#77 とあ 私の大学4年間 | 名古屋大学女子ラクロス部WILLAWSのBLOG

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はじめに、平素より名古屋大学女子ラクロス部を応援してくださった方々、支えてくださった方々に心より感謝申し上げます。


本年度より始めた応援パックでの金銭支援を始め、試合会場に足を運んでくださったり、ライブ配信を見ていただいたり、物資支援をしてくださったり、例年にも増して今シーズンは周囲の方々からのお力添えがあったと感じています。

この場を借りて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。





さて、引退ブログということでなにを書こうかなあ〜という感じですが、とりあえず1年生からわたしのラクロス人生を振り返ってみようかなと思います(笑)




名古屋に来て友達がいなかったわたしは、女ラクの新勧はたぶんほぼ全部行きました。多分行き過ぎでした(笑)



わたしは小学生のころからバスケをやっていたので、バスケを捨てきれず新勧皆勤賞の割に全然入部しないやっかいな一年生だったと思います笑

その節は粘り強く勧誘してくださった先輩方に感謝しかありません😂


人の魅力はもちろんあったし、それに加えて選抜とか全国大会とか、バスケでは見れなかった夢を見れるような気がして、女ラクに入ることを決めました。


あの時、(実は)親に半泣きで電話して相談して、寝れないくらい悩んだけど、その決断は間違ってなかったなと、今は心の底から思います。



一年生のころはユースに選ばれることを一つの目標に、頑張っていたと思います。


同期はレベルが高かったから悔しい思いもたくさんしたけど、しまさんさほさんを中心に先輩方にも支えてもらいながらなんとか乗り超えた1年生の夏でした。



ユース選考が近くなった10月くらい、ユースのHCに会ったときに声をかけてもらって、次会えるのは選考会だね、楽しみにしてるって言ってもらえて、すごく嬉しかったのを覚えています。



でもユース選考会の1週間くらい前かなあ、前十字靭帯を切りました。半月板も術後に話聞いてみたらボロボロでした笑



まあこの話は話したらキリがないけれど、この時が今までの人生の中では唯一の、"絶望" って感じだっかもしれない。1回目もまあまあ辛かったけど、2回目は、本当に絶望した。



なんとなく嫌な感じはあったし、少し覚悟はしてたつもりだったけど、でも希望が捨てきれてなかったみたいで、診察室で切れてるって言われた時は先生の前で号泣したし、そのあと通されたリハビリ室でもずっと泣いてた。

病院の先生たちほんとすいません笑



そっからはながーーいリハビリ生活でした。
結論、試合復帰には1年半かかりました。
長すぎ(笑)



自分が思ってる以上に大怪我だったらしく、2回目だから病院側も慎重で、リハビリの進度も遅かったし、膝もいつも痛かった。


ほんとはサポーターもつけなくていいはずなんだけど、怖くて外せなかった。



それを理解してくれて、いつも味方でいてくれた先生やリハビリの先生には本当に感謝しています。多分読んでないと思うけど😉



復帰してからの方が何百倍も濃い時間を過ごしてるからだと思うけど、今思えば休んでる期間は一瞬だったのかもしれない。


そう思えるくらい、復帰してから引退まで、最後まで、諦めなくてよかったなと、今は思います。



2年生の1年間はその空白の1年半に丸々被ってるので、できたのは筋トレと壁当てとかクロスワークとかそれくらい、あとはその時すでにAチームにはいってたそら🐶に戦術とか考え方を聞いてた。


多分🐶はただ練習の感想とか気づいたことをうちにきて喋ってただけだったけど、練習に入れない私にとっては学びが多かった。


こないだ飲み会の時に同期には初めて言ったけど、この時期も相変わらずそらが狂ったようにラクロスしてたから、壁当て行く時は誘ってもらうようにして、無理矢理にでもラクロスしてて、その時期がなかったらきっとラクロス楽しくなくなっただろうなと思うから、実は感謝してます🫶笑




2年生の間は先輩に迷惑かけたなという気持ちなので、その時期に関わってくれた先輩方には本当に申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。



あと2年生の時は部活にかける時間の8割くらいは育成だった気がします。


家帰ってから寝るまでLINEの通知は止まらないし、そらもわきも返信遅いし(私が早すぎるだけだけど笑)、初めての育成で、初めてコロナ禍で、しんどいことの方が多かった。


それでも20の代は新人戦ですごくいい試合を見せてくれたし、あの時やっぱり全部が報われた気がする。



新人戦とかサマーで一年生が活躍してるのを見るのが一番嬉しいのは育成だと思うし、本当にこの時のためにやってきたって思えると思うから、残りの育成メンバーには、もちろん大変なことの方が多いと思うけど、頑張って欲しいなと思います😌




実は2年の終わり、2月くらいにもっかい膝怪我して、3週間くらい松葉杖をつきました。



多分誰も覚えてないと思うけどスクエアでパキッたときは死ぬかと思いました。



ちなみにこの時は後十字靭帯の捻挫とかだった気がするけど、この怪我は今ふと思い出したくらいに影薄かった(笑)




さて、3年生になります(笑)

練習試合の復帰が3年の5月くらいだったかな、そのあと、公式戦の復帰は6月の七帝戦、京都の河川敷、すごく足場の悪いグラウンドでした。(すんごい嫌だった笑)



あの試合はきっとラクロス人生の転機でした。



mixにも出れなくて、Bしか出れなくて、だったらBで目立ってやるって思って試合に挑みました。




Bの試合が終わって、Aメンバーだけユニフォームを着替える時に、あやさんに「とあ着替えて」って言われて



ちょっと涙出そうになりました(笑)




