強気になって。いつものごとく、今まで何十年も悪口を言っていた自分の兄に向かって、今度は私の悪口を言って、自分の味方になってもらうように嘘ばかりをいっているんだろうと思った。とにかく、あの家にいると、「住まわせてやっている、光熱費を出してやっている、シャンプーや石鹸を使わせてやっている、自分が買ったテレビや家電を使わせてやっている」などと、10円のものを使っただけでも恩着せがましい毒親だから、自分が上の立場に立っていると、示したがる。で、養われているとして私を馬鹿にしたがる。しかも、毒母自身が40年以上ずっと悪口を言い続けていた、音信不通だった毒母の兄に、いつものように、私の悪口を言い、自分の味方になって欲しくて、嘘ばかりをいい、それをまともにそいつは受けたらしく、一緒になって私の悪口を言っている。何日間かその兄は実家に滞在しており、私と姉と毒親の5人でいた時に、私は、それまで10年間思い続けていた願いを叶えるために、やっとその時がきたので、(お金が貯まるまで我慢をしていた)、引っ越しをする当日、その毒母の兄が引っ越しの荷物を運んでいる最中に私の元へ来て、偉そうに「どこへ行くんだ!」と言ってきた。どうせ、毒親に頼まれてきたのだと思った。散々親戚中から悪口を聞かされていた、私が2歳ぐらいから全く音信不通の、その人物が急に眼の前に来ても、私にとっては、全く見ず知らずの人のよう。そんな人が偉そうに私に言ってくるので、「そもそもあんた誰?」と私が言ったら、そのジジイは激高し、私の胸ぐらを掴んで、「この野郎!」と、私のことが憎たらしくて仕方ないという、憎悪の塊のような感じで、「この野郎!」と言いながら、殴る蹴るの暴行をしてきた。こっちは引っ越し業者もきて、荷物を運び出している最中なのに、引っ越しをすることへの文句をその兄が言いながら、殴る蹴るの暴力をしてくるので、「邪魔!」と言いながら抵抗をしていると、更に、自分に対して文句を言ってくるということで激高し、暴力を振るってきた。何故、そいつが、2歳ぐらいまでに2回ぐらい会った程度で、その後全く音信不通だった私をあれだけ憎たらしい奴としてみるのか、憎悪の塊の感情を持つのかといったら、姉の帰省のことで、誰にも相談する人がいなく、たまたま連絡をしてきたその兄を利用しただけの毒母が、いつものように私の悪口を言い、自分を正当化して、嘘を並べているから。それを信じているから、私を憎たらしい奴とみる。いつものこと。全く知らない人が、毒親が、私について悪口を言い、自分自身は良い母親のように言うから、それを信じる馬鹿な人間が、全く私と話をしたことも、会ったこともない、知らない人が私を悪く見ているから。そもそも、娘の悪口を言う親って、人としてどうなのかと思うけど。自分が産んで育てた人。そんな人の言うことをまともに信じるのも、毒親と同類。そのジジイに、私が憎たらしいと思うように吹き込んだのは毒親と、いつものことと思っていた。暴力を振るわれたので、すぐに警察を呼んだ。すると、すぐに警察官が来てくれ、暴力はおさまった。私は引っ越し業者が荷物を運び出しているので、どこに行くのかと、ジジイ(母の兄)が引っ越し業者に聞いた。ストーカー気質の毒親は、私の居場所を又、躍起になって探し回るだろうと思い、引っ越し業者には言わないでくれと事前に言っていた。「言わないでくれと言われているので。」と、その業者が答えると、更に、毒親たちが怒り、とんでもないやつと私を責めていた。キチガイ3人に、罵倒され続けると、私一人でいると、何だか私が悪いことをしているような気がしてくるから恐ろしい世界。何が良くて、何が悪いのか、ことの善悪の判断ができなくなる。そして、警察官が来てくれたおかげで、キチガイ3人に警察が事情聴取をしている間に、荷物を車に積む作業をして、家を出た。最後、あのキチガイ兄が増えたおかげで、キチガイが更に増えたなか、やっと、10年間の思いが叶えられて、家を出れた。が、その時に姉が実家に戻ってすぐの頃だった。そうやって、私は実家を出たので、姉のことは非常に気がかりだったが、私には一切報告せず、私は無視で、キチガイの兄と二人で母は、姉を東京へ迎えに行き、二人で実家に連れて帰ることを決めたのだから、その後も姉の面倒は今まで相談してきた毒父や兄などで面倒を見れば良いと思った。毒母の思惑は手に取るように分かる。いつものことだから。普通、知的障害者の姉を連れて帰る、面倒を見るのだったらその後、どういう生活をするのか、決めてから連れて帰ると思うのだが。毒母はいつものことで、どうせ、私がずっと実家にいるから、姉を連れて帰りさえすれば、強制的に私が面倒をみることになるとの計算の上に連れて帰ったのだと思う。姉の面倒を見る上で、一番、任せようとしていたのは、私なはず。私しかいないから。子供の頃のように。どうせ、実家に私がいるから、私に何も言わなくても、姉を連れて帰りすれば、私が勝手に面倒をみらざる負えない状況になると、だから、私に何も事前に報告をしなかったはず。もし、あんな思いをしてまでようやく実家を出てから、5年間、100円のジュースを買うのも我慢して、携帯も、車も持たず、とにかく節約をしてためてきたのは、一秒でも早く実家を出たかったから。そんな思いをして、10年来の夢がかなってようやく実家を出て、急に勝手に私を無視て姉を連れて帰って、姉がかわいそうだからといって、実家に戻ったら、それこそ毒母の思う壺。私には、事前に言わなくても、姉が目の前にいれば、勝手に私が面倒を見るだろうと。毒母の思い通りにはしたくないし、とにかく、毒親には一切近づきたくなくて、姉のことは考えないようにしていた。しかも、私は10年間毒親に嫌がらせをされ続け、一緒に暮らしていて、完全にまともな思考ができなくなっていたので、我に返る為に2年ぐらいかかっていた。毒母は、姉を連れて帰ってから自分がどんだけ大変な思いをしたか、を切々と訴えるが、全くノープランで連れて帰るお前が悪いと思う。普通、どうするのかを決めてから連れて帰るものだろう。ノープランだから、いざ連れて帰ってから、というか、当時の姉はまだ、知能もしっかりしていたし、歩けていたので、大変というより、普通の親なら楽しく過ごせていたはず。一番の犠牲者は姉一番相談していて、一緒に連れて帰ったキチガイ兄と、その後も姉の面倒を見れば良いんじゃない?と、完全に無視していた私に、自分が困ったからといって、面倒を見ないことを非難するのは、大きな間違いだと思う。毒親といると、言っていることがおかしすぎて頭がおかしくなってくる。

