まいどっ。

 ちゃみでっす。

 このblogは、蒼辰の構成台本、ちゃみの語りでお送りする[読むラヂオ]です。

 テーマは[暇つぶしのお供]。

 お気軽にお付き合いくださいまし。

 

 先週、葬儀代が不明朗だってお話をしましたら、今日の朝日新聞の朝刊に、葬儀代金が不明朗だって、コラム的な記事がのってました。

 それによると、葬儀屋さんって、許認可とかないし、管轄官庁も決まってないんですってさ。

 そんなことも会計が不明朗な原因のひとつじゃないかと、記事の筆者も申しておりました。

 お葬式。なんせね、誰にとっても、一生になん度もあることじゃなし、そういうところにも、つけこまれると言うと、ちょとアレかもしれませんが、不明朗、不透明なところができやすいんでしょうね。

 というわけで、先週に引き続き、じゃありませんが、本日もお葬式関連のお話です。

 あのね、お葬式出すとなると、ほとんどの場合、お坊さんに来てもらうことになります。

 お葬式の日程が決まったところで、先祖代々のお墓があるお寺に電話して、お坊さんのアポを取る。

 だいたいそゆとっから始まるわけです。

 ところでみなさま、自分とこのお寺の宗派って、ちゃんと知ってます?

 体験的に言って、若い世代ほど、あれ、なんだっけ? なんて人が多いんじゃないかしら。

 ってか、そういう言い方すると、若い奴はものを知らない的なお話と取られかねないな。

 そういうの、よくない。

 普段あんまし関心がなきゃ、年取ってたって、宗派、わかんないやって人、けっこいるもんね。

 ま、しょうがないよ。

 宗派によって、お葬式の作法とかにも違いがあったりもするんですけど、そこはね、葬儀屋さんだったり、お坊さんだったりが教えてくれますしね。

 作法さえ合ってりゃ、何宗だろうが・・ってくらいの距離感が、現代日本人の平均的なとこじゃないでしょうか。

 そもそも宗派の教えを信じてるわけじゃなし、宗派による教えの違いだってろくにわかっちゃいないんですから。

 そんなことじゃダメだっ、って叱る人、いる?

 あんまいないよね。

 そんなもんですよ、今どきのニッポン。

 あ、違うよ。

 葬儀屋と一緒で、坊主もぼるとか、そんな話しようとしてるんじゃないからね。

 誤解しないでね。

 ま、お寺も不明朗ではあるけどさ。

 ところで、うちのお寺はあそこと決まってて、そこにお墓があるの、どうしてだか知ってます?

