久しぶりの更新である。ということで、最近話題のサッカー、ワールドカップから一つ。

 

 コロンビア人のサポーターが、日本戦にコロンビアが敗北したあと、腹いせ(仕返しのつもりか)に日本人女性サポーターを捕まえて、わけのわからぬスペイン語で「私はすてきな売女です」というような意味の言葉を言わせ、それをツイッターにのせて拡散したことで大炎上した。

 

 それについてのコロンビア人たちの反応がおもしろい。外務省からサッカー代表選手から、国を挙げての謝罪パフォーマンス。よくまあやるわと思うほどの必死さである。

 

 ビデオを見た人はわかると思うが、侮辱したコロンビア人は確信犯である。ちなみに犯罪を行う人の99%は悪いことだとわからずやっているのではなく、わかった上でやっている確信犯である。発作的に殺すとか、そういう状況を抜けば、ばれなきゃいい、あるいは罰せられなければいいと思ってやるのが犯罪行為である。罰せられたりバレたりしたら慌てて謝るだけで、別に反省しているわけではない。あとあと面倒なことになることを避けようとしているだけの話である。

 

 さて、確信犯のコロビア人による人種差別的とまでいえる日本人女性侮辱であるが、これについて多くのコロンビア人やコロンビア政府の外務省が「これはコロンビアの文化ではないし、コロンビアの文化を代表するものでもない」と言っていた。筆者に言わせれば、多くのコロンビア人と交流してきた経験からはっきりと客観的に観察できることとして、ああした行為は、間違いなく、

 

 コロンビア、というよりも中南米の文化そのものである

 

といえる。別に批判しているわけではない。批判は主観である。ここでは筆者は単純に、客観的に観察される事実をいっているにすぎない。つまり、それが良いとか悪いとか、裁いているわけではない。ただ、中南米の文化はそういうものだと客観的に述べているにすぎない。それが好きな人も嫌いな人もそれぞれである。主観は個人に、客観は万人に属する。

 

 かれらが国を挙げての謝罪パフォーマンスをしたのは、さすがに彼らも、こうした行為が卑劣きわまりない恥ずかしいことだと世界中で主観的に認識される、という認識だけはあるからである。世界中にコロンビア人はこういう人々だと思われることは今後かれらが世界で活動するに非常にマイナスになる。その不利益を避けるために謝ってるだけで、件のコロンビア人の行為がコロビア人や中南米人の行動パターンで一般的に見られるものかどうかといえば、答えは、客観的に「イエス」だということを筆者は言っているにすぎない。繰り返すがこれは主家的な批判ではなく、客観的な観察である。

 

 基本、筆者が三兄弟と呼ぶ中南米、中東、アフリカの地域の人々は、その驚くほどの主観性の高さから、こうした日本人では驚くような行為を頻繁に行う。彼らの国の犯罪率の高さ、治安の悪さ、経済の不安定さ、発展の困難状況、政治的不安定、独裁傾向をみれば、「ああなるほどね」と言う話であるが。

 

 しかし、上には上(下には下か)がいるもので、南朝鮮(韓国)などは、日本の東北の東日本大震災のとき、大喜びに喜んで大声で祝っていたことは有名な話である。これはシナでも同じ傾向がみられるが、この特亜とよばれるシナと朝鮮がいかに異常なまでに主観性の度合いが高い国や地域であるかは日本人の想像をはるかに絶する。日本人の感覚であれば、いかに主観的に嫌いであってもその相手に何か不幸があったときには常日頃の否定的な感情を忘れて少なからず同情するのが常であるが、はしゃぎまわって喜ぶのが、韓国(南朝鮮)で観察される文化的傾向であることは記しておきたい。

 

 客観的に文化を観察し分析することが、国際社会で生きる上でいかに大切で必要なことか、おわかりになるであろう。これほどまでに感覚の違う人たちと共通の問題で話し合うのに、日本的な「和の精神」で立ち向かうことが、いかに「バンザイ突撃」を彷彿とさせるほど無謀なことか、実はこれを伝えたいがためにこのブログを立ち上げたようなものであるが。

 

 筆者の経験から、コロンビア人が日本人女性を侮辱したようなことはコロンビア人の間では普通に見られることであり、それこそが彼らの文化を彷彿とさせるものであることを伝えたく、この記事を書いた。

 

 別にそれが良いか悪いかの判断の話ではないので、お気に召さない場合は事実に目を伏せていただければと思う。論議の余地のない、客観的事実の話である。

 

 大急ぎで付け加えるが、私自身はコロンビア人の友人が何人かおり、彼らは私にとって(主観的に)とても大切な友人たちである。今回の記事の客観的分析が私の主観的な交友関係を破壊するものでは全くないことを強調したい。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 

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