【歴代天皇振り返りシリーズ第1回】”始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)=初代神武天皇
2019年4月30日の天皇陛下の退位と同年5月1日の皇太子さまの新天皇即位になります。そこでシリーズで歴代天皇を紹介してまいります。
今回は始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)=神武天皇です。始馭天下(はつくにしらす)とは初めて建設された国,あるいは革新された国を統治してゆく天皇をさしていいます。神武天皇(神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと))はおかくれになった後に頂いた 贈名です。
<高千穂から大和へ>
初めて建設された国,あるいは革新された国を統治してゆく天皇をさしていう。『日本書紀』の「神武紀」には,始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と記し,「崇神紀」には,御肇国天皇と記しており,それぞれ神武天皇,崇神天皇をさしている。建国の祖という神武の統治は大和(やまと)の範囲にとどまり、崇神は大和の四周を平定し、内治の充実に尽くしたと伝えられる
*神武天皇の建国の志 紀元前660年2月11日(皇紀元年)「即位建都の詔」「橿原奠都の詔」(かしはらてんとのみことのり)畝傍山の東南、現在の橿原市に都を開かれるにあたり、詔を発せられた。この「即位建都の詔」に、以来連綿として継承される日本国の理念と天皇の御心を伺う事ができよう。
◎「掩八紘而爲宇」(あめのしたをおおひていえとなさむ、またよろしからずや)八紘為宇(はっこういう)「六合(くにのうち)を兼ねてもって都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからずや」(日本書紀)
(意味)「天地四方、八紘(あめのした)にすむすべてのものが、一つ屋根の下に大家族のように仲良くくらそうではないか。なんと、楽しくうれしいことだろうか」
「天下がまるで一つの家になったような温かい結びつきを実現(八紘一宇・八紘為宇)」させることが、神武建国の理想なのである。これは道義(どうぎ)国家建設。武力でなく道義(人のふみ行うべき道)によって国を治め,家族のように睦まじく暮らすという理念なのです。
◎大孝(おやにしたがう)「祖(親)に従う」―親(みずから)親とは自ら手本を示す。
◎大御宝(おおみたから)天皇が治める国民。臣民。人民。おおんたから。
神武天皇の即位により天孫降臨の一段は完結し、神人分治(顕幽分治)(幽界と顕界を完全に分離すること)です。の世界が始まります。
*歴代の天皇は 神武天皇の志である八紘為宇(はっこういう)の精神と国民のことを「大御宝(おおみたから)」とし、お慈しみ 神武天皇から二千六百年以上受け継がれ 今尚も続いています。
*神武天皇は幼名を狭野尊(さののみこと)、本名を磐余彦尊(いわれびこのみこと)と言い、ウガヤフキアエズの命(瓊瓊杵尊の孫)と玉依姫(海神の娘)の間に末子として生まれたと言います。
また、彦火火出見(ひこほほでみ)と言う名前もあり、後世には農耕神としての神格も付与されています。
*日本書紀によると神武天皇が大和(奈良県)への遷都を目的とした遠征、すなわち東征を思い立ったのは45歳の時で、『ここは国の西端であるため、全土を治めきれない。東の美しい土地は国の中心であるため、そこへ都を作りましょう』と宣言し、もろもろの豪族や皇子を従えて出発したと記述されます。
*筑紫(福岡県)から九州を船出した天皇は、安芸(広島)や吉備(岡山県)で地元の指導者に歓迎され、数年間を過ごして東征の支度を念入りに整えます。目立った問題もなかった天皇一行を待ち受けていたのが、畿内で起きた数々の事件でした。
地元を治める長髄彦(ながすねひこ)が、畿内に立ち入った神武天皇を侵略者と見做して迎撃、天皇は兄王の五瀬命(いつせのみこと)を失ったのです。
紀伊(和歌山県)まで退却した神武天皇は『太陽神の末裔が東に向かって戦うのは過ちだった』としてルートを変更、名草戸畔(なくさとべ)と言う女の賊を倒すなどして各地を平定しつつ、大和へ進みました。神話では、八咫烏(やたがらす)の導きと天から霊剣「韴霊剣、布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)」を授かって莵田(うだ・奈良県宇陀郡)に進むことに成功したとされます。
こうして大和に近づいた神武天皇は、高倉下(たかくらじ)や弟猾(おとうかし)と言った一行に好意的な戦士、族長らを味方に引き入れることで戦力を強化し、帰順しない部族長を倒し、或いは降参させて政権の地盤を固めていったのです。
宿敵の長髄彦は、姉妹の夫にして主君である饒速日命(にぎはやひのみこと)を奉じて抵抗し、神武天皇一行を苦戦させましたが、天皇の弓に光り輝く金のトビ(金鵄)が降臨したことで形勢は逆転し、それでも降ろうとしなかったことから饒速日に暗殺されたと日本書紀は記します。こうして大和に遷都する悲願を達成した神武天皇は、辛酉の年の正月を迎えた時に橿原宮で即位して始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と名乗ります。時に52歳、高千穂を出発してから7年もの年月が過ぎていました。
日本書紀によると、我が国最初の王朝を築いた神武天皇は76年在位し、3月11日に127歳(古事記では137歳)で崩御し、皇太子の神渟名川耳尊(かんぬなわかわみみのみこと)が、綏靖(すいぜい)天皇として即位しました。
長文お読みいただきましてありがとうございます!
次回は 第二代綏靖(すいぜい)天皇です
よろしくお願いいたします。
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