パワハラが日本文化ではない理由

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 パワーハラスメントが世間で注目さられるようになって久しい。この言葉はセクハラに続いて社会の闇の部分として語られてきたし今も解決すべき問題として見られている。

 

 筆者は、このパワハラに、主観的で恐縮だが、悪寒が走るほど嫌悪感を抱いている。このことは以前から何度か記事で取り上げてきたので、覚えている読者も多いと思う。

 

 日本にはブラック企業が多数存在し、ブラック企業と認知されていないが大企業のほぼほぼ大半がブラック体質である。その理由の一つが、横行するパワハラである。これは実は海外における日本系企業でもしっかりと踏襲されている。年上であるというだけで、あるいは肩書きが上であるというだけで、年下、あるいは役職が下の人間に対して横柄かつ理不尽極まりない態度で接する。

海外の日本系企業では、こうした横柄な態度は外国人には通じないため、あくまでも「日本人の部下や年下」に対してのみ現れてくる。

 

 筆者は、以前から何度もいうように、こうしたパワハラ文化は支那大陸や朝鮮半島を支配する儒教文化の流れを受けるものであって、日本本来の「武士道精神」や「もののあわれ」、つまりは大和魂にそうものではないと認識している。

 

 何故か。それは、

 

 立場や年の差を利用して弱いものを理不尽に虐げるのは、名を惜しみ、卑怯を賤む武士道精神に真っ向から反するものであるからである。相手が言い返せない状況を利用して、相手の尊厳を踏みにじり罵倒するなど、武士道精神のかけらもない行為である。

 

 かたや儒教文化では、年長者や役職が上のものは絶対的な権力をもち、立場の弱いものを徹底的に虐げる。韓国社会を見れば一目瞭然である。年の差が一年であれば、下とみなした人間に奴隷のような扱いである。

 

 筆者が、年齢や役職を違いを利用して立場の弱いものの尊厳を踏みにじったり横柄な態度を取ることを日本文化と認識しないのは、こうした理由による。別に、長い海外生活の結果、西洋文化にかぶれているからではない。

 

 亜流として日本文化い寄生虫のように流れ込んでいる大陸半島系の儒教文化は、日本文化を決して乗っ取ることはできないながらも、日本社会に暗い影を落とし続けている。

 

 日本は儒教文化の国ではない。日本は「もののあわれ」という微妙な情感の違いを重んじ、「武士道」という、強きをくじき弱気を助け、名誉(名こそ惜しけれ)を何よりも重んじる大和魂の国なのである。

 

 そのことを知れば、パワハラの卑しさを理解できることであろう。

 

 年下は年上を、年上は年下を、対等の人間であるとして互いに尊重しあえる文化こそ、本来の日本文化である。薩摩では、年長者は若い人間に対して丁寧な言葉で接する文化を持っていた。まことに武士道の精神である。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 


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