ちなみに当時の私はぐいぐい前に進む同期とは対照的に、あまり周りに影響されずにマイペースに練習に取り組んでいました。
高い目標に向かって自分の足りないところ見つけて取り組むっていうよりは、とりあえず何か頑張ってたら目標が少しずつ見えてきて気づいたら到達していたみたいな(笑)
だから、1年生みんなが憧れるであろうユース選考にも私は全く出るつもりがなく、先輩たちに背中押されてまあとりあえず行ってみるか〜って感じで行きました(笑)ごめんなさい😂
(もちろん選考に行くからには、周りに失礼のないように全力で受かる気で取り組みました!!)
そんな私もつま恋に行く頃には、「試合って楽しい!」だけじゃなくて、「試合に出て活躍したい!」って思うようになりました。
ほぼ初めてと言っていいフルフィでの試合で、もちろんできないことはたくさんあったけど、ベストプレーヤーに選んでもらったり、コーチとして来てくださったみくさんにDFたくさん教えてもらえたり、これまたつま恋にも楽しかった記憶しかありません!!
楽しかったつま恋から帰ってくると、そのまま長い自粛生活が始まりました。
私たちが2年生としてグラウンドで練習する時間は限られていました。
チームのみんなにグラウンドで会えない寂しさはもちろんありましたが、オンライン授業によって通学時間がゼロになったことや、ラクロスの面では自分が苦手な基礎と向き合えることなど、私にとっては多くのメリットをもたらしてくれました。
一人の自主練は飽きてしまうこともあったけど、長い自粛で何もやらなかったら自粛明けの練習で絶対に後悔するって思ったから、なんとか継続させたおかげで、自粛明けの練習でいろんな先輩に上手くなったねって言われたことを今でも覚えています。(多分元が下手すぎただけですが!!)
自粛明けて徐々に対人メニューが解禁された頃から、少しずつA練に参加できるようになりました。
A練に入ったばかりの頃は、ちょっとでもナイディすればめちゃめちゃ褒めてくれて、すごく楽しかったです。
でも、試合が近づくにつれて、私は思い切ったプレーよりもびびったプレーが増えてしまいました。
当然、そんな私が一戦力として戦うことはできず、私はあらかじめ試合の何Q目に出してもらうって決まっていました。
でもなんか色々吹っ切れたのか、20最後の港での試合は、すごく楽しみで緊張もなんにもしなくて、限られた出場時間では自分的には爪痕残せたのかなって気がしています。
ただ、当時Aに入ってた同期はみんな試合で活躍してるのに、自分はただベンチに入ってるだけという事実を突きつけられて悔しさが残りました。
3年生
転機となる年
幹部になりました。
ちょっと前にも書いた通り、私は同期の中でみんなを引っ張っていくタイプって訳ではなかったから、そんな私がチームみんなを引っ張っていく立場になるということはとても大きな挑戦でした。
幹部としてチームに影響を与える存在になるにはどうすればいいか。
どうしたら周りをうまく巻き込めるのか。
そんなことを考えるようになり始めました。
だけど、3年生の私にはそんな難しいことを考えるより、とにかく自分の技術と向き合おう、それが結果、チームに影響を与えられるはずだ!と考える方が楽だったので、まだ頼れる先輩たちもいることだし、自分の技術を伸ばすことを優先させました。
4年間を振り返れば、この1年が、自分がDBというポジションをやる上ですごく重要な年だったと思います。
これには、もえさんしまさんの存在がすごく大きかったです。
もえさんからはDFの基本的な考え方からポジショニング、体の使い方、タイミング、クロスの使い方までたくさん教えてもらいました。
しまさんは常に貪欲に上手くなろうとしていてて、ラクロスとの向き合い方を背中で見せ続けてくれました。
もえさんしまさんと一緒にビデミする時間は、次の練習が待ち遠しくなるぐらいワクワクして、いつも楽しかったです。
この年のリーグ、FINAL4での勝利は間違いなく名大にとって歴史的瞬間で、自分自身にとっても、これまでで一番勝ったときの喜びが大きかった試合でした。
東海制覇が目前だった。
FINAL
こんなに悔しい想いをしたこと、
一点ってこんなにも重たいものだったのかと感じたことはなかった。
最後の笛が鳴ったとき、涙が止まらなかった。
多分、女ラク人生で初めて試合で泣いたと思う。
ラストイヤー
去年のリベンジを果たしたい
全国を視野に入れて戦いたい
勝ちにこだわるあまり自分がこのチームについていけるか不安
どうせなら日本一を目指したい
いろんな意見が出て、話し合い、全員で決めた「全学ベスト4」という目標
じゃあ、このチームで私ができることはなに?
