こんにちは!
月曜日の「副業許可のデッドライン」を明日に控え、
静かに闘志を燃やしている第82回目です。
決戦前夜の今日、いつものように実家の母へ電話を入れました。
2〜3日おきの電話習慣。今日の母の報告は——
私の想像を遥かに超えるダイナミックなものでした。
「今日はね、親戚のお見舞いに、車で片道3時間かけて行ってきたの!」
往復6時間。80代の両親のこの凄まじい行動力には、
ただただ脱帽するしかありません。
交通事故に気を付けて運転し、休み休み言ってきたとのこと。
今日のウォーキングはお休みでしたが、
これだけ動いていれば十分すぎるほどの「1勝」です。
スピーカーで捜索された「三輪車の男」
電話口で元気な母の声を聞きながら、
私は「来週実家に戻ったら、どんな昔話をしようか」と考えていました。
実は、笑い話にしながらも、母にどうしても「詫びたい」大事件があるのです。
それは、私が5歳だった約60年前の頃の話。
当時の私には、何を思ったのか強烈な「逃走癖」がありました。
ある時は三輪車で、ある時はなんと路線バスに乗り込み、またある時は徒歩で——
何度も自宅から行方不明になる事件を起こしていたのです。
田舎の小さな町だったこともあり、
私が居なくなるたびに、
街頭スピーカーから「〇才の〇〇君が行方不明です。上は〇色のシャツに〇色のズボン見かけた方は……」と、
捜索依頼の放送が町中に大音量で流れていたとのこと。
台風が過ぎ去った日に行方不明となった時は、
父親の職場の宿院なども総出で捜索をおこない、
ある班は港の堤防付近を、
あるものは近くの川を棒でつついて捜索したこともあったそうです。
あの時、母がどれほど血の気が引く思いで私を探し回っていたか——。
今になって思えば、本当に、本当に大変な迷惑をかけたと猛省しています。
来週、一緒に歩くときは、この「大脱走」の思い出を広げて、
最高の親孝行の笑い話にしようと企んでいます。
大脱走のDNAを、明日の決戦へ
三輪車やバスを駆使して、5歳にして隣の町へと飛び出していった私。
形は違えど、64歳になった今——
組織の古い慣習を飛び越えて「2027年の独立」へ向けて
フライング就労までしてしまう私の向こう見ずな行動力は、
もしかするとあの5歳の「大脱走のDNA」がそのまま生きているのかもしれません(笑)。
そして、片道3時間の距離をひるまず運転して見舞いに行く両親のバイタリティこそが——
私のエネルギーの源流なのだと確信しました。
さあ、明日はいよいよ月曜日。
「副業許可に白黒つける」決戦の朝が来ます。
大脱走のDNAと、両親譲りのバイタリティを胸に——
明日の朝、職場のデスクへ向かいます。
皆様、良い日曜日の夜をお過ごしください。
明日の報告を、どうぞお楽しみに!
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