  • 11Mar
    • 毒親だけでなく、障害者相談員も問題人だった

      姉の担当の障害者相談員は、姉が転居するのを以前からずっと嫌がっている。口では「姉の体に負担がかかるから」と言っているが、それをアドバイスとして言うのではなく、転居するために必要なことの行動に移してくれない。母親は、2年前に私が転居させたいと言った時に、姉の事故前の友達に、妹がこう言ってくるけど、どうすれば良いかと相談したり、姉の以前の旦那に相談したりしていたようなので、毒母は迷っていたらしい。(そもそも自分の意思がないから)が、姉の担当の障害者相談員が、何故か頑なに「このまま一生施設生活が良い」と言っていたので、人の意見に100%左右される毒母は、相談員が言うから姉はこのまま一生この施設の生活が良いと考え、その考えに自信を持つようになったらしい。もし、相談員が、「姉は妹の元が良いのでは?」と転居することが良いとする考えなら、母親は、やはり転居した方が良いとい考える人。100%人の意見に左右されるから。母親のことを人に左右される人間と相談員に言ったら、そんなことないと、母親のことをいう私がおかしいみたいに言っていたが、事実だから仕方ない。逆に、人に良い母親と見られたいだけのあの、毒母の本性が見破れない相談員は、毒母と同類の人間に見える。今日も、姉が転居をするとしたら何が必要かを事前に教えて欲しいと言ったら、「知らないから、調べて2週間後に連絡する」とのこと。なんで、たったそれだけのことに2週間もかかるのか、おかしすぎる。やっぱり、あの人。2週間もかかるなら、私が市役所に直接聞くと言い、その後、市役所に電話をしたらすぐに答えてくれた。何なのあの相談員。この先、どの施設に転居するにしても、あの相談員が姉の状態を説明して、その内容を元に入居の決定を下されるらしいが、あの相談員が又、転居させない為に仕向けるのではないかと思って不安。不信感しかない。あの毒親が親近感を持つ人物、毒親と同類。まともな人間には、毒親は近づこうとしないから。何の知識もない。勉強をしようともしていない。姉のことも何も知らない。知ろうともしない。毒母の一方的な話を鵜呑みにして、相談員が転居を嫌がるのは、自分の仕事が増えるからとか、転居させたくない理由(相談員自身の都合で)があるからとしか思えない。ずっと前から。口では、姉の環境が変わらないようにするためとか言っているが。あんな、何の知識もない、何も知らない人間が、なんで進路について、姉の人生について口を出せるのか疑問。

  • 09Mar
    • 毒母の承諾を、ようやく得た

      9日に、毒母を6時間位かけて説得して、ようやく姉の転居の承諾を得た。毒母が私に「あんたの好きにしていい」と言った時に、「だったら、今、相談員に承諾したことを伝える為に電話をして」と私が言ったら、相談員に電話をかけたのだが、「今からここに来れないか?」と、全く別のことを聞いていた。どうやら、相談員とは親密にしているらしく、相談員に来てもらって、私を自分と一緒に説得して欲しい、私を丸めこんで欲しいようだった。相談員が、今から帰宅するからと言うと、母は電話を切った。いつものパターン。誰か、自分の後ろ建てをつくって、その人と同盟を組んで、私をやっつけたいという。私が、承諾しましたと相談員に言ってと、言ったのに、何故、相談員をここに呼び出そうとするのかと、母に指摘をしたら、又、「明日電話するから」と、逃げようとするので、「今、嘘をついたのに信用できない。今、私の目の前で電話をして」と言うと、しぶしぶ相談員に電話をかけた。相談員と母の会話ぷりから、かなり親密な関係のようだったので、「やはり」と思った。母は自分の意思が全くない人間なので、姉の転居を嫌がることの後ろだてには、あの相談員の意見があったと思う。あの相談員が転居に反対だったから。2年前なら、まだ今より姉は知能がましで、私の元に来るのを喜んでくれていた。絶対にどんどん容態が悪くなるから、2年前に連れて帰ったりしたかったのに、はなから、強く「そんなことできない」と、相談員に否定をされた。2、3回電話で。あの相談員のせいで、2年前に連れて帰れなかったのは事実。たかが相談員に、姉の人生を決める権限があるの?相談員は姉の面倒を見ないのに。