答えはDFでチームを引っ張ることしかなかった。
去年に比べて明らかに低下するDF力を上げていくことができるのか
これまで以上に部活に力を入れることで私生活と両立させることができるのか
やんちゃと言われてきたこの学年が先輩の力を借りずにうまくまとまることができるのか
そんな中で自分に伸び代があるのだろうか
DFリーダーとしての責任を負えるのか
不安で不安でたまりませんでした。
はじめから苦しくなることがわかっていたし自分に全く自信がなかったから、幹部になるか悩んだし、そもそも部活続けるかも悩みました。
ちょうど新チームが始まる頃、カフェで友達に何気なく聞かれた「最近部活どう〜?」って言葉に、涙がボロボロと止まらなくなることもありました。
でも、やるしかなかった。
チームが全学ベスト4を目指す以上、自分は全国で通用するプレーヤーにならなければならなかった。
まずは苦手な基礎をもう一度見つめ直すこと。
壁に行く回数が増えました。
雨の日とどうしても時間が作れない日以外は大体毎日壁に行きました。
大学内に壁を見つけてからは研究室抜け出して壁打ちしに行くことが日課になっていました。
これまでも自主練してきたはずだったけど、やはり量も質も足りていなかったと思ったし、何より、それを4年目にして気づく自分が恥ずかったです。
DFでは、1on1や連携、中のつき方、人数不利、色々やらなきゃいけないことはたくさんあるけど、なによりも「発信力」が私には欠けていました。
今まで先輩たちに全部お任せしてて目を背けてた部分が、自分が最高学年になったことで浮き彫りになりました。
そして、自分に最も求められている部分でもありました。
今年新たにプレイングコーチをしんさんにお願いしたので、しんさんがどんな状況でどんな声を出しているか、一緒にプレーするときもビデオ見返すときも常に吸収させてもらっていました。
そして、この一年は自分が嫌になる瞬間が何度もありました。
どんなときに嫌になってたかとかはもうあんま覚えてないけど(笑)、もっと自分がしっかりしないとみんなのDFが上手にならない、自分がもっとこうしないと、ああしないと、なんで自分はできないの、、って常に考えてた気がします。
でも、もえさんをはじめ、いろんなコーチさんたちがいつも一緒にチームのことや私個人のことを考えてくださり、いつも「ましゅなら大丈夫」って声をかけてくださって、私の心の支えになってくれました。本当に感謝しかないです。
今年のリーグは開幕戦から始まりました。
結果は引き分け。
今まで南山に負けたことしかなかったから、負けなかったことがとっても大きな一歩だと思った。
でも、
最後の1on1で抜かれなかったら、
あのときグラボミスしてなかったら、
って、チームのみんなが頑張ってくれてたのに、自分が何もできなくて全然素直に喜べませんでした。
この一年、練習量を増やしたはずなのに、結局試合の勝負どころで使える技術ではなかったことに、自分に腹が立った。
悔しかったから、絶対にリーグ期一番伸びてやる!ってこのとき心に決めました。
もえさんからの「最後まで向上心があったしまはリーグ期も伸び続けた」って言葉、それを去年背中で見せてくれたしまさんの姿を見習って、
最後の最後まで上手くなり続けようと決めました。
この夏はすごく濃かった
初めて試合中に足をつった愛教戦(笑)
院試前日の岐阜戦
はむかこと出れた信州戦
大量得点!無失点!1位通過!!と足掻いた中京戦
FINAL4に向けて課題が多く残った金城戦
初めて失点目標を達成したFINAL4
そしてFINAL
FINAL 1週間前ぐらいになると、思うように体が動かなくて、自分のことで頭がいっぱいでした。
チームのことを考えなければいけないのに、ここぞのときに自分の弱さが出てしまって本当に情けない気持ちでいっぱいでした。
けど、心の底から“このチームなら勝てる”っていう確信がありました。
きっと、出来ることは全部やってきたという自信があったからだと思います。
これは自分1人だけじゃなくて、幹部だけでもなくて、4年生だけでもなくて、チーム全員で取り組んできたからだと思っています。
試合当日、不安でいっぱいだった自分のプレーは思ってたより落ち着いていて、チームとしても今までで一番連携の取れたDFができました。
試合中も全然負けている感じがしなくて、ビハインドで迎えた4Qも、まだまだここからだ!って気持ちでした。
これはきっと、コートに立つ私たちだけでなく、ベンチも観客席も、全員が同じ気持ちだったと思う。
なにより試合がすごく楽しかった!!!
