あけましておめでとうございます。えーと今日は、1月23日、ですが(苦笑)
ことしも楽しもうと思っています。そうぞよろしく。夏には例年通りFUJIROCK行きたいな。

さて。正月気分も完全に抜け切って久しいわけだけど、今年も書き初めをしました。
今年は「靭」という字を書いた。読みは「うつぼ」もしくは「じん」、強靭とかに使われる字で、しなやかって意味。
昔から尖ったものに憧れる癖というか傾向がある方だと自分では思っているんだけど、
去年の暮れあたりから、尖った格好良さより、しなやかな強さというか、
そういうやり方のほうが格好いいかもなぁと思っていて、コレを今年のテーマにしてる。今のところは。

で、僕の中でそのしなやかさの象徴としてあるのが、↑THE HIGH LOWS↓だったりする。
去年からハイロウズに今更ハマっていて、ちゃんと纏めたかったので、
2011年はハイロウズとロックンロールについて、から。


ハイロウズくらい誠実に、今の時代の日本のリアリティをあらわしたロックンロールってないんじゃないかな。
なんて風に思ったりしていて。

昔(例えばロックンロール黎明期とか)と違って今の時代(の日本)は、
斉藤和義がデビューシングルで言った「テレビにラジオ、ステレオにギターもある」どころか、
携帯電話やインターネットもあるし、24時間近所のコンビニエンスストアはあいてるし、漫画にゲームもある。
いくらだって暇つぶしの方法は用意されている。寧ろ時間がいくらあっても足りないくらいに。

村上春樹の主人公の様にシンプルに生きたい人がいるかどうかは別として、それを実際に実行するには誘惑が多すぎる。
純粋に、シンプルにが生きにくい世界、みたいに、例えばそんな感じに今の時代(の日本)をレジュメしたとして、
じゃあこの時代におけるリアリティのあるロックンロールとはどういうことなのか?

ここで既に解散しているハイロウズを挙るのには確かに少し抵抗はあるのだけれど、
でも、今更ハイロウズに僕が興奮しているのは、この「時代のリアリティ」の部分についてだったりする。


ハイロウズは、ご存知の通り、ブルーハーツ解散後直ぐに、中心人物でありソングライターチームだった、
甲本ヒロトと真島昌利を中心に結成されている。ブルーハーツは、最後の方はそうでもなかったと思うけど、
初期の代表曲とされてる曲なんかは、かなり直線的な純粋なメッセージを歌っていた。
(僕だって青い空に感動したりもした)だけど、こんな事いったら腐った大人みたいで嫌だけど、
そんな風に純粋に生きていくのは大変だ。特に今の日本では。きっと結構疲れる事だ。
さっきいったように誘惑が多すぎるし、暇すぎると共に暇つぶしは用意周到に準備されているし、
パンクロックで世界をひっくり返すことは(音楽的意味以外では)難しいことだって知ってしまっているし。

甲本ヒロトと真島昌利とは1995年にハイロウズを始める。僕は彼等の熱心なファンではないから、背景とか詳しくない。
でも聴いたらわかる。ブルーハーツとハイロウズはまったく別物だって。
ハイロウズには時代の気分とある種連動した(そして多分、特にヒロトの根底にもともとあった)ダラダラとした空気とか、
メンドくささとか、そいったものがベースとしてあると思う。
あとパロディというか、ちょっとだけちゃかした雰囲気が全体を包んでいる。
漫画で言うと、ギャグ時代の古谷実というか、稲中卓球部~僕と一緒~グリーンヒル期に似てる。
(稲中卓球部で古谷実がデビューしたのが1993年)

テレビ大好き、マンガ大好き、インターネットも好き、ダラダラするのも好き、
出来れば楽(ラク)したいし、その為には素直に便利なもの使う。
社会はよくならないけど、青筋たてて怒り続けるにはどうもしらけ過ぎだ。
そんな時代(気分)におけるリアリティあるロックンロール。
それをやるにはある種の「真面目にふざける」という要素が必要だったのだと思う。

真面目にふざける-かの赤塚不二夫先生は「真面目にふざけなさい」といったそうだ。
また宮迫博之はふざけるな、と怒られたとき「芸人として真面目にふざけてるんじゃ!」と返した。
このコメディの世界で有効な手段だった「真面目にふざける」を大胆に取り入れたロックンロールこそ、ハイロウズだった。
SNOOZERのロックンロール特集号のインタビューで甲本ヒロトは、ハイロウズに関しては全て「パロディだ」と言及している。
「本人たちは笑いが入ってやってる」と。そう、彼等はきっと「真面目にふざけ」てた。
(そういう意味ではTHE HIVESはノリ的にハイロウズに似ていたのかもしれない)

シリアスに時代の社会問題を取り上げるロックもあるだろうし、パーソナルな半径5メートルの私的なロックってのもある。
でもハイロウズのやり方は全然違う。真面目にふざけてて、だから真面に楽しい。
そう、ロックンロールはこうでなくちゃ、楽しくなくちゃ!
最近思うのはロックンロールは 明るく、明るくなくっちゃ by the ARROWS
そして当然そこには切羽詰まった感じが全くなくて、鳴っている音も緊張感はない(笑)、
歌詞もたまにふざけすぎている、でもしなやかで強い。
真面目に真面目であれば(というかシリアス過ぎると)、内部崩壊というか、例えば病んでしまったり
八方塞になってしまったりするという弱点を孕む危険性があると思うのだけど、
ハイロウズにはそれは無い。だってふざけてるから。パロディだから。だからしなやかで強い。
パロディでありながら、本物に肩を並べるロックンロールの奇跡的やり方を、ハイロウズは実践していたと思う。