きっとあの試合は、自分がAチームに入るための最初の本当に小さな第一歩だったと思います。





その試合のあとあやさんに、もう少しBでやってほしい、ofもdfもBでの1on1の勝率100%にしてこいって言われました。




私は結構現実主義だから、100%っていう数字を目標に掲げるのは苦手だったけど、その時はやるしかない!!!!!ってなってたから、1on1たくさんやったし、本気で100%を目指してた。




それなのに最後まで1on1下手くそで本当に申し訳なかったんですけど、あの言葉は忘れられなかったし、それくらいやらないといけないって改めて自覚させられたというか、まだまだ意識低かったなと思い立たされたというか、うまく言葉にできないけど、なんかすごく私に響いた言葉だったと思います。



ここからは前のブログにも書いたから少し割愛しますが、3年のリーグで、ベンチに入れてもらえたことは素直に嬉しかったし、頑張るモチベーションになった



でもFINAL4とFINALで試合に出れなかったのは、明らかに実力不足だった。



“チームのためには、チームが勝つためには自分が出ない方がいい”



それを実感してしまって、しかも実力不足はわかっていて、納得してしまって、悔しかった。




そして始まったラストイヤーは一瞬でした。



エンゲも育成もあったし、院試もあったし、教育実習もあったし、我ながら自分のキャパを尊敬するくらい忙しかったです(笑)



院試が開幕戦の4日後と気づいた時は、もはや笑ってました(笑)



応生の3年前期を乗り越えた自分は無敵だと思ってたけど、院試前はしんどすぎて気が狂いました。家でわーわー言ってた。




春からリーグまで、チームのことも自分のことも大変だったけど、これは前のブログで書いた気がするので割愛します🫶笑







10月9日、リーグ最終戦、FINAL


多分あの日の、いろんなプレー、一つのパス、一つのグラボとか、会話とか、いろんなことはしばらく忘れられないんだろうなあ。


まだ寝る前に考えちゃうことがあって、もやもやうやむやするので思い出したくないけれど思い出して、もっといいプレーの妄想をしてしまうことがあります。



あの時のミスがなかったらとか、あの時自分がゴールに向かってたら、とか




あのdfの時、1歩左に入れてたら、とか。






全部たらればなんだけど、あの1点が、自分達の努力が報われるか、報われないかの決め手だったんだと思うとやっぱり悔しい。




サドンは初めてでした。しかも2回も。

でも試合はすごく楽しかった。



4点ビハインドで迎えた4Qの始まりのとき、開幕戦と同じだねこっからだね!ってゲラゲラ笑ってるチームをみて、本当に強くなったと思った。



すごい楽しかった。



試合中、こんなに楽しい、ワクワクするって思った試合は今までになかった。





終わってみて、こんなに悔しい試合も今までになかった。





悔しいっていう言葉じゃおさまらないんだけれど、虚しいとか悔しいとか怒りとか申し訳ないとかいろんな感情もあるんだけど





やっぱり勝ちたかったなあ。







試合が終わって先輩のところに行った時、忘れるのは無理だよ、もうこの気持ちを晴らす場所はないんだよって言われて



後輩に託すしかないんだなあって実感した。




だから後輩たち、頑張ってね。


あと2年は絶対に応援に行きます📣




あときっとこれを読んでるであろう男ラクの同期、みんなにも託してます。頑張ってね👊





しめみの時にみんなに話したけれど、チームのために最善なことと、自分にとって最善なことは、必ずしも一致するとは限らない。


この人数で部活してたら、大体一致しない人の方が多いし、それは団体競技の難しさなのかなとか思います。



自分が試合に出ることが、チームの勝利のために最善になるように



それには練習するしかなかったから


今年のリーグ期、苦しい時期もあったけど、本当に狂ったように練習した。



練習して上手くなる以外に、このもやもやとか悔しさとかを晴らす方法はないと思ってたから、練習した。




勝てなかったから、証明にはならないし、チームの役に立ったということもできないかもしれないけど、その練習は無駄ではなかったかなと、思います。




だからいまの時期からたくさん自主練して、上手くなろうと努力している後輩たちの頑張りが、どこかで報われて欲しいなあ。



今の時期、基礎の時期、すごくすごく大事だと思う。


絶対どこかでやっててよかったって思うから、頑張ってほしいな😌

たまには練習呼んでね(笑)









最後に、女ラクの同期へ。



大人になっても忘れられないくらい個性の強い学年で、たくさん迷惑もかけたしたくさん迷惑もかけられたし(笑)


これもまえ何人かと話したけど、大好き!とか仲良し!とかいう感じではなくて


 同志    仲間


って感じの人たち。


間違いなく、名大に来て女ラクに入ったから得ることのできた財産なんだろうなあと思います。



きっと一生ものの仲間だろうから、誰が最初に結婚するかとか、楽しみだなあ(笑)




ちゃんと感謝したことなかったと思うから、ここで言わせてもらいます

今まで本当にありがとう、楽しかったねえ









しみじみ。笑

長い文章期待してるねって何人かに言われたので長々と書きました(笑)

ここまで呼んでくださった方ありがとうございました😂





最後になりますが、女ラクに入ってから、今まで関わってくださった方々、本当にありがとうございました。



大学生でこんな波瀾万丈なラクロス人生を送るとは思ってもいませんでしたが、たくさんの人に支えられて引退を迎えることができました。
本当にありがとうございました。




きっと私たちの思いは後輩たちが引き継いで行ってくれると思うので

これからも強い名古屋大学女子ラクロス部をよろしくお願いします🥍











#77 とあ