  • 07Mar
    • 姉に会いに行きます

      多分、11月に会いに行った時より、姉はもっと知能も体も悪くなっていると思う。あれから、親は姉に電話を私にかけさせなくなったので、どんな様子かも全くわからない。実家に戻ってから、驚くほどのスピードで、体も知能も衰えていっている姉。一体、どうやったらあんなに人間の知能や体が衰えていくのかが、ただ、驚いてします。でも、あの毒親の元ならそうなるのも納得がいく。想像を絶する精神的な苦しみを実家に戻ってから姉は味わってきたと思う。私が姉の立場なら、死んだ方がましと1000000%思う。まだ微かに自分の意思が言えるであろう姉の意思を聞くために、会いに行きます。早くしないと、きっと、完全に植物人間になるから。そして、死ぬでしょう。あの毒親とどう話し合えと言うのだろう。毒親が、話ができる人間なら、わざわざ姉を私の元へ引越しさせたいとも思わない。全くの変人だから、姉を離したいと思うのに。麻原彰晃がニュースになった時に、うちの親と同類と思った。人の命や心を何とも思っていない人間。そんなキチガイとまともに話し合えるはずがない。正に、生き地獄。拷問以外の何物でもない。

  • 04Mar
    • 絶望

      2日にようやく、先月の24日に相談をした、松江市の障害者相談所から着信アリ。1週間も経っていたので、その程度の相談所なのだと思い、全く期待しなくなっていたし、仕事で疲れすぎて、頭が回らなくなっていたので、仕事が休みの今日、折り返し連絡をしたら、姉が住んでいる施設の人に連絡をしたら、親が来ている時に、親が姉に暴言を吐くようなことを見たことはないとのこと。だから、親を面会させないように措置することはできない。姉の転居は親子で話し合ってくださいとのこと。だから、母親は他人に、良い母親と思われたい願望が異常に強く、その為に、生きている人なので、他人の前では、私たち娘への態度が180度変わる。コント並みに。施設の職員がいる人の前では、良い母親像を見せるから、それを言っているのに、もう、相談する労力と、電話代がもったいないと思い、「そうですか」とだけ言って電話を切った。毒親以外の人と戦う気力はない。

  • 01Mar
    • 母親に阻止されて、知的障害者の姉が、毒親から離れられない

      毒親が所属しているという松江市の高次脳機能障害家族会の会長に姉のことで相談の為に、1週間前ごろ電話をしたり、姉と毒親が住んでいる、松江市の障害者虐待相談所に電話をして、又、私のところへ連絡をすると言われていたが、あれから全くどこからも連絡がない。多分、親が私を悪く言っていて、(姉のことを今まで放っていたとか、自分が姉の面倒を見てきたとか。)その母親のことを信じて、私を又、悪者扱いにしているのだと思う。姉のことに限らず、親は周りの人全員に私たちの悪口(嘘ばかり)を言って、自分の味方になってもらおうとする人間だから。普通、親って、他人が悪く言っても、親だけは信じようとするものだと思うけど、毒親は真逆。いつものことだから、想像はつく。もう、毒親と関わることは勘弁だけど、毒親の元に姉がいるので、離すまで又、関わらなければならない地獄の現実。大体、毒親は姉の知能が回復したり、喋れるようになったり、立てることを望んでいない。私たち娘が不幸になることしか、精神的に死ぬこと、絶望、傷つく、苦しむことしか望んでいない毒親だから、その人の元にいて、姉が幸せになれるはずがない1000000000000%言い切れる!!姉の不幸しか望んでいない毒親だから。リハビリにも全く連れていかないし。行くわけないけど、今の立てない、自分の意思を持てないままの姉が好都合だから。又、自分の意思を持つと、出たいとか、母親が嫌とか言い出すから、知能が回復しないままの今のままの死人状態の姉が好都合なはず。姉を自分の都合の良い物扱いをしているのは、母親!姉を私の元へ連れてきて、リハビリに連れて行って、行く行くは自宅で住めるようになって欲しいと、姉が楽しいとか、嬉しいと感じることをさせてあげたいと、希望を持てるようになって欲しいその為には、知能や体のリハビリに連れて行きたいと言っている私に、「姉を物扱いしている」と、毒親は言ったが、どこが物扱いなのか、意味不明。毒親と話していると、本当に頭がおかしくなってくる。発狂しそうになる。姉が発狂するのは、知的障害者だからでなく、毒親といれば、まともな精神の人間なら誰でも発狂すると思う。それを、姉が知的障害者だからと姉のせいにして、その発狂する姉の世話をする、苦労している良い母親づらをしている。お前のせいで、精神も体も死んでいっているのに。毒親は、多分、姉の身元引受け人となっていて、自分が姉の権限を握っていることを知って、ものすごく権力を握っているように思い、私の上に立てているような気がして、いい気になっていると思う。いつも、私たち娘は自分の支配下にいることをアピールして、お前たちは自分の承諾がないと、何もできないんだ!と、私たちが奴隷のようにアピールをしていたから。例えば姉がまだ、事故にあう前に、健常者だった頃、賃貸の保証人を親にしようとして、不動産屋から連絡が来た時に毒親が、「お前たちは、俺がいないと、一人暮らしをすることもできないんだ」と、いかにも自分が私たち子供の上にいて、人生の支配をしていて、自分たちの存在を私たちに誇示するかのように、お前たちは、自分がいないと何をすることもできない立場にいるということを、誇示していた。常にそういう接し方をしていた毒親。だから、絶対に親の世話にはなりたくなかった。10円のものを買っただけでも、恩着せがましく、一生、してやったと上に立とうとする人間だから。そんな毒親に生活全てを、人生全てを任せないといけない、知的障害者の姉は本当に可哀想。人生に絶望するのも当たり前。私だったら、毒親の世話になるぐらいなら死んだほうがマシ。