 檀家制度ってものがあるからなんですよね。

 うちのお寺を持ってる方は、みなそのお寺の檀家なわけです。

 この檀家制度、元をただせば、江戸時代に、幕府が、宗教統制と、民衆支配のツールとして制度化したものでございます。

 民衆と、お墓の管理と葬儀の執行を独占的に執り行う契約を結ぶ。それと同時に、戸籍制度を請け負うわけです。お寺が。

 日本人にはもともと、祖先信仰、ご先祖さまを大切にしようって心がありますから、この制度、受け入れやすかったのかもしれない。

 ちょと話がそれるけど、お天道様見てるぞ、ご先祖様見てるぞ、この二行が、日本人の道徳観を支えていたのであります。

 それはともかく。

 ほんで、江戸幕府が倒れて、新政府が近代的な戸籍制度を整えても、檀家鮮度だけ残っちゃったわけです。

 今や、法的な強制力はなんもありませんから、ほぼ檀家制度の名残といってもいい状態です。

 なんとなく、お墓があるあのお寺が、うちのお寺という感覚だけが残っている。

 だから、っつうか、もちろん、っつうか、新たに、己れの意思で新しい宗教に信心した方は、そんな制度のこと、気にしません。

 以前、とっしょり蒼辰の大先輩が亡くなられて、お葬儀に出向いたら、カソリック教会だったそうです。

 キリスト教の作法なんててんでわからないから、どうしようと思ってたら、入り口で冊子貸してくれるんだそうです。

 そこには、聖歌の歌詞とともに、葬儀の手順もちゃんと書いてあったとか。

 なるほどね。よくできてます。

 それから、とっしょり蒼辰のマダムのおじ様の一人は、無宗教で葬儀をあげたそうです。

 静かに音楽が流れる中、献花するだけ。

 それはそれで、厳粛な気持ちになる、いい葬儀だったと、蒼辰、言ってます。

 それにさ、ワガクニニッポンでは、そもそも天皇のご葬儀って、神道でやるもんね。

 お葬式、仏教式でやれとは、誰も、どこからも、強制されてるわけじゃないんですよね。

 でも、やっぱり、宗教心のそれほどない、平均的な日本人は、自分ちのお寺にお葬式を頼むことになります。

 正直、便利だし、他に選択肢もないしね。

 信教の自由が保障されてる国に生きてるんですから、もっと自由に考えてもいいんじゃね? とは思いますよ。

 思うけど、積極的にそうする理由もないし、ってとこが、まぁ現実なんでしょうかね。

 なんでこんなこと言うかっていうとさ、お寺から見ても、結局、この檀家制度の形骸みたいなものに寄りかかってるわけじゃないですか。

 だから、葬式仏教なんて言われかたで、揶揄されたりするんですよね。

 仏教が、葬儀でお経あげることと、あと墓守と、そんだけの役割になっちゃってるから。

 積極的に布教したり、新たに檀家を獲得したり、宗教団体として積極的なお寺って、あんまり聞きませんものね。

 檀家は信者であるという前提だけで、実際に信心してるかどうかはあんまり問題にならない。

 ただ、墓の維持費を頂戴し、葬儀のときにはお経をあげる。

 で、檀家のほうでも、お墓がそこにある安心感と、お葬式のときにお経あげてもらえる便利さだけで付き合ってる。

 そんなとこでしょうか。

 ほいでもって、結婚式は教会であげ、お正月には家族とともに初詣にゆくんですから。

 なぁ~んかヘンじゃね? と、今更ながら思う今日このごろでございます。

 あ、これ、とっしょり蒼辰の感想ですよ。

 なんだかね、よその宗派の葬式に出たら、いくつか違和感感じたりしたもんで、こんなお話になっちゃったそうです。

 ちなみに、とっしょり蒼辰ちは日蓮宗です。

 もちろん、積極的な信仰心はほとんどありません。

 でも、ご先祖を大事にする気持ちは持ってます。

 ひとつ、坊主に聞いたわりといい話、しようかな。

 お焼香は、やはり3回が基本です。

 これは、仏法僧、すなわち、仏さま、仏教の開祖、釈迦如来と、法、その教えと、僧、教えを伝えるお坊さんの三者に、亡き人が成仏できるよう祈るためです。

 でも、大きなお葬式で、後に人が大勢並んでいるようなときは、一回に省略し、その分、3度に分けて、お焼香してください。

 なるほど。

 それから、お仏壇にお線香をあげるときは、正三角形の形に3本あげてください。

 これは、天地人を表し、そのそれぞれに感謝の気持ちを捧げるためです。

 ほうほう。

 い~話じゃありませんか。

 お焼香の話なんか、多くの人の疑問に答えてるし。

 偉いお坊さんだねぇ・・と思ったら、その坊さん、鐘たたこうとして、間違えてマイクスタンド叩いちゃったんだぜ。

 そりゃ大笑いだったさ。

 あ、お焼香とお線香の話、宗派によって作法に違いがありますので、ご注意ください。

 てなわけで、本日はここまででっす。

 来週火曜は、お茶の最終回。

 今どきのお茶のお話です。

 そして金曜日は、なんか神仏の話がもう一回あるみたいです。

 まじか。

 ほいでわまたっ。

 ちゃみでしたっ。