モンゴルという国

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 筆者は個人的に、モンゴルという国が好きである。

 

 好き嫌いは主観の話、別に公にする必要もない話である。しかし、昨今の日馬富士やら白鵬やらの言動のせいもあって、日本におけるモンゴルへの印象が悪化しているのはまことに残念でならない。

 

 朝青龍の時もそうであったが、白鵬やら日馬富士やらの様子を見ていると、やはりかの国にはかの国の文化があることを実感する。

 

 筆者のモンゴル好きは単純な理由によるもので、司馬遼太郎氏の「街道をゆくシリーズ」の「モンゴル紀行」を読んだことによる。ウランバートルでの逸話の数々。首都の中心の噴水側でカメラを置き忘れても、誰も盗まぬ文化。ホテルの鍵が悪ければ、「モンゴルに泥棒はいない」と胸を張る従業員(現実にいないと言えるほど治安が良かった)。ホテルの食堂で、ある日本人が使い捨てのプラスチックの醤油入れを捨てていった後、従業員の中で大騒ぎとなり、やがてそれが日本人のものであることがわかったことから、わざわざ大使館までそれを届けにくる純朴すぎるほどの人々。

 

 遥かなる大地を颯爽と駆け抜ける騎馬の民。

 

 シナ、朝鮮、ベトナムという周辺国家ははっきりと儒教国家であるが、モンゴルは違う。モンゴルは、儒教とは異なる文化圏であり、物盗まぬ文化、嘘を嫌う文化など、極めて日本の伝統と近いものが感じられるものがあった。

 

 そのモンゴルからきた力士たちが、実に残念な言動を繰り返すことでモンゴルの印象が悪くなる今日。筆者としてはまことに残念でならない。

 

 立会いで必ず張り手で相手を殴る白鵬の相撲は、本来の相撲とは程遠いものであろう。相撲は殴り合いのボクシングではないのであるし、それをすることで相手に脳震盪を与えて勝ったところで、なんの意味があろうか。

 

 それでも、筆者は今でも、あの雄大なモンゴルの草原を、偉大なるチンギスハーンの子孫たちと馬に乗り駆け抜ける夢を、時折見る。世界の歴史を塗り替えた、遥かなるチンギスハーンの誇りある末裔たちに思いを馳せながら。

 

 誇り高きモンゴルの民の本当の姿を、日本の相撲界でも見れる日が来ることを祈りつつ。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 


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