  • 26Feb
    • 疲れてきた

      今日、昨日電話をした松江市の障害者虐待相談所に電話をして、母親に直接連絡をしてみて欲しいとお願いをしてみたが、「親子で話し合って欲しい」とのこと。私が住んでいる町のアダルトチルドレンや精神的なことで悩んでいる人のための相談所へ電話をしてみたら、逆に私が責められるようなことを言われた。アダルトチルドレンの相談所なら、説明をしなくても、毒親のことを理解してくれるかと思ったが、全く違っていた。そして「親子で話し合うしかない」とのこと。それができるような、まだ救いようのある人間なら、姉から引き離したいとか思わない。私の毒親は、知れば知るほど、驚くような、こんな人間いるんだな。と、本当にビックリさせられる人間。会話をしても、嘘ばかりつく。自分の本心を絶対に言わない。そして、自分自身にも自分の本心を隠している。自分自身にも嘘をついている、根っからの嘘つき。会話にならない。とにかく、私の願いを叶えたくないだけで、内容なんかどうでも良い人間なので、言っていることに、統一性がない。あんな人間とどうやって話し合えというの。正に拷問。疲れた。明日から仕事なので、2日間は多分何もできない。ただでさえ、体調が悪いから、外に働きに行くと、グッタリして、その後数日は極度の疲労から、体も思考能力も停止する。

  • 25Feb
    • 毒親と話し合えということは、お前は頭がおかしくなって死ねと言っているようなもの。

      自分の記録として、ブログに書きたいと思います。今日、姉のことで相談をする為に、私が住んでいる市の障害者虐待相談所という所に電話をかけました。そこでは、私の一からの説明で話しているのを遮って、「ここは、虐待相談所ですが、どのようなことでご相談ですか?」とか、「だからどのようなことで相談したいのか?」などと、話始めた最初の頃から私の話を遮って、聞かれるなど、あまり真摯に相談に乗って頂ける方と印象は持てない方でした。その相談員さんが、姉が住んでいる町の障害者相談員に相談した方が良いと言われたので、電話を切り、姉が住んでいる松江市の障害者虐待相談所に電話をかけました。相談員さんも、話を聞くのは大変かもしれませんが、(私はすぐ人の気持ちを考えて、嫌だろうからと遠慮してしまうところがあるよう。で、結局相手が望むように、話を長くならないようにするなどして、全く自分の思い通りにできず、後で後悔するパターン。)いつも、相手の気持ちを汲み取って、相手優先としてしまうので、なるべく、そうならないように、(相談する意味がないから)気をつけながら、自分の願望を叶える為に頑張って話すようにしたのだが、私もこの12年の長い歳月の、しかも、親のこと、一番思い出したくない、ことを思い出さないといけない作業はきつすぎるが、長々と説明をした。松江の相談員さんは、私の町の相談員さんと違い、長い話を聞いてくれた。そして、姉の施設の人や厚生センターの相談員にも話してくれるとのことだった。いつも、親のことを相談すると、毒親と無縁の人は、「親と話し合ってください。」私が若い頃から、散々聞かされてきたセリフ。親と話し合えないから、相談しているし、話せるようなまともな親なら悩まない。毒親と話し合えということは、お前は頭がおかしくなって死ねと言っているようなもの。親のことは思い出したくない、記憶から消し去りたいから、人に説明するときに、いつもパッと思い出せない。だから、状況証拠としてビデオに撮っておけばよかったと悔やむ。

