箱根(マニアック) | びっくり闘病記(ステージ3cですが元気です)

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約束の日まで振りかえらないよ

箱根。


これは、もう15年前くらいからの、私の「聖地」


雪だったり、大風だったり、晴天であったり・・・

それはもう、「聖地」


箱根の1月2・3日の面白さ。過酷さを、私に教えてくれた人はもう

そばに居ないけど。

私は、箱根のトリコになった。


母校の名誉と、母校の襷に、全部をかけて走る大学生たちの姿に

泣き、一緒に万歳し・・・もうそれは、私に無くてはならんものになっている


箱根の駅伝コースを、初めて車で登ったのは15年前。

あまりの急坂に「ここを走って登るの?」と、自身もマラソンをやってた私は

心底驚いたのを、覚えている。


そこそこの記録保持者であった私は「無謀」としか思わなかった。


それから15年。

人は代わり、走っていた選手は監督に、コーチになり母校に戻って来た。

私は知ってる。


いま。選手が走っているコースを、脱水を起こしながら、疲労骨折しながら

走った現監督。コーチたち。


ある、芸能人は言った。

「たった4年間のために、人生を棒に振るようなことは止めてほしい」

「この4年だけが、人生じゃない」


コイツら、なにも分かってないと思った。

逆なんだよ。


この、たった1回の箱根が、彼らの一生を支えるんだ


どんな状況になっても、「俺は箱根を走った」

そのプライドが、彼らの残りの一生を支えて行くんだ・・・


50になっても、70になっても。

箱根を走ったランナーとして、彼らは生きて行く。


マラソンでも、駅伝でも。

走ったことの無い人間が、なに言ってんだよ!


私は、自分がランナーだった事を、忘れる事は出来ない。

今、病気と向き合って、無制限のロードを走っている。


そうだった、私は、トラック競技が苦手だったな・・・

ロードは良い。風景が変わる。楽しい。

さすがに、ゴールの見えないレースはきついけどな。ペース配分が分からん。


でも、慣れる。きっとマイペースってやつを掴んで見せる。

そして・・・ゴールが見えたら・・・


きっと私は思うだろう。


もう、走らなくていいんだ・・・・と。