というわけで、今年はハイロウズみたくしなやかにいきたいなァと思っています。
しかしいま読み返してみたら「思う」ばっかだな。ひどいな。でも仕方ない、そう思うだけだもん。



最後に、私的・↑THE HIGH LOWS↓ アルバムTOP5。

■No5 HOTEL TIKI-POTO(2001)
超名曲「十四才」収録。21世紀のハイロウズはどこか大きい優しさを目指しているように見える。
HOTEL TIKI-POTO/THE HIGH-LOWS



■No4 THE HIGH-LOWS(1995)
素晴らしいデビュー作。「グッドバイ」でブルーハーツと違ったものを目指していくことがわかる。
自分の葬式にはこの曲をかけてほしい。他、名曲「日曜日よりの使者」「BGM」収録。
THE HIGH-LOWS/THE HIGH-LOWS



■No3 Tigermobile(1996)
デビューから4枚(HIGH-LOWS~バームクーヘン)のアルバムに共通して言えるのは冒頭1曲目から
ケツをけり上げてくれるロックンロールだということだけど、この「俺軍、暁の出撃」のオープニングはベスト。
Tigermobile/THE HIGH-LOWS



■No2 Album:ロブスター(1997)
ハイロウズのアルバムの中では一番陽気、だと思う。「夏の地図」でのエンディングが大好き。
6月と9月に挟まれたのが夏じゃない!ほんと、そうだよな。
ロブスター/THE HIGH-LOWS



■No1 Album:バームクーヘン(1999)
私的ハイロウズのピーク、と思ってて、調べたら初のセルフプロデュースらしい。納得。
特にラスト3曲の流れが、もうたまらなく好き。痺れる。
バームクーヘン/THE HIGH-LOWS




あと、今の気分で選んだハイロウズ・ソングTOP5

●No5 バームクーヘン
●No4 一人で大人 一人で子供
●No3 オレメカ
●No2 笑ってあげる
●No1 十四才 


ちなみに、クロマニヨンズはライブは結成直後のFUJIROCKで一度観たきりで、音源は未聴。
今年聴いてみようと思います。






Rolling Stonesの「Honky Tonk Woman」の引用だと思う。
君が偉そうに言ってることなどとっくに俺は気付いてるんだぜ!



ぜんぜん違うかもだけど、僕にはThe Whoの「Baba O'Riley」ぽく聴こえる。
なんだか勇気の出る、超名曲。リアルよりリアリティ!

2010年12月31日なう。

大晦日くらいFuckin'my Businessでもあるインターネットから離れ、普段あまり観れてない
大好きなテレビを、こたつで熱いお茶とみかんでも頂きながら観ようかと思っていたのですが、
テレビが紅白歌合戦に占領されました。大晦日難民です。
だけど、たいして美味しくはない蕎麦ももう食べたし、こたつで熱いお茶もたらふく飲んだので、
ある意味大晦日はもう満喫しました。

もうすぐ2010年が終わって、2011年になります。あたりまえのことですが、もう2010年には
やり残したことはないので、余ったこの時間でお礼でも書き記そうと思います。


2010年にはたいへんお世話になりました。
2010年は個人的には舞台転換の年であり、大晦日にあらためて振り返り考えてみても、
それは奇跡的なくらい上手く出来たと思います。
僕は基本的には、楽天的な運命論者のようなところがあるので、この2010年のタイミングの良さ
みたいなものを半ば運命的に捉えているところがありますが、でも一方で、もう一度この2010年を
僕にやらせてみたら、きっと同じ所にたどり着くんではないか、とも思っている部分もあります。
少なくとも、不定期に訪れる岐路において、現在と全く同じ方向を「選ぶ」自信はあります。
それは村上春樹も書いているように、僕の「傾向」です。

2010年の初めに、僕は曽我部恵一氏に感化されて、書き初めに「直感」と書きました。

頭で、理屈で考えて解ることは、自力である程度なんとかなる物だと思っています。
こねくりまわした理屈ではないところの、例えば「好き」「嫌い」であったり、
センスの「ある」「なし」といった、このなんとも個々人の直感に拠るところが、むしろ色んな
世の中の決め事の根底にあり、選択の最も原理的な判断基準になっているんだと思っています。

四半世紀以上生きてきてこびりついた常識と偏見と臆病を追いやれないのは仕方がないとして、
それらが入り込む以前から、選択基準の原動力であった「直感」になるべく意識的にやりたいと、
年初に、それこそ直感的に思ったことが、なんだか個人的な2010年を上手く象徴したと
そんな風に思っています。

人生は選択であり、選択とは可能性の喪失であると、僕の好きな漫画の登場人物は言っていましたが、
だから選択にはたいへんな決断力がいります。選ぶと捨てることになるから。
この決断力の援護射撃の為に、みんな一生懸命勉強したり、運動したり、考え事をしたり、仕事したり
しているようにも見えます。
僕もきっとこれからも、細やかながらそんな努力を続けると思います。

でも、そのとき自分の手にした武器がなんで有れ、僕は自分の選択には自信を持ち続けられるような
人間でありたいと思っていますし、それは自分の直感にどれだけ誠実であるか
というような事ではないかと思います。
自分の事は自分で決める、という当たり前の欲求に、来年も素直に従ってやっていこうと思います。


楽天的な運命論者の僕ですが。でも運命って選択の結果ですよね。


2011年はどういう選択をし、どういう年にしていくのか楽しみですが、ひとまず
もうすぐ終わる2010年に深い感謝を。一緒に過ごした、andymoriと夏と僕の大好きな人に深い感謝を。

ありがとうございました。









でも、まだまだ始まりの終わりにすぎないでしょ?


This Yeays Theme music!Thank You!