  • 24Feb
    • 毒親のせいで、又、悩まされる

      やっと、今日、母親が所属しているという高次脳機能障害家族会の代表者に電話をした。姉が実家に帰ってから、母親と話しをする機会は、私が癌になって、5年前頃に実家に帰ったときと、去年の2回ぐらいしかなかったが、その時、いつも高次脳機能障害家族会に入って、相談にのってもらっていたとか、先日、姉を私の元へ連れて帰りたいと言った時も、「あんた、そっちで友達いないでしょ。私は高次脳機能障害家族会の人に相談をしてもらっていて、人との付き合いがある。」といつものごとく、人を馬鹿にして、「自分は違う」とアピールをしていたので、よほど、高次脳機能障害家族会の人たちを、心の支えにしているのだと思い、その人達に相談しようと思った。どうせ、母親は人には良い母親と思われたいから、私のことを含めて嘘ばかりを言っているから。私のことは、姉を放っておく、冷たい人間のように人には言っているから。で、自分は姉の世話を一人でしている良い母親と。真実を母親が支えと思っている人に伝えたくて、高次脳機能障害家族会の代表者に電話をした。先日も、「私は高次脳機能障害家族会の人との付き合いがある。」と、私を馬鹿にしながら言っていたので、余程付き合いがあるのかと思い、電話をしたら、私が母親のことを相談をしても、それが、会員の母親のことと分からなかったようだ。相談内容で、あの岡田さん、と気づくかと思ったのだが。だから、母親は高次脳機能障害家族会の代表者と全く付き合いがないようだ。あれだけ、私には、「お前と違って、私は人との付き合いがある」と上から目線で言っていたのに。又、毒親の真実がみえた。高次脳機能障害家族会の代表者の人の電話で、母親や姉のことを説明しても、それが会員の岡田とのことが分からないようだったので、「そちらの会(らぶ)に入っていると思います。」と言ったら、その場で調べて頂き、やはり、らぶに入会しているとのことだった。で、私が姉を毒親から離したいといったら、姉の相談員に話をしてくれるとのことだった。少しは進展するかもしれない。もう少しだからと、姉に伝えたい。要するに、今、施設に姉が入っていて、毒親が身元引受人になっているので、私が毒親と姉を離すために九州に連れてきたいと言っても、毒親が嫌がり、このままの状態になっているから、どうにかして、姉を毒親から解放したいのです。毒親が死ねば一番良いのだが。何も悩まずに済む。

  • 23Feb
    • 毒親に精神的虐待をされる知的障害者の姉

      あの体調が悪くなって実家へ帰った私が、あのような親に態度をされ、自殺へと追い込まれていった。あのまま母親が家を出て行かなかったら、私はもっと借金まみれになり、その前に自殺していたと思う。それぐらい追い込まれていった。だから、姉は、知的障害者で一人で実家に帰って、私のようにお金がないからと言って、借金をすることもできない。母親は、第三者がいないところで、絶対に姉の為に料理を作らないから、そして、家にある食材も姉が食べると怒っていたと思う。絶対に。私が5年前に癌になって実家で帰ったときも、家にあるものを食べると怒っていたから。嫌がっていたから。癌になった私が食事療法をしていると言ったのに、料理をつくるのをめんどくさがり、あげくに、わざと食材を購入しなくなったから。嫌がらせ。(私は当時、実家では車等がなくて、食材を買いに買い物へ行けなかった。)仕方なく、体調が悪いのに、自分のお金で母親のスクーターを借りて、食材を買って、自分で料理をしていた。一回、無農薬のお米を買ってきてといって、母親に頼んだら、すごく高かったといい、レシートをこれ見よがしにテーブルの上に置いていた。挙句に、あれだけ父親の悪口を言っていた母親が、父親への対応を私がやめて、父親が私に辛く当たりだしたとき、母親が、父親とグルになり、一緒になって私を攻撃するようになった。