著者 九段理江の小説「東京都同情塔」を読了した。 

 

 👈九段理江

 

九段理江は1990年、埼玉県生まれ。2021年、「悪い音楽」で第126回文学会新人賞を受賞しデビュー。

同年発表の「Schoolgirl」が第166回芥川賞候補に。

この作品「東京都同情塔」が第170回芥川龍之介賞に決定。

新宿御苑に70階建てのビルの刑務所を建てる話なので、教誨師をやっている関係で読んでみようと思った。

音楽の好み選択は、個人の趣味もあるが、世代間の違いは大きい。あるベテラン歌手がNHK紅白歌合戦出場歌手の数名しか分からないと言っていたが、納得するところ大いなるものがある。カラオケで歌う歌も世代によって違うし、これは音楽だけかなと思っていたが、小説にも世代間の違いがあるようだ。

この作者は30代そこそこ。

 

「日本人が日本語を捨てたがっているのは何も今に始まった話ではない。1958年、日本電波塔の愛称に「東京タワー」が選ばれたのは、名称審査会の中に日本語を忌避した日本人がいたからだ。一般公募でもっとも多くの支持を集めていたのは「昭和塔」だった。次いで「日本塔」、「平和塔」、「富士塔」、「世紀の塔」、「富士見塔」と続きながら、しかし結果的に応募数第13位の「東京タワー」に決まったのは。ある審査員の「『東京タワー』を措いて他になし」の鶴の一声によるものだった。仮に、公平な多数決によって「昭和塔」に決定していたとしたら、きっと今頃あの黄赤と白の塔には、取り残された過去の遺物のような古臭さがついてまわっていただろう。

昭和生まれの人間が時代遅れの象徴として扱われ始めているのと同じような現象が起こったはず。結果、今では日本人の大多数が「東京タワー」に納得し、東京タワーに東京タワー以外の名称など考えられないと思っている。強引ともいえる当時の決定は賞賛されるべきだと言うこともできる。民主主義に未来を予測する力はない。未来を見ることはできない。」

民主主義は多数決だけに集約することではないがと言う、この線の文章論理は分かったが、それ以外の箇所での難解さに感動云々まではいかなかった。