不思議な人です 小泉八雲   


本名はパトリック ラフカディオ ハーン


元々はギリシャ人です。


アイルランドに渡りそこからフランスへ

  両親の離婚でイギリスに

父親が亡くなり育て親の破産 自分の左目の失明と災難が重なり心機一転アメリカに。


そんな引きこもりになりそうな時ハーンはどんどん居を変えます。


アメリカに渡った彼は新聞社に記事を書きながら飲食店を経営します。


なんと名前は【不景気屋】

そりゃ一年で潰れるよねww   


で マティフォリーという女性と結婚しようとしますがこれを何故か牧師が拒否します。


その事でキリスト教に不信感を持ち ちょうど日本への特派員としての仕事を受け1890年(ハーン40才)来日。

出雲大社の近く松江に住み執筆を始めますが その時の女中 小泉節子と結婚。


短編集 【KWAIDAN】を発表



これが私たち日本人のイメージにある怨念 怪談 奇譚の始まりですね。


未だ現世を彷徨う平家の亡霊に取り憑かれた僧の話(耳無し芳一)  ろくろ首  雪女  人を喰らう僧の亡霊譚(食人鬼 jikininki)など。


ハーン曰く


日本は死者のクニである。



在りし日父が幼いワタシに言った言葉


《お盆には御先祖さまやたくさんの仏さんが帰って来るからな》


西洋風なウォーキングデッドなら怖いけれど

そんな日本の観念的な(霊魂)の話なので 恐れ よりも(畏れ)を感じたものです。

ハーンの怪談話の影響が大きいと思います。

それは何か他人を怖がらせてただ優越感を得るだけのホラーストーリーではなく情操的に教えられた気がするのです。




小泉節子と結婚し一男一女をもうけたハーンは日本人に帰化し名前も【小泉八雲】とします。


さらに彼は東京帝国大学(現在東京大学)の英文化教授となり多くの人に慕われます。

ちなみに八雲が教壇を降りた後任は夏目漱石。

若い漱石には人望が無く八雲に帰って来て欲しいと多数の嘆願書が提出される程だったそうです。


と …ここまで来て  あれ?


八雲は日本語が解らず妻に読み聞かせてkwaidanを執筆したのでは⁉︎ 


節子がスゴイ、片言ながらも英語を勉強して地方の逸話 昔話奇譚を夫に口頭で話して物語を創作したのです。  


その作品も海外に向けて日本の文化を宣伝する為の英文だったので 彼の弟子たちがさらに日本語に訳して小泉八雲を知って貰おうと全国に出版したのです。 

勿論宗教観が異なる海外では理解されなかったけれど今日にも私達日本人の深層にその《死者の視線》倫理観は根付いています。


と…   あれ?


ハーンはアメリカ時代に結婚してたのでは? 


ちょとマティよ? マティフォリーはどうなったの?




彼女 アフリカ系じゃないですか。

そりゃ当時1880年代のオハイオ州なんてガチのキリスト教白人主義の地域なんで牧師は結婚を認めませんよ。  


何とも多重国籍 多重結婚と自由に生きた小泉八雲さんw   54才の生涯を終えるまで前向きに世界と向き合ったのでしょうね。


まとめ 




イエスキリストも元々はユダヤ教の異端者でその強烈な個性に弟子たちは惹きつけられたのでしょう。 

当時はカルト集団だったのです




こんな人も 


やはり教師という仕事は聖職と思う。

本人は好き勝手に生きてそれに慕う弟子たちは教祖の死後さらに教義を進化発展させてひとつの文化にしてしまう力を持つ。


後の世のため 強烈な個性を育てる仕事なのでしょう。




小泉今日子さんは本名なのでもしかしたら八雲の子孫⁉︎  


いや ぜんぜん関係ありませんでした 残念


先生と呼ばれる人たち 今日も 頑張って!



【了】