(母親にとって、癌で帰ってきてくれて好都合)何だこいつと、すごく驚いたが、もう、親といるぐらいなら、癌で死んだほうがましと思って、すぐに家を出て、絶対に親と会うこともない、親のことを頭から消せそうな遠い距離の町まで、なんのあてもなく、即効で部屋を決めて家を出た。私は親が嫌なら出ることができるが、姉はいくら地獄の生活でもでることができない。ほら、さっきテーブルの上に置いたレシートどこやった?といかにも買ってきてやったと、ものすごく上から目線で偉そうに言っていた。とにかく恩着せがましい。10円のものを買っても、恩着せがましく偉そうにいうやつ。だから、10代のころから、自分達で全て働いて貯めて学費を払っていた。だから、姉なんか、自分のお金が全くないし、どうすることもできないから、家にあるものを食べると多分親に、何て奴だ!と怒られて、とんでもない奴として、めちゃくちゃ怒られていたと思う。もしかしたら、子供の頃に姉が灸を親にされていたように、灸をされていたかもしれない。折檻を受けていたかもしれない。父親はストーカー気質なので、(母親も)常に姉が何をしているのかに注意をして、ご飯を食べていたら、自分が買った食糧を食べたとか、汚したとか私が実家に帰った時に、私の茶碗が流しにあると、箸一本でもそれだけ洗わない。残して毒親は自分のだけを洗う。とにかく、私の為に箸一本洗うのも嫌。それを見て私が傷つき、落ち込むを思うとそうさせたいから。単なる嫌がらせ根性から。嫌がらせが趣味の毒親。それによって、傷つき、落ち込み、鬱になる、弱っていくのが楽しくて仕方がない。快感に感じる人種。だから、姉が食べた後も、食器を洗えと怒り、できないとなじる毎日だったと思う。食事ももちろん姉の為になんか作らず、多分、姉は自分でつくれないから、そこらにあるものを食べる。そうすると親が怒る。とんでもない奴だとして。そういえば、姉が実家に帰った当初は、姉が母親に料理を教えてくれと言ってノートを持ってきていたと言っていたが、母親が姉に自分で作れと言ったからではないかと、今、書いていて思って。当時、それを聞いて、母親が姉の望む通りに料理を教えることなんて1000000%しない。私たちが望むことが叶ったり、喜んだり、嬉しくなるのが一番嫌な人間だから、「見てればいいでしょ!」と冷たくつき放って、わざと要求を叶えないように、落ち込ませるようにしていたのだと思う。で、姉が怒って、発狂をすると、父親が出てきて姉を怒る。そして、あれだけ父親の悪口を言っていた母親が、父親の味方になって、父親と同盟を組んで一緒になって姉をなじる。とんでもない奴とする。それは、家の中で、第三者がいない密室でのことだから、誰にも何も言われない。姉は誰にも助けることもできない。正に親にとって好都合の環境。パラダイス。正に、知的障害者の実の娘をいじめる毒親という異様な世界で、母親は、他の人には知的障害者の姉の面倒を見て、自分がどれだけ大変かを話し、ほかの人には知的障害者の娘の面倒を見ている大変な良い母親と思わせるようアピールをする。が、現実は全く違う。姉は自分で本当のことを話すことができないから、毒親の格好の餌食となっている。毒親二人とも仕事もせず、家にいる生活をしていたから、姉にとって本当に地獄の毎日だったと思う。私が想像をするのも苦痛すぎてできない、残酷な毎日だったと思う。あんな、私らの為に何一つするのも嫌がる、私らに嫌がらせしかしたくない人間の世話にならないと、人生を送れないのだったら、本当に死んだほうがまし。姉は実家に帰った当初は、それまでに旦那さんが姉をよく笑わせることをして生活をしていたし、姉の気持ちを尊重してあげる生活をしていたので、姉は我儘で、よく笑う、笑ってばかりいるような人間になっていたが、実家に帰ってからは、笑顔が消え、「死にたい」と言って、ビルの上にたっていたことがあったそうだ。毒親は生かさず、殺さずなので、体を殺すことはしない。世間に言われるから。人の目の為だけに人生を送っている人だから。ああやって、日常生活で陰険な嫌がらせをしている分には、100%他人に知られることはない。そして、良い母親と兄弟など他の人にはアピールする。