でも負けてしまった。悔しかった。
試合直後は思考が追いついていなかったのか、全然事実を受け入れられませんでした。
去年の悔しさを晴らしたかった。
今までお世話になった人や応援してくれる人に感謝の気持ちを結果で返したかった。
この一年、チームが取り組んできたことが正解だったって言いたかった。
もう一度、次の舞台に向けてみんなとラクロスしたかった。
勝ちたい(勝ちたかった)理由ってこんなにもたくさん出てくるもんなんだね。
「この悔しさは後輩たちに晴らしてもらいます」
なんて言葉をよく耳にするけど、私は自分たちの代で成し遂げたかったから、すぐには素直に言えませんでした。(笑)
最強の代ってよく言われるけど、結果でそれを証明したかったから!!
この気持ちは変わらないけど、時間が経って徐々に気持ちの整理もついてきたので、今なら後輩たちに託せそうです。
これからの名大のこと、めちゃめちゃ応援しています。頑張れ!!!
そして今日、オールスターゲームに出させていただきました。
実は1年前のオールスターゲームを見て、来年は出てみたい!って密かに思っていたので、選出されたと聞いたときはすごく嬉しかったです。
引退してから全然ラクロスしてなかったので衰えを感じましたが、久しぶりのラクロスはたのしかったです!(おそらく明日は全身筋肉痛です)
何より、他大学の上手な人たちと一緒にラクロスできたこと、フレキャンで同じチームだった子たちとこの舞台で再会できたことがすごくたのしかったです!!
選出していただきありがとうございました。
まだもう少し続きます。ごめんなさい、長いです🙏
4年間で学んだこと。
女ラクに入って、自分の可能性を決めつけないことってすごく大事なことなんだと思いました。
「自分には向いてないから」「現実味がないから」って思ってることでも、やってみたら意外とこなせたりすることって結構あると思います。
逆に、実際にやってみて壁にぶち当たったとしても、そこで経験したことは必ず次に活きるはずです。
でもそれは、やらなきゃ気づけません。
私はこれまで、変に責任背負いたくないし、、とやる前からやめておこうって思うことが多かったけど、女ラクに入ってからはとりあえずやってみるか!って思うことが増えました。
(後先考えずになんでもやってみるのがいいって話ではないです笑)
はじめからやらないのは結局楽な方に逃げてるだけだった、失敗しないための言い訳だったんだなと感じました。
女ラクっていう場所は、小さいことから大きいことまで自分の可能性を広げられるきっかけがコロコロ転がっている場所だし、一緒に頑張れる仲間がいます。
めちゃめちゃ素敵な環境が整っている!
自分が動かなきゃもったいない!!
4年間は意外と一瞬なので、後輩のみんなは後悔のないように過ごしてくれたらと思います。
最後になりましたが、これまでラクロスを通して関わってくださった全ての人に感謝の気持ちでいっぱいです。
この場を借りてお礼を言わせてください。
名前を挙げたらキリがないぐらい、たくさんの方にお世話になりました。(特に同期)
ありがとうございました💐🦅🥍
#19 ましゅ







