第1901回 「共産党は殺人者だ。」の国の宣伝が始まる。 | 模型公園のブログ

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第1901回「共産党は殺人者だ。」の国の宣伝が始まる。

 

 

            2022年9月7日水曜日の投稿です。

 

 

 

 

 

【第1898回の続きより。】

 

 

 私が海軍兵学校を目指して三重県の不断寺で観海流の水泳術の

 

講習を受けていた頃発生した、尼港事件【にこうじけん】は、

 

海軍陸戦隊が外務省の副領事だった、石田一家と一緒に連絡が

 

つかなくなり、その後、付近に駐屯していた陸軍の水戸第2連隊

 

第3大隊の石川少佐の部隊とも連絡が取れなくなったという

 

事件でした。

 

大正9年こと,1920年の6月になって、陸軍の旭川連隊の

 

多門支隊が捜索に、ニコラエフスク・ナ・アムーレなる都市に

 

出向いた所、斧で頭を叩き割られた死体が約6千名近く発見

 

されたそうです。

 

 

 

 

 海軍の通信施設や、外務省の領事館は破壊され、全滅していたそうです。

 

 

 

 シベリアの共産党赤軍が押しよせ、当時、欧米人などに雇われていた

 

支那人900名、朝鮮人500名が、共産主義を叫んで、雇っていた、

 

アメリカ人、イギリス人、など欧米人や、日本人に襲いかかり、周辺の

 

ロシア人なども一緒に、日本陸軍の石川部隊に助けを求めたそうです。

 

 

 

 

 

 外は、吹雪、向い入れて市民を保護したところ、自分達の食糧は

 

あったのでしょうが、数千人も助けると、食糧は不足し、医薬品もなく、

 

 

 

 

その内、弾薬は無くなり、不面目なことに、共産党赤軍に降伏したらしい

 

のです。

 

 

 

 

その後、水戸連隊の兵士、軍医や看護婦まで、裸にされて、

 

壁に書かれてあった遺書によると、大正9年5月24日午後

 

12時か、2時かに、斧で頭を叩き割られて、全員が処刑され

 

たそうです。

 

斧で頭を叩き割る方法は、ロシア人特有の処刑方法で、

 

犯行は,ロシアの共産党赤軍に間違いないとこうなったそうです。

 

 

 

 

 その後、旭川連隊の多門支隊が周辺を捜索すると、出るわ、出るわ、

 

頭を斧で叩き割られた犠牲者が次々と発見され、その遺体の数は

 

6千以上、現地のロシア人や、日本人、アメリカ人、ドイツ人など、

 

いろんな人達が共産党赤軍に処刑されていたのです。

 

 

 

 

こんな事件が、7年程前に発生していたのですが、昭和2年こと

 

1927年の4月の後半、田中 義一内閣が成立すると、

 

当時の内務大臣 鈴木喜三郎さんや、内閣書記官長の鳩山一郎さん

 

は、この事件を利用して、反共産党キャンペーンを始めたのです。

 

 

 

 

   【 鈴木 喜三郎 内務大臣 東京都出身 東京帝大卒 】

 

 

 

 

 尼港事件のロシア共産党赤軍に処刑された人達の写真を大量に

 

作って、日本国内外にばらまいて、「 共産党は殺人者だ。」と

 

繰り返し宣伝する事を国が始めたのです。

 

ところで、日本共産党は、人殺しなどは一切行っていなかったのは

 

みなさんが知る所ですが、当時の人々は、内務省の宣伝を信じて

 

日本共産党の人達を、「 赤、赤。」と呼びまして、軽蔑して

 

行ったのです。

 

 

 

 

ところで、共産主義にも色々ありまして、お話しによって、

 

共産主義の世界を作ろうという思想が、

 

メンシェビキ共産主義と言います。

 

 

共産党赤軍のような、当初、

 

「税金を無くそう。」

 

「地主への小作料を無くそう。」

 

などと聞こえの良い宣伝を繰り返し、人々を煽り立て、

 

その後、武力で人殺しをする勢力を、ポルシェビキ共産主義と

 

言います。

 

その地域、村で見せしめに誰か罪の無い人でも 罪を

 

作って、村のみなさんを広場に集めて見せしめに殺害し、

 

家を焼き払うと、みんな恐れて命令に従ったそうです。

 

 

 

 

 

その後、畑で出来た作物を、

 

「土地や作物は、国の物だ。」と行って全部持って行って

 

しまうのが共産党赤軍の手法です。

 

それまでの教会や、地主は、ピンハネしても半分程度でしたが

 

共産党は全部持って行ってしまうのです。

 

 

 

 

そうすると、農民は、自分が作った穀物を地面を掘って

 

埋めて隠したりしたそうです。

 

それは、家族を食べさせる為でした。

 

すると、共産党赤軍は、密告を奨励し,密告者に

 

物資を渡すことを宣伝したのです。

 

食べる物に困った世帯は、密かに近所を密告し、

 

繰り返したのです。

 

密告された世帯は、広場にみなさんが集まった前で、

 

人民裁判という裁判にかけられて、見せしめに

 

「国家の穀物を隠して、私物化するのは資本主義者だ。」

 

と言われ、みなさんの前で処刑されていったのです。

 

こんな出来事が重なって、人々は近所も信用しなくなり、

 

家族も疑うようになって行ったのです。

 

 

 

 

 

こうして、豊作地でも、飢餓が発生したり、密告で

 

処刑されたりして、多くの人達が死んで行ったのです。

 

こう言う事になると、労働意欲が無くなり、生産高が悪く

 

なるばかりです。

 

そうすると、スターリンなどは、一定の数量を提示して、達成できない

 

者を見せしめで公開処刑して、恐怖の支配を行って行ったのです。

 

 

 

 

ポルシェビキ共産主義は、後に、独裁主義の制度が加わり、

 

さらに、アジアでは、独特の共産党幹部への封建主義が加わり、

 

人々を監視して支配する制度に変化し、数千万人の死者が発生した

 

と言われています。

 

 

【次回に続く。】