まいどっ。

 ちゃみでっす。

 このblogは、蒼辰の構成台本、ちゃみの語りでお送りする[読むラヂオ]です。

 テーマは[暇つぶしのお供]。

 お気軽にお付き合いくださいまし。

 

 さて本日は、さつまいもの日なんだそうです。

 川越いも友の会さんが制定したんですって。すなわち私設記念日。

 10月がさつまいもの旬なことと、さつまいもが「栗(九里)より(四里)うまい十三里」と呼ばれていたことから、この日になったんだそうです。

 そういや川越、さつまいもが名物でしたっけね。

 この時期、やっぱ石焼き芋ですかね。

 伝統の食べ物でございます。

 ん? なに?

 伝統かどうか、疑わしい、って?

 なんで?

 売り声?

 いしやーきいもぉーと、一本調子じゃないか、って?

 まぁ~た蒼辰、めんどくさいこと言い出して。石焼き芋の売り声のどこがいけないんですか。

 なになに。古来・・大袈裟だね、どうも・・要するに古くから、ね。ニッポンの売り声には独特の節回しがあった、と。

 例えば、さおやぁ~~、さおだけっ、とか、きんぎょ~~ぇ、きんぎょっ、とか。

 はぁはぁ、まぁ、節がついてますわな。

 そもそも日本の音楽、すなわち邦楽は、お経を起源として、独特の旋律を生み出し、物売りの声もその例外ではなかった、と。

 まぁ~た話がおっきくなってきたぞ。

 そいで?

 だが、あの石焼き芋の売り声は、その伝統から逸れる。

 だから?

 蒼辰の見立てだと、戦後生まれじゃないかって、そういうのね。

 わかった。んじゃ、調べてみましょ。

 たかたかたんたん、たかたったかたぁ~~・・・と・・お、調べがついてきたみたいだぞ。

 なになに。

 さつまいもは、南米の原産で、アメリカ大陸を発見したコロンブスが、15世紀の終わり頃に、ヨーロッパに伝えました、と。

 で、17世紀の初めに琉球・沖縄に伝わり、やがて薩摩・鹿児島で栽培され、さつまいもという名前にもなったんだ。

 今でも鹿児島県、さつまいもの生産で全国一位ですよね。で、二位が茨城県。埼玉県、ベスト5にも入ってませんでした。

 川越のヒト、残念。

 そして、18世紀の前半に、救荒作物・・あ、米とかが不作の時に救いになる作物ってわけね・・救荒作物として栽培が奨励され、関東地方にも広まっていった、と。

 ここまでは前段だな、うん。

 そいで、焼き芋はどうなっちゃったの?

 あ、記録がありました。

 古くは、享保4年 1719年に、京都で焼き芋が売られていたって記録があるんだって。

 お江戸では、寛政5年 1793年に、本郷の木戸番が、初めて焼き芋を売り出すと、大変に人気になったという記録があるんだそうです。

 ほうれみ。けっこ古いじゃんか。

 ん? だがそれは、石焼き芋じゃない、って?

 そうなの?

 はは~あ。当時の焼き芋は、かまどの上に乗せた焙烙に芋を並べて焼いていたんだって。

 焙烙って、なに?

 素焼きの、浅鍋の一種。

 ふ~ん。

 やがて、鋳物の平鍋で焼かれるようになった。

 はぁ~、火の上に、わりと厚手の浅鍋を置いて、その上に置いて焼いていたのか。

 なるほど、石焼き芋とは違うわ。

 けど、そのころは安い食べ物として、どこの木戸番屋でも売るようになり、大変な繁盛ぶりだったのですか。

 石焼じゃないけど、焼き芋、江戸時代から庶民の味方だったようです。

 明治になっても、その人気は相変わらず。

 1900年には、東京に1400軒余りの焼き芋屋があったんだってさ。

 すごい。 

 だがしかし、大正になると、工場で量産された洋菓子が安い値段で売られるようになり、焼き芋は人気を失っていったんだって。

 ははぁ、チョコレートとかキャラメルにやられたな。

 そこに、関東大震災が発生し、焼き芋やさん、ずいぶん店を閉めちゃったんだそうです。

 そこに現れたのが、中国から関西経由で伝わった壺焼きの焼き芋と、昭和の初めに登場した大学芋だったんですって。

 壺焼きのお芋って、今でも川越で売ってるやつだ。

 あれ、けっこう歴史あるみたいだよ。

 それと、大学芋が昭和初めっていうのも、びっくりっちゃびっくりだよね。

 しっかし。

 戦争です。

 1942年 昭和17年に、さつまいもは食糧管理法による統制品となってしまいます。

 つまり、自由な取引ができなくなっちゃった。

 おかげで焼き芋やさん、すっかり衰退しちゃいました。

 その統制が解けるのは、戦後の昭和25年 1950年のことでした。

 この時、リヤカーに箱形の釜と石を乗せて移動販売する石焼き芋が登場したのであります。

 むっ。

 蒼辰、当たってたみたいだよ。

 戦後のものだったんだね、石焼き芋。

 最盛期の60年代には、東京には千人を越す石焼き芋やさんがいたんだそうです。

 やっぱ庶民の味方だ。

 しっかし、またもや、しっかし・・・1970年の大阪万博をきっかけにファストフードのチェン店が増え、石焼き芋やさんは減少していってしまったのだそうです。

 はぁ、大正時代とおんなし構図だわ。

 歴史は繰り返す。

 今もたまぁ~に見るけど、最近は、あのスーパーの焼き芋機で作ったのの方が主流になっちゃったかもね。

 石焼き芋、今では歌舞伎町の酔っぱらいのおじさんに買ってもらうものになっちまったみたいです。

 いえ、ちゃみはそんなとこ行きませんよ。噂、噂で聞いたことがあるだけですってば、はい。

 てなわけで、なんだか長ぁ~っくなっちゃいましたが、石焼き芋のあの一本調子な売り声は、やはり戦後のものだった、というところで、本日はここまでです。

 週が明けたら・・あ、どんなニュースがあるのかな?

 例によって、期待しないで待っててちょ。

 ほいでわまたっ。

 ちゃみでしたっ。