    • 死ぬかもしれないと思う程体調が悪くなり、実家に帰ったら、毒親によって自殺に追い込まれる

      私の為に1円も出すのが嫌。惜しいという毒親。私は27歳の時に、病気を治してから又出ようと思って帰ったが、親二人からの日常生活での嫌がらせ、私の不幸、苦しむのが楽しい、嬉しくて仕方ない、ストーカーのような行動、常にこちらばかりを気にして(嫌がらせをするために)いる二人の行動に、自分の病気のことを考えることが全くできなくなり、こっちまで親のことばかり気にするようになり、もうここにいては無理だと、だんだん自殺したいとばかり思うようになっていた。当時から父親は、退職をして一日中家にいる生活をしていたので、私は全く息を抜く暇がなかった。人から電話が私にかかってくると、相手関係なく誰からの電話でも、親子電話で親がじっと聞いていた。それが電話をしていて、分かるので、毎回気持ちが悪くて仕方なかった。だから、クレジット会社にも借金の返済の為に借りるようになっていた。どうせ自殺するし、普通の思考が全くできなくなっていた。毎日、確実に死ねる方法ばかりを考えていた。頭の中でシミュレーションをして。そうしているうちに、浮気を10年以上していた母親が家を出た。それぐらい、夫婦の関係は悪化をしていて、私は完全のそのとばっちり八つ当たりをそれまでに受けていた。それが私が実家に帰って1~2年してからだと思う。母親が出て行って、嫌がらせ、ストーカーが二人から一人になってくれたおかげで(父親一人に)急に私は、ものごとを普通に、少しは冷静に考えられるようになったのだから、いかに二人でいるときにすさまじい嫌がらせを受けていたのかと思う。正直言って、思い出したくない生活だったので、思い出すのにものすごい労力がいる。そこで、父親一人になってくれたおかげで、普通に思考できるようになったので、冷静に考えれるようになり、瞬間に、自殺したいという思いは消え去った。そして、クレジット会社で借りているお金のことを何とかしなくてはと思うようになった。それまで一人暮らしをしていたのを、体調が悪くなり、働けなくなって、お金が底をついたから生活できなくなり、実家にもどったので、ゼロだったのを、実家に戻って、アパートを引き払うと親に知られると、ますます嫌がらせがひどくなると思って、これ以上自分の精神が崩壊するのが怖くて、だれも住んでいない部屋を1年近く借りていた。クレジット会社で借金をして。親は逃げ場がない、そこまで苦しんでいる、そしてこの家に住む=自分達の下の人間のように思って、益々いい気になって嫌がさせをしてくる人間だから。食糧や生活用品などは全て借金をして、自分で買っていたので、借金額がかなり膨れ上がっていたので、早急に何とかしなければという気に母親が家を出た瞬間にまともな思考ができるようになった。石鹸等も親は隠していたので、とにかく私に全く日用品を使わせたくない、と、私が嫌な思いをするほどに楽しいと感じる人間なので、私はシャンプー等を家にあるものを使用してはいけないのだと思い、借金をして、自分で借りていた。母親が出て行ってからは、すぐに、その借金の返済のことを考えれるようになり、私は親のせいでそもそも意味不明な借金をつくるようになったのだから、このまま何もないままにして親が過ごしていくのが嫌で、出て行った母親に借金のことを話した。1年近く連絡しなかったのだが、母親に連絡をした。親が借金のことで苦しんで欲しくて。初めは母親はいつものように「そんなこと私に言われても困るわ」と、人を馬鹿にしたように突き放して、すぐに電話を切られたのだが、毎日のように返済請求の電話がかかってくるし、(これも父親が親子電話でじっと聞いている)1日も早く返したいのと、(少しまともな思考ができるようになっている)親が苦しんで欲しいという思い(私だけが苦しんで、何もなかったかのように過ごされるのが嫌だった)から、何回か母親に電話をかけて、「1日たつと又利息が増える」等と説明をすると、偉そうに、私は経緯を説明したのにも関わらず、いかにも私が一人暮らしをしていた時に借金をつくって帰ってきたかのように解釈をして、そのように母親の兄弟に話し、私をダメ人間扱いして、完全にそれを救った良い母親面をしていた。健康な若者が、人間関係ができずに働けず、借金を作ったから、実家に帰ってきて、親に養ってもらっている引きこもりのダメ人間扱いをし、その返済をしてあげた良い母親と自分達の兄弟たちに思わせるように言い、自分自身もそういうことに思っていたよう。私に貸しができたと。因みに、母親や兄弟たちがそのように、私のことを思っていたので、本当は違うのに、私も自分がそうだったような気がしてきて、母親に対して引け目に感じて、自己卑下するようになっていた。この考え方は一体何なのだろう。幼いころからだが、母親とその兄弟たちはいつも私たちを悪く言い、思い、勝手に決めつけて、本当は違うのに、その人達が勝手に決めつけるままに自分も自分がそうな気がして考えてしまう。洗脳のように。本当は全く違うのに。借金をしたくないために実家に帰ったのに、親の嫌がらせによって、意味不明な借金をつくって、膨らんでいっただけだった。結果、あんなに借金をつくるのだったら、そしてあんな地獄の思いをするのだったら、あのまま一人暮らしをしていればよかった。実感に帰ってからは、そんなまともな思考は全くできなくなっていたから仕方ないが。結局、裁判所にも行って借金のかたをつけた。借金がなくなったことで、精神が落ち着けるように多少はなったと思うのだが、母親が私に借りができたと思ったらしく、私の上にたてたような気分になったらしく、それまで連絡をとっていなかったのに、借金のことで連絡をとったから。そのすぐあとに、すぐに又、父親の元へ戻ってきた。要は、1年たつかたたないか位で又、戻ってきた。(金銭的に一人暮らしが無理になったようだ)私のことを偉そうに言っていて、自分も同じ。で、母親はいかにも私がつくった借金を返済してあげた良い母親面をして、上にたって、私を、先の理由でダメ人間扱いをしていたので、私も何故かそのように思い、母親に対して恩がある、引け目に感じて、自分をダメ人間と卑下するようになっていた。母親は一人でなく、それを自分の兄弟たちに私のことを悪く言い(全部嘘)、兄弟たちが喜んで私のことを悪く言うので、その考えに絶対に自信が持てるようだ。兄弟も言っているからと。ようするにグルになる。私は、その人たちの考えによって自分や親は、その人達が言う通りだとのまれてしまうようだ。因みに母親の兄弟は4~5人と多いので、最悪なのだ。そして、本当は嫌いとか、馬鹿にしているとか、憎たらしいとか、どう思っているかなど、本心は絶対に母親は言わない。そして、そんなこと言っていないというが、言動や行動等で、本心は分かるし、言動からどのようなことを言っているのかを総して表現できる。母親が帰ってから、私が出るまでの10年近く、私は早く家を出たい、親を殺したい。それしか毎日本当に考えられない生活をしていた。

