まいどっ。
ちゃみでっす。
このblogは、蒼辰の構成台本、ちゃみの語りでお送りする[読むラヂオ]です。
テーマは[暇つぶしのお供]。
お気軽にお付き合いくださいまし。
さて、今月はずっと伊勢参り関連のお話をずっと続けてまいりました。
飽きた?
かもね。
んでも、今回が雑学の方の最終回です。
でもって、金曜には、蒼辰的な伊勢参りのまとめ回になるんだそうです。
で?
雑学の最終回はどんなお話なんですか?
昔々のこと。
ほうほう。
伊勢神宮は、聖域ですから、穢れを嫌いました。
なので、犬とか猫とかは立ち入り禁止だったんです。
入りこんだ犬とか猫とかいると、衛士というガードマンが必死こいて追い払う。
そりゃ聖域が穢れちゃったら大変ですからね。
ところがある年のこと、追い払っても追い払っても、しつこく境内に入ろうとする犬・・日本犬ですよね。立ち耳巻き尾で毛がふさふさしたわんちゃんを想像してください・・がいる。
そこで衛士もムキになって追い払う。
やっと逃げてったと思ったら、そのわんちゃん、なんと、五十鈴川の向こう岸をまわりこみ、五十鈴川手水場のあたりで川をわたり、まんまと本宮の前まで侵入してしまったのです。
あの犬、しつこいやつめっ。
気づいた衛士が追い払おうとすると・・・。
なんとそのわんちゃん、本宮の前で静かに身を伏せ、じっと首を垂れているではありませんか。
見ていた衛士さんも胸を突かれます。
犬畜生といえども、伊勢の神宮を崇拝する気持ちを持っているならば、立派な参詣者。
というわけで、このわんちゃん、二度と追い払われることはなかったとか。
と、そんな話が、伊勢神宮が発行する冊子に載ったんですね。
するとこれを読んだ人たちもびっくり。
さすが霊験あらたかな伊勢神宮だ。わん公までもがご利益に預かろうとする。大したもんだ。
ますます伊勢神宮のありがたさが広まりますが、その一方で、そんなバカなことがあるか、そんなもの神宮の宣伝だと、反発する人たちもいた。
反発したの、主にそれなり教養もある武士階級の、でもわりと下っ端の、けど真面目な、そういう方に多かったみたいですね。
その後も、神宮の発行する冊子には、わんちゃんの伊勢参りのお話が、次々と掲載されます。
伊勢講の連中と、故郷から伊勢、そしてまた故郷へと、ずっと同道して、伊勢参りもしたわんちゃんがいるとか・・・。
あるいはとうとう、病の主人の代参で、遠く地方から自分だけでやってきたわんちゃんがいるって話までもがね。
こういうの、民は素直に感心するんですが、やっぱり、ある程度教養のある人たちは、まゆに唾しちゃう。
犬だけで伊勢参り。
あり得ない。
神宮の宣伝にしても、あまりに突拍子もない、などなど。
いえ、そういう文書がね、ほんとに残ってるんですよ。
伊勢側の、わんちゃん伊勢参りの記事をのせた冊子も、それに反論する、主に御家人とかの日記とかに、そんな文章が散見されるんです。
つまり、ほぼ江戸時代を通して、犬の伊勢参り、ほんとか嘘か論争は、密かに、静かに、ずっとずっと続いていたようなのであります。
でもって、やがて明治維新になります。
すると、わんちゃんたちも近代制度に取りこまれ、飼い主が登録しないと、野犬として捕獲されちゃうようになる。
そうすると、犬の伊勢参りなんて、できませんわな。
しかも、新聞ができたり、電信電話ができたり、やがてラジオの時代になったり、情報網も確かなものになる。
すると、いつしか犬の伊勢参り、遠い昔の伝説のようなことになっちゃった。
江戸時代、犬が伊勢参りしたんだって。
そんなん誰かが作った作り話だよ。
そうかな。あたしは信じたいけど。
むり無理、犬が犬だけで伊勢参りなんて、無理に決まってる。
と、まぁ、噂にする人もそんな調子。
どっちにしたって、正式な研究対象になるようなネタでもなし、いつしか、わんちゃん好きの間で語られる伝説のようになり、語ってる人もあんま信じてない、そんなお話になっちゃってたんです。
なっちゃった、ってゆうのは、わりと最近まで、そうでした。
忘れられるとこだったんです。
ところが、1970年代のある時のことです。
今から50年くらい前ですから、かなり前のようにも感じますが、江戸時代から論争してたこと考えると、最近の話です。
秋田の旧家の、古い蔵の屋根裏から、ひと束の古文書が発見されたんです。およそ70枚あまり。
んで、学芸委員とか、大学の先生とかが、なんの文書か調べてみる。
すると・・・。
なんとこの70枚あまりの古文書、江戸時代の、宿場役人による送り状だったんです。
その内容は、伊勢参りの犬一匹。所持金いくらいくら。よろしくお世話されたく申し送り候、みたいなものだったんです。
ね、びっくりした。
そうなんです。この旧家の飼い犬が、ご主人さまの代参として、伊勢参りをして、ちゃんと帰ってきたことを示す、大事な証拠だったのであります。
噂のように、伝説のように、きりりと飾り立て、桃太郎の犬みたいな幟を立ててってわけじゃないみたいです。
もっと地味。
首輪もない時代ですから、首に縄を巻いただけ。
そこに、穴あき銭ってゆう、小銭が結びつけてある。
お札の代金ですね。
けど、道中いろんな人が、自分にもご利益をと、お賽銭がわりに銭をくれる。
だんだん増えてすっかり重くなる。
すると、重くって大変だろうと、銀貨に両替してくれる人もいたんだとか。
そんなこんな、犬の伊勢参りについて、伝聞として残っていた話が、ほぼ全て、ほんとにあったことだとわかってきたのであります。
明治維新前まで、わんちゃんたちは、わりと自由に生きていました。
里犬といって、地域の犬として認識されていたんですね。
住み着いた村の人、町の人が、ちゃんと食べ物をくれる。病気になれば、誰ということもなく、面倒を見てくれる。
管理されていなかったからこそ、ゆる~く人と共生していた。
そんな時代だからこそ、村の伊勢講の人たちと一緒に、あるいは犬だけで、道中さまざまな人に面倒を見てもらいながら、伊勢参りができたのかもしれません。
それができる昔の人たちの優しさをも感じてしまいます。
てなわけで、本日はここまででっす。
金曜日に、伊勢ばっかで1ヶ月の締めくくりをお送りします。
なんか、とっしょり蒼辰的に、伊勢参りして感じたことを話したいとか言ってます。
どうせ大した話じゃないとは思いますが、ま、暇つぶしに聞いてやってくださいまし。
ほいでわまたっ。
ちゃみでしたっ。