お互いの心が内に燃えたではないか
ルカによる福音書 第24章13~32節
加 藤 高 穂
悲しそうな顔をして
イエス様が十字架に磔となって処刑され、墓に葬られて三日目のことである。クレオパともう一人の弟子が、エルサレムを去って、西方約12㌔にあるエマオ村へ向って歩いていた。
時は四月半ば、春たけなわの頃だ。道ばたには野路の光さながらに黄色のタンポポや紫のアザミなど、野の花が麗かな春の光を受けて、咲いていたであろう。
だが彼らには野の花々に目を向ける余裕はなかった。彼らの心を奪っていたのは、この日朝早く、マグダラのマリヤを始めとする、数人の女たちが齎した驚くべきニュースだった。イエス様は復活し、生きておられるというのである。だが、その知らせを聞いた二人が、喜びに溢れたかというと、そうはならなかった。実際、十字架に磔となり、死んで墓に納められた主イエスが、三日目に甦られたと聞いても、あまりにも愚かしく、信じられない。
ただ、信じることはできぬものの、女たちの喜びに満ちた表情と輝く瞳、真実そのものを語る口ぶりとを無下にすることはおろか、忘れることもできない。
それで、女たちからの驚くべき知らせについて、共々に語り合い、歩いていたのである。そんな二人に復活の主イエス御自身が近づいて来られ道連れとなり、歩みを共にされたのである。
ところが、二人は道連れとなった方が、まさか復活の主イエス様だとは気づかない。気づかないどころか心に深い闇を抱え、暗澹たる歩みを続けていた。失意のどん底にあって、悲しげな顔をしたままだった。イエス様が一緒というのに、目の前には闇をしか見ない。絶望しかない。私どもも、同じである。後で気づくのだ。
主は先立ち給う
思えば、若き日の私自身がそうだった。この世に絶望し、目の前には唯、暗黒をしか見なかった。神学部に行けば、何か光明を見出すことかできるかも知れぬと、宗教部室の扉を叩いたのを覚えている。
その時、河野博範先生を講師に、西南学院大学秋季キリスト教強調週間が始まったのだ。当時、大学キャンパス西に建っていたランキン・チャペルで、「主は先立てり」という主題の下、逃げ、破れ、受け、いのちと四日間にわたり、ルカ伝第15章「放蕩息子の譬」をテキストに語って下さったのを、最前列で貪るようにお聞きした。
最終日、再度、宗教部室を訪ねると、宗教部長だった山路基教授に河野先生のお宅を紹介され、それが機縁で福岡アサ会の末座に連なる者とされたのである。更に夕拝の座で、先生からバプテスマを勧められ即座に「ハイ」と応えたものの、イエス様も分かりません。信仰もありませんと言うと、「オー、もう始まっとんじゃ」と、按手の讃美を頂いたのである。そして、西新まで車で送って貰い、車を降りた途端、光を受けて、街路が、町が、明々と輝き、叫び出したい、躍り上がりたい歓びに満たされたのだ。その約二ヵ月後、クリスマス礼拝の座で受洗。月足らずの未熟児キリスト者として再生したのである。
ところで、エマオ途上の二人の弟子は、どうなったのだろうか。
悲しそうな顔をして
彼らは、道連れになった方がイエス様ご自身だとは気づかずにいた。そのため、「歩きながら互に語り合っているその話は、何の事なのか」と訊ねられると、彼らは悲しそうな顔をして立ち止まり、クレオパが答えて言った。「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。
「それはどんな事か」と問い返されたのに対して、「ナザレのイエスのことです」と答え、主イエスの十字架の死と埋葬、そして三日目の今朝、死んだはずのイエス様は復活され、生きておられるというマグダラのマリヤたちから受けた、驚くべき知らせのことを、語ったのである。
だが、その知らせにクレオパたちの心は躍り、喜びに満たされたかというと、そうはならなかった。「私たちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、このことが起ってから、今日が三日目なのです」(ルカ24:19)と答えたように、二人の胸中は悲歎と失望の闇に閉ざされたままだった。
彼らにとって、希望の星であり、生きがいでもあったイエス様の死が、どんなに大きな衝撃だったかを、窺い知ることができよう。主イエスは復活された、生きておられるという知らせを受けても、信じられず、容易に立ち直ることはできなかったのである。
そんな彼らの姿をみて、イエス様は弟子たちの鈍さを嘆き、叱責されると同時に、彼らの目を開き、闇を払うべく聖書の説き明かしをされたという。
一緒にお泊まり下さい
「そこでイエスが言われた、『ああ、愚かで心の鈍いため、預言者たちが説いた全ての事を信じられない者たちよ。キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか』。こう言って、モーセやすべての預言者から始めて、聖書全体に亘り、ご自身について記してある事どもを、説き明かされた。それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。そこで、強いて引き止めて言った、『私たちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています』。イエスは、彼らと共に泊まるために、家に入られた」(ルカ24:25~29)。
ここで聖書というのは、言うまでもなく旧約聖書をさしている。その聖書全体に亘って、イエス様はご自分について書かれていること、すなわちメシア(救主)の受難と栄光、キリストの十字架の死と復活を説き明かされたのである。イエス様の言葉は、乾いた大地を潤す清水さながら、二人の弟子の心と魂に沁み透っていく。そして清新な生命が、魂の奥から息吹き始めるのを感じていたのである。
そうこうしている間に、日は既に西に傾き、彼らはエマオ村の自宅に近づいた。だが、イエス様はなお先へ進み行こうとされたので、強いて引き止め「一緒にお泊まり下さい」と懇請したので、彼らと共に泊まるため家に入られた。
ところで、『ルカ伝』では、主の弟子二人が登場する場合、ペテロとヨハネといった風に、決まって両者の名前が併記されている。だが、ここではクレオパの名だけで、もう一人の名が略されているのは、彼の妻たりし人だったからだろうとも推測されている。
なればこそ、クレオパ夫人が簡単な夕食の用意を整え、食卓を囲むことになったと思われる。また食事に際しては、パンを取って祝福し、感謝の祈りを捧げて、これを分けるのは、その家の主人がすることだった。しかし、道中の経緯もあったのだろう。クレオパは、尊い客として迎え入れた方に、首座を明け渡したと思われる。
彼らの目が開けて
こうして「一緒に食卓に着かれたとき、パンを取り、祝福して裂き、彼らに渡しておられる内に、彼らの目が開けて、それがイエスであることが分かった。すると、御姿が見えなくなった。彼らは互に言った、『道々お話しになった時、また聖書を説き明して下さったとき、お互の心が内に燃えたではないか』」(ルカ24:30~32)。
客たる人が、パンを取って祝福し、裂いて与え給うたところ、二人の者の目が開けて、それがイエス様だと分かった。恐らくこの夫婦は、あのガリラヤ湖畔での五千人の給食に居合わせており、彼らの家でパンを裂くお姿を拝した途端、それがイエス様であることが分かったのである。すると、イエス様の姿は消えて見えなくなったという。
二人は、互いに言った。道々お話しになった時、また聖書を説き明して下さったとき、お互いの心が内に燃えたではないか。私どもも同じである。今も生きて働き給うイエス様を拝せしめられるのは、こちら側の働きかけによらない。イエス様からの、一方的な愛の迫りに始まるのである。