    • 娘のことが憎くて仕方ない毒親。娘が傷つき、どん底に落ち込み、卑下するのが喜びの毒親

      親は私たちのことが憎たらしくて仕方がない。望むのは、卑下して死ね。自己卑下して、自分の意思をもたず、自分の感情にも気づかず、母親が思えと思うままに考える、親にびくついて、親を怖がり、偉大な教祖のようにあげたてまつる人間でいろと。一番嫌なのは、自分に自信をもつこと。自分の感情や意思をしっかりともち、楽しく、充実して暮らすことが一番怖いこと。助ける人もいなく、逃げ場がなく、親に傷つけられて、絶望して、自分の意思を持たず、我慢しているのが嬉しくてたまらない人間。姉のことを異常に憎んでいたから。両親は。私が物心をついたときから。だから、姉がうつ病で電車に跳ねられたと聞いた時は、こうなるべくしてなったと思った。事故前の姉は、幼いころから両親に嫌われているのは自分のせいで、自分の性格のせいで、何で妹ばかりをヒイキするのかとうつ状態に悩んでいたから。親に虐待をされたから、うつ病になって、電車に跳ねられて、知的障害となり、又、その親の元で生活せざるおえなくなり、又、虐待をされるという正に地獄の人生。私が27歳の時に、体調が悪くなって帰ってきたときに、親は食べ物を私に食べられまいと隠したり、光熱費は自分達が払っていると威張りくさり、家は自分達が建てたもの、洗濯ものはそのままの状態で日陰に干し、私のだけ取り込まない。私のだけ、たたまない。ポーンと投げてある洗濯もの。ストーカーのように、私が毎回留守の間に部屋に入って探ったり、当時病院情報を教えてくれた人の郵便物を私が見る前に捨てる(父親は郵便配達員の音をじっと聞いていて、くるとすぐ行き、私あてのものを勝手に捨てる。)私が一人暮らしをするときに日記などを実家に残して出たのだが、帰るとそれまで書いていた日記などが全て捨てられて消えていた。とにかく嫌がさせが趣味だから、私がすること全てに嫌がらせをする。日常生活全てに。それしか頭にないんじゃないかと思うぐらい。常にこっちのことばかりを気にして考えているのではないかと思うぐらい。本当に気持ちが悪い。あんなのと生活をしていると、誰でも頭がおかしくなると思う。正に地獄。今にして思うのは、日常生活をビデオに撮りたかった。昔からずーっと思っていた。ビデオに撮りたいと。親とのこと生活を。当時、お金がなくてビデオカメラを買えなかったが、ビデオに撮っておきたかった。自称良い母親の実態を。

  • 21Feb
    • 毒親をまともな人間と信じたことが地獄の始まりとなった。

      まだ、まともな人間かと少し信じている部分があったので、実家へ帰ると、ふんっという感じの母親。いくら体調が悪いと言っても、嘘と決めつけ、怠け者の引きこもり扱いをし、馬鹿にして笑っている親。父親は、私が1年前に家を出るときにさんざん本心を父親に言ったので、完全に私を嫌っている。よく帰ってきたなと。(父親は、自分は私たちに散々傷つけることを言ったり、したりするくせに、自分のことを嫌う人を異常に嫌う人間。多分父親自身が幼いころのトラウマがあるように私は幼いころから感じていた。)なので、私が物心をついたときから、父親への応対は異常に気を使いながら応対していた(無意識の自己防衛から)が、実家を出る前は、もう二度と帰らないつもりでいたので、本心を父親に言っていた。父親は、自分を嫌う人を異常に嫌うので、私が実家に帰った時は、私を嫌うようになっていた。人付き合いが昔から全くなく、趣味もなく、一日中父親は家にいるので、何も考えることがないらしく、とにかく同じ家にいる私と母親のことしか頭にないのではないかと思うような行動ばかりをとっていたので、気味が悪くてしょうがなかった。私は当然、実家に帰った時は、自分の体を治してすぐに家を出ようと思って帰ったので、病院等を調べたり、病気のことについて調べたりと、体を治すことしか考えたくなかったのだが、実家にいると、それどころでは全くなくなっていた。今思うと、病院を調べるために病院情報が書いてある本や、病気の本を私の部屋に置いていたから、しょっちゅう私がいない間に私の部屋に入って偵察をしていた親だから、体が悪いということは嘘ではないと、分かると思うのだが、なぜか嘘つき扱いをしていた。その体調が悪いことは、当時、親たちに対してあまり堂々といえないでいたように思う。27歳の時に、急に異常なめまいがするようになり、急に異常に体がだるくなるようになった。常に高熱があるような状態で、座っているだけでも辛く、ずっと横になっていないといれない状態になっていた。そして、それまで1,5と2.0と非常に視力が良かったのに、同時に視力がガクッと落ちて、それまで余裕で見えていたものが急に見えなくなっていた。それまで健康体だったのに、ある日を境に急に異常なめまいや、だるさに襲われ、いくら寝ても全く改善しなかったので、日がたつにつれて、私は死ぬのではないかと思っていた。当時、私は自分がアダルトチルドレンであるということに気づいていたので、絶対に実家に帰るのは嫌だったのだが、体調が悪くて働けなくなったので、金銭的に一人暮らしを継続できないと思い、死ぬよりましと、又、体を治したら実家を出ようと思って実家に帰ったのが大きな間違い。親といるなら死んだほうがましだった。自分の体のことへの恐怖心とお金が底をついたことで、精神的に非常に弱っていたので、そうすると弱っていることがいけないこと、負けていることのように思い、親に対しても小さくなっていた。それを親は感じると、そして、あの家にいると親は家に住まわせてやっている、光熱費を出してやっている、自分達が買った家具を使わせてやっている等ということで異常に私たちに対して威張り、上に立ったような気でいるので、私は住まわせてもらっている下の人間。まるで乞食が恵んでもらっているかのように親たちの下のような気になり、小さくなっていた。しかも、体調のこともあり、完全に弱りきっていた。→ノートブログにも記事を書いています。←