葬儀・告別式が終わり、故人は荼毘に付される。現在は殆ど火葬になっているが、私の祖父母は土葬であった。他に水葬や、鳥に食べさせる鳥葬などもある。何れにしてもそれが原因で死ぬとなるとみんな残酷な感じがする。


生と死の境はどこにあるのだろうか?いつの状態の時をもって死とするか。脳死状態を死であるとしたのは臓器移植を望む立場の人が決めたことであるし、私はそれに組しない。私は今年の3月の数時間、脳死状態の人の手を握って声をかけていた。その人が死んだ、あの世に行ってしまったとは思ってなかった。明らかに生きていると思っていた。呼吸もしていた。息が途絶えたとしても、再生した例も知っている。24時間は猶予を置き、荼毘に付さない決まりだ。府中市民聖苑は混んでいて、最低でも数日間以上待つので、もし再生するなら、荼毘に付すとき迄に再生しているだろう。


家族たちは数日間の時を経たことで、また葬儀によって仏さまへ依託したということで、諦めの心境の中で、荼毘に付す。スイッチを押すのは市民聖苑の職員だが、「よろしいですね」という言葉に首を縦に振る。僧侶も近親者と一緒に釜の前に立つ。先人のご苦労のもと今日の我々はある故に、報恩感謝の気持ちを持って、更には死と死者に対する尊厳の心で合掌する。


火葬場に依って、収骨迄の時間が少し違う。ここ府中市民聖苑は1時間半位。故人の思い出など話しながら待っていた。


1階の待合室だと、障子を開けると水をたたえた庭が見える。ある人が、三途の川をイメージして造ったと言っていた。魚や亀などの生き物はいない。