第3201回 昭和五年 天皇陛下の岡山県金光町へ
の行幸写真を鑑賞する。
2024年4月13日土曜日の投稿です。
☆古写真の部屋 第16話
時代は、昭和から、平成、そして令和の時代となり、
古い写真を見て、この人が誰で、ここがどこでと説明
出来る人が少なくなりつつあります。
それで、後の世の為に説明文を載せておきます。
昭和五年こと、1930年11月15日土曜日に、
朝、広島県福山駅を出発した天皇陛下の一行は、
岡山県浅口郡金光町の金光駅に、午前10時15分に
到着されました。
そして、八重山の陣地で、玉島方面で行われる
陸軍広島歩兵第五師団 師団長 寺内 寿一 陸軍中将
の隷下の部隊の西軍の演習をご覧になりました。
西軍の基幹部隊は、福山歩兵 第四十一連隊
連隊長 平賀真蔵 陸軍大佐の部隊などでした。
対する東軍は、姫路第十師団 師団長 本庄 繁 陸軍中将
の部隊が、岡山市から倉敷市に布陣して演習が始まりました。
この写真は、金光町 八重山の勅奏任官の幕張テントです。
勅奏任官とは、現在で言えは東京の霞が関のキャリア官僚
の人達と言えばわかりやすいと思います。
写真を見ると、ほとんどが陸軍の高級将校ですね。
上野写真の右の黒い制服は、警察官と思います。
幕張テントの周辺で山高帽をかぶっている人達が
当時の高等官僚の人達のようです。
こちらの写真は、外国武官の様子を撮影した写真です。
東京の各国大使館の駐在武官の人達の写真のようです。
但し、後ろの人達は、陸軍の将校と、黒い制服は、
警察官のようです。
右から2番目の人はロシア人のようです。
この写真は、金光郵便局 八重山臨時郵便局の写真です。
左側には、金光郵便局臨時八重山ーーーと木の看板が
ついています。
一つ疑問があるのですが、八重山にどうして臨時の
郵便局が必要だったのでしょうか、何か、まとめて
郵便物を出すことがあったのでしょうか、御存じの方は、
投稿で教えていただくと助かります。
【